八坂神社新嘗祭(例年11月23日)
八坂神社新嘗祭
八坂神社新嘗祭(日程・時間・・・)を紹介しています。新嘗祭は例年11月23日に行われています。新嘗祭では神前に新穀を供え、秋の五穀豊穣に感謝します。新嘗祭では巫女による神楽・浦安の舞(うらやすのまい)が奉納されます。ちなみに浦安の舞は第124代・昭和天皇が1933年(昭和8年)に詠んだ歌です。
【八坂神社新嘗祭 日程時間(要確認)】
八坂神社新嘗祭は11月23日10:00から行われます。
【八坂神社新嘗祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町北側625番地
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約5分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約8分)
【八坂神社新嘗祭 歴史・簡単概要】
八坂神社新嘗祭(にいなめさい)では神前に新穀を供え、秋の五穀豊穣に感謝します。新嘗祭では巫女による神楽・浦安の舞(うらやすのまい)が奉納されます。ちなみに浦安の舞は第124代・昭和天皇が1933年(昭和8年)に詠んだ「天地(あめつち)の 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」が歌詞になっています。
新嘗祭(にいなめさい・にいなめのまつり・しんじょうさい)では収穫された新穀を供え、その年の豊穣に感謝し、翌年の豊穣を祈願します。新嘗祭は11月23日に行われ、天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の近くの神嘉殿で行われていたそうです。ちなみに皇室では現在も新嘗祭が行われているそうです。新嘗祭は飛鳥時代、第35代・皇極天皇(642年~645年)の時代から始まり、室町時代には民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。奈良・京都の神社では願い事が書かれた護摩木を焚き上げるお火焚祭(おひたきさい)などとして行われています。なお新嘗祭は新春に豊穣を祈願する祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)とともに重要な宮中祭祀とされていたそうです。
神楽は神社の祭礼などの神事の際、神に奉納する歌舞です。神楽は天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが起源とも言われています。神楽には宮中で行われる御神楽と神社など民間で行われる里神楽に大きく分けられます。
●八坂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
八坂神社歴史(伊利之使主・円如)
●八坂神社の見どころ(本殿・西楼門など)を紹介しています。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)
【八坂神社 歴史・簡単概要】
八坂神社(やさかじんじゃ)は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に参議・紀百継(きのももつぐ)が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院(かんしんいん)の起源とも言われています。その後869年(貞観11年)に流行した疫病を鎮める御霊会(ごりょうえ)が神泉苑で行われたのが祇園祭の起源と言われ、970年(天禄元年)からは毎年御霊会が行われるようになりました。995年(長徳元年)に王城鎮護の社として二十一社(二十二社)に数えられ、1072年(延久4年)には第71代・後三条天皇が初めて行幸しました。なお八坂神社はかつて感神院・祇園社(ぎおんしゃ)と言われていました。
八坂神社は全国の八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【八坂神社新嘗祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・八坂神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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