八坂神社・南禅寺散策コース(知恩院・青蓮院・平安神宮・・・)

八坂神社・南禅寺散策コース
八坂神社・南禅寺散策コースは祇園祭を行う八坂神社と湯豆腐発祥の地とも言われる南禅寺を結ぶ散策コースです。南側の八坂神社から北側の南禅寺までは距離が約2.4キロあり、徒歩で約30分掛かります。八坂神社から南禅寺までは少し昇っているが、比較的楽に楽に散策することができます。八坂神社・南禅寺散策コース周辺には日本三大門に数えられる三門がある知恩院・天台宗三門跡に数えられる青蓮院・巨大な鳥居で知られる平安神宮・京都屈指の紅葉名所である永観堂などがあります。桜シーズンには知恩院・平安神宮・南禅寺、紅葉シーズンには知恩院・南禅寺・永観堂に立ち寄るのがおすすめです。なお途中には岡崎疏水・蹴上インクラインなどの桜名所もあり、無料で桜を楽しめます。
【八坂神社・南禅寺散策コース】
【八坂神社(やさかじんじゃ) 概要】
八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した伊利之使主が新羅・牛頭山(牛頭天王)に座した素戔嗚尊を山城八坂郷に祀ったのが起源とも、876年(貞観18年)に僧・円如が堂を建立して薬師千手等の像を祀り、その後天神が東山の麓・祇園林に垂跡したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に紀百継が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院の起源とも言われています。869年(貞観11年)に祇園祭の起源になった祇園御霊会が神泉苑で行われ、970年(天禄元年)からは毎年行われるようになりました。応仁の乱で祇園祭が33年間中絶し、1500年(明応9年)に町衆が中心になって再興されたと言われています。1654年(承応3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱が現在の本殿を再建し、神宝類も寄進しました。
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【知恩院(ちおんいん) 概要】
知恩院は1175年(承安5年)に法然上人が東山・吉水に草庵を結んだのが起源です。法然上人は唐(中国)の高僧・善導の著作「観経疏」を読み、六字名号「南無阿弥陀仏」と一心に声高くた称えることにより、人々が極楽往生できるという専修念仏の思想に開眼しました。当初、吉水御坊・大谷禅坊などと称されていました。その後1227年(嘉禄3年)に延暦寺の衆徒によって破壊されたが、1234年(文暦元年)に法然上人の弟子・勢観房源智が再興し、四条天皇から寺号「華頂山知恩教院大谷寺」を賜りました。その後火災や応仁の乱などで焼失しました。1608年(慶長13年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が伽藍を建立し、子・徳川秀忠と孫・徳川家光が引き継ぎました。なお
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【青蓮院(しょうれんいん) 概要】
青蓮院は788年(延暦7年)に伝教大師・最澄が比叡山に延暦寺を創建した際、比叡山東塔の南谷に建てた僧侶の住坊のひとつである青蓮坊が起源と言われています。その後第3代天台座主である慈覚大師・円仁、第4代天台座主である安慧、建立大師・相応などの住坊になり、東塔の主流をなす住坊になりました。1150年(久安6年)に鳥羽上皇の皇后・美福門院の祈願所になり、平安時代末期に鳥羽法皇が行玄に帰依し、鳥羽法皇の皇子・覚快法親王が入寺すると皇族や摂関家の子弟が門主を務める門跡寺院になりました。比叡山から三条白川に院の御所に準じて伽藍が建立され、青蓮院に寺号を改めました。その後鎌倉時代に河川の氾濫を避けて現在の場所に移りました。1788年(天明8年)の天明の大火により、内裏が焼失した際に後桜町上皇の仮御所になりました。
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【平安神宮(へいあんじんぐう) 概要】
平安神宮は1895年(明治28年)に平安京遷都1,100年を記念して行われた内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の大内裏の一部を復元し、桓武天皇を祀る神社として創建されました。当初、平安京の大内裏があった千本丸太町に計画されたが、用地買収に失敗し、現在の場所に実物の8分の5の規模で復元されました。ちなみに1894年(明治28年)に本殿・大極殿・応天門・蒼龍楼・白虎楼などが完成しました。その後1895年(明治28年)に平安神宮の創建と平安遷都1,100年祭を盛大に奉祝する為に時代祭が始まり、1940年(昭和15年)に孝明天皇が祭神に加えられました。
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【永観堂 概要】
永観堂は平安時代に藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹僧都が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。863年(貞観5年)に清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間に中興の祖・永観律師が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観堂の名称は永観律師に由来し、永観律師は境内に施療院・薬王院を建て、病人救済などの慈善事業も行いました。鎌倉時代に静遍僧都が法然上人に帰依して浄土宗に改めました。1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が離宮・禅林寺殿の造営を開始したことから境内南側を割譲したと言われています。
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【南禅寺(なんぜんじ) 概要】
南禅寺は1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が営んだ離宮・禅林寺殿(上の御所・下の御所)があった場所です。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。皇室発願の最初の禅寺になりました。その後1299年(永仁7年)頃に伽藍が整備され、正安年間に龍安山禅林禅寺から太平興国南禅禅寺に名称を改めました。南北朝時代以降に隆盛を極め、1334年(建武元年)に後醍醐天皇が五山の第一、1385年(元中2年・至徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が京都五山・鎌倉五山の上の別格扱いの「五山之上」に列しました。
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【八坂神社・南禅寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。