やすらい祭(今宮神社・川上大神宮・玄武神社)

やすらい祭
やすらい祭(日程・時間・・・)を紹介しています。やすらい祭は今宮神社(いまみやじんじゃ)・川上大神宮(かわかみだいじんぐうしゃ)・玄武神社(げんぶじんじゃ)・上賀茂で行われています。ちなみに今宮神社・川上大神宮・玄武神社は例年4月の第2日曜日、上賀茂は例年5月15日に行われています。
【やすらい祭 歴史・簡単概要】
今宮神社のやすらい祭は平安時代後期、桜の花が散り始める旧暦の3月頃に疫病が流行し、疫病退散(無病息災)を祈願したのが起源とも言われています。また今宮神社では古来から地域に悪疫が流行すると風流の装いを凝らし、素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀った疫社に参り、悪疫が鎮まることを祈願する習慣があったことが起源とも言われています。ちなみにやすらい祭は夜須礼(やすらい)・鎮花祭・やすらい花とも言われています。やすらい祭では赤毛・黒毛の鬼が太鼓・鉦・笛によるお囃子に合わせて、長い髪を振り乱しながら「やすらい花や」の掛け声とともにやすらい踊りを踊り、疫神を囃して生花で飾られた赤い花傘に惹き寄せ、疫神社で鎮めて一年の無病息災(疫病退散)を祈願します。
【やすらい祭 今宮神社】
今宮神社は794年(延暦13年)桓武天皇による平安京京遷都以前から疫病鎮めの為に疫神スサノオを祀った社があった場所です。今宮神社は994年(正暦5年)疫病が流行し、悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って船岡山に安置した紫野御霊会(ごりょうえ)が起源と言われています。1001年(長保3年)に再び疫病が流行し、朝廷は疫神スサノオを船岡山から現在の場所に移して神殿を造営し、今宮社と名付けました。
今宮神社のやすらい祭では光念寺を出発し、今宮神社・疫神社を回り、光念寺に戻ります。
今宮神社・やすらい祭
【やすらい祭 川上大神宮社】
川上大神宮社・川上神社・大神宮社は起源が明確ではありません。川上大神宮社は川上大神宮社がある場所の氏神だったとも、833年(天長十年)に上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の読経所の鎮守社として造営されたとも言われています。
川上大神宮社のやすらい祭では川上大神宮を出発し、総神社を回り、今宮神社・疫神社に参拝します。
川上大神宮社・やすらい祭
【やすらい祭 玄武神社】
玄武神社(げんぶじんじゃ)・惟喬社(これたかのやしろ)は元慶年間(877年~884年)に第55代・文徳天皇の第1皇子・惟喬親王(これたかしんのう)の母方の末裔・星野市正茂光(ほしのいちのかみしげみつ)が惟喬親王の霊を慰め、王城の鎮護とこの地の守護神として、惟喬親王寵愛で、惟喬親王の外祖父・紀名虎(きのなとら)所有の剣を祀ったのが起源と言われています。その後966年(康保3年)に勅命により、山城国最初の鎮花祭(ちんかさい)が行われました。
玄武神社のやすらい祭では玄武神社を出発し、氏子区域を回り、玄武神社に戻ります。
玄武神社・やすらい祭
【やすらい祭 上賀茂】
上賀茂やすらい祭は国の重要無形民俗文化財に指定され、上賀茂岡本町・梅ヶ辻町地区の住民による「上賀茂やすらい踊り保存会」が中心に行っています。
上賀茂やすらい祭では上賀茂やすらい堂を出発し、太田神社・上賀茂神社を回り、上賀茂やすらい堂に戻ります。
上賀茂・やすらい祭
【やすらい祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。