建勲神社御火焚祭2024年11月23日(日程時間・・・)
建勲神社御火焚祭
建勲神社御火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。御火焚祭は例年11月23日に行われています。御火焚祭では先ず神職による祝詞奏上・玉串奉奠などの神事が行われます。その後義照稲荷社の忌火(いみび)によって護摩壇に点火し、氏子などの願いが込められた火焚串(護摩木)を焚き上げ、無病息災・火難除けなどの祈願成就を願います。(詳細下記参照)
【建勲神社御火焚祭2024 日程時間(要確認)】
建勲神社御火焚祭2024は2024年(令和6年)11月23日(土曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・建勲神社ホームページ
【建勲神社御火焚祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野北舟岡町49
最寄り駅・バス停・・・建勲神社前(徒歩約3分)、船岡山(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から建勲神社は205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【建勲神社御火焚祭 歴史・簡単概要】
義照稲荷社(建勲神社)御火焚祭(おひたきさい)は秋の収穫・五穀豊穣に感謝します。
御火焚祭は大鳥居前で、義照稲荷社に通じる階段下に設けられた斎場で行われます。御火焚祭では先ず神職による祝詞奏上・玉串奉奠などの神事が行われます。その後義照稲荷社の忌火(いみび)によって護摩壇に点火し、氏子などの願いが込められた火焚串(護摩木)を焚き上げ、無病息災・火難除けなどの祈願成就を願います。
火焚祭は宮中で古くから行われている新嘗祭(にいなめさい)が起源とも言われています。新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
【義照稲荷社 歴史・簡単概要】
義照稲荷社(よしてるいなりしゃ)は建勲神社の末社です。義照稲荷社は奈良時代に渡来系氏族・秦氏が五穀豊饒などの為に祀ったと言われ、稲荷信仰の発祥の地とも言われているそうです。なお義照稲荷社は衣食の神である宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)・国土安泰や住居安全の神である国床立大神(くにとこたちのおおかみ)・迷う者や苦しむ者を正しい方向に向ける指導の神である猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀っています。またお稲荷さんのお使い(眷族(けんぞく)・神使(しんし)・祭神の使者)であるきつね(狐)が置かれています。
【建勲神社 歴史・簡単概要】
建勲神社(たけいさおじんじゃ・けんくんじんじゃ)・建勲さんは1869年(明治2年)に第122代・明治天皇が戦国乱世(戦国時代)において天下統一や朝儀復興などの事業を進めた織田信長(おだのぶなが)の偉勲を讃える為に健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建を決定したのが起源です。翌1870年(明治3年)に第122代・明治天皇から神号・建勲神社を賜り、1875年(明治8年)に別格官幣社に列せられ、標高約111.7メートルの船岡山(ふなおかやま)を賜りました。船岡山は平安京の四神相応(しじんそうおう)で、北方を守護する玄武(げんぶ)に位置し、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって織田信長の廟所と定められた場所でした。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際には船岡山城も築城されました。その後1880年(明治13年)に社殿が建立され、織田信長の嫡子(長男)・織田信忠(おだのぶただ)が配祀され、1910年(明治43年)に本殿以下諸舎を船岡山山麓から山頂に移しました。なお建勲神社の前身は織田信長の子孫で、出羽国天童藩3代藩主(天童藩知事)・織田信敏(おだのぶとし)の東京邸内に造営された建勲社(たけいさおしゃ)です。
*参考・・・建勲神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【建勲神社御火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
建勲神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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