養源院鐘楼堂・中門・養源院見どころ(修学旅行・観光)

養源院鐘楼堂・中門

●養源院鐘楼堂・中門は2016年(平成28年)2月9日に国の重要文化財に指定されました。
●養源院鐘楼堂は江戸時代前期の1650年(慶安3年)頃に建立されました。鐘楼堂は桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
一般的に鐘楼(鐘楼堂)は梵鐘(ほんしょう)を吊るす堂塔です。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂(こんどう)の背後に経蔵(きょうぞう)と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼(ころう)に対して伽藍(がらん)の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造(たかどのづくり)の法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾(すそ)広がりの袴腰造(はかまごしつくり)や東大寺(とうだいじ)の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放(ふきはなし)などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。なお鐘楼は鐘撞堂・釣鐘堂などとも言われています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
●養源院中門は江戸時代前期(1615年~1661年)に建立されました。中門は一間(いっけん)薬医門(やくいもん)で、切妻造の本瓦葺です。中門は北側に潜戸・土塀付き、南側に袖塀・土塀付きです。
一般的に中門は寺院などで正門である表門よりも内側にある門です。中門は寺院の回廊の前面中央に設けられられます。中門は古代寺院では本堂である金堂(こんどう)を囲む回廊に設けられた正門で、その外側の外郭の正門・南大門とともに仏門と言われ、他の門と区別されていました。中門はかつて重層の入母屋造の立派な門として建立され、両脇に金剛力士(こんごうりきし・仁王(におう))など伽藍守護の像が建立されたりしました。
薬医門は2本の本柱(鏡柱)の後方に2本の控え柱を立て、その上に女梁(めうつばり)・男梁(おうつばり)を架け、切妻屋根をのせた門です。薬医門は元々公家や武家の正門などに用いられたが、扉をなくして医家に用いられたことから名称の由来になりました。
養源院

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