平野神社の「平野の夜桜」|桜ライトアップ・夜間拝観

平野神社の「平野の夜桜」
平野神社は古くからの桜名所で、江戸時代(1603年~1868年)に「平野の夜桜」とも言われました。現在、平野神社には魁など約50種・約400本の桜の木が植えられ、桜の見ごろにぼんぼりや灯篭の明かりでライトアップが行われます。平野神社では少し前までライトアップの下、桜茶屋で飲食を楽しむことができました。
【京都の桜開花・満開予測】
●2026年1月8日、ウェザーニュースが京都の桜開花は平年並と発表しました。(順次情報更新中)
京都桜見ごろ2026(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【第65代・花山天皇(かざんてんのう) 西洞院時慶(にしのとういんときよし)】
平野神社の桜苑は985年(寛和元年)に第65代・花山天皇が桜をお手植えしたことが起源と言われています。花山天皇は984年(永観2年)9月24日(旧暦8月27日)に17歳で即位し、986年(寛和2年)8月1日(旧暦6月23日)に19歳で退位し、在位期間が2年ほどでした。桜はその短い在位期間にお手植えされたと言われています。花山天皇は985年(寛和元年)4月10日に平野神社に行幸し、後胤繁栄(こういんはんえい)を祈願する平野臨時祭(勅祭)が行われました。桜も行幸の際にお手植えされたのかもしれません。平野臨時祭は現在の桜花祭になり、桜花祭では花山天皇陵(北区衣笠北高橋町にある紙屋川上陵(かみやかわのほとりのみささぎ))を参拝し、桜花祭の無事を祈願します。その後江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)に西洞院時慶が平野神社を再興して現在の本殿を再建し、桜も植えたとも言われています。なお平野神社は全国唯一の皇太子御親祭が定められた神社で、平安時代に例祭(平野祭)で皇太子自らが奉幣を行っていました。花山天皇は生後1年未満で皇太子になっており、天皇に即位する17歳までに平野神社に参拝していたとも言われています。
●第65代・花山天皇は968年(安和元年)11月29日に第63代・冷泉天皇と太政大臣・藤原伊尹の長女・藤原懐子の間に生まれ、冷泉天皇の第1皇子です。969年(安和2年)に外祖父・藤原伊尹の威光により、父の弟・守平親王(第64代・円融天皇)とともに生後1年未満で皇太子になりました。藤原伊尹は既に亡くなっていたが、984年(永観2年)に円融天皇から譲位されて第65代・花山天皇に即位しました。その後関白・藤原頼忠、義父・藤原伊尹の五男・藤原義懐、皇太子・懐仁親王(第66代・一条天皇)の外祖父・藤原兼家による三つ巴の勢力争いが起こりました。985年(寛和元年)に寵愛していた懐妊中の女御・藤原し子が17歳で急死し、僧・厳久の説教を聞いて、藤原し子を供養する為に出家したいと言い始めました。藤原兼家が孫・懐仁親王(一条天皇)を即位させる為、花山天皇に仕えていた次男・藤原道兼を通して出家を勧めたと言われ、986年(寛和2年)の深夜に宮中を出て剃髪し、東山の花山寺(元慶寺)に出家しました。花山天皇の出家は寛和の変とも言われています。出家後に播磨国書写山の圓教寺の性空に結縁し、その後延暦寺の戒壇院で灌頂受戒し、比叡山・熊野などで仏道修行を行いました。また奈良時代初期に徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国・中山寺宝印を探し出し、熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼したとも言われています。女性関係が奔放で、藤原し子の妹・藤原儼子のもとに通っていた996年(長徳2年)に藤原伊周・藤原隆家兄弟に矢を射られた花山法皇襲撃事件(長徳の変)が起こりました。花山天皇は歌人として有名で、和歌に「花山院御集」があります。また「拾遺和歌集」・「拾遺抄」・「後十五番歌合」の撰者とも言われています。なお第65代・花山天皇は1008年(寛弘5年)3月17日に崩御しました。
●西洞院時慶は1552年(天文21年)11月20日に権大納言・飛鳥井雅綱の孫、安居院僧正・覚澄の子として生まれました。最初に河鰭季富の養子になって河鰭公虎と名乗り、次に叔父・飛鳥井雅春の養子になって飛鳥井公虎と名乗り、その後西洞院時当の養子になり、1575年(天正3年)に西洞院家の家督を相続して西洞院家9代当主になりました。1591年(天正19年)に従三位に叙せられ、1600年(慶長5年)に参議になり、1611年(慶長16年)に右衛門督・従二位に昇叙しました。また慶長年間(1596年~1615年)に第107代・後陽成天皇の勅許を得て荒廃していた平野神社を再建しました。三女・西洞院時子は後陽成天皇の後宮に入り、皇女二人を生みました。1624年(寛永元年)に出家して法名・円空を名乗りました。1626年(寛永3年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠と江戸幕府3代将軍・徳川家光が京都に上洛した際、伊達政宗が催した香席に次男・平松時庸とともに招かれ、それを記した「饗応香会の記」が日本最古の香記録とされています。西洞院時慶は長男・西洞院時直とともに歌学をもって聞こえました。また六条有広とともに日本初の活版印刷である慶長勅版に携わりました。日記に「時慶卿記」・家集に「詠草」があります。次男・平松時庸は平松家祖、五男・長谷忠康は長谷家祖、六男・交野時貞は交野家祖になりました。なお西洞院時慶は1640年(寛永16年)2月11日に亡くなりました。
【平野神社の「平野の夜桜」 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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