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瑞峯院本堂・瑞峯院見所(修学旅行・観光)
瑞峯院本堂
●瑞峯院本堂は1962年(昭和37年)6月21日に国の重要文化財に指定されました。
●瑞峯院本堂は戦国時代(室町時代後期)の1552年(天文21年)~1557年(弘治3年)に建立されました。瑞峯院は天文年間(1532年~1555年)にキリシタン大名で、大友氏21代当主・大友宗麟(おおともそうりん)が帰依した普応大満国師(ふおうたいまんこくし)・徹岫宗九(てっしゅうそうきゅう)を開山に自らの菩提寺として創建し、その際に本堂が建立されたと言われています。1971年(昭和46年)に解体修理が行われ、桟瓦葺(さんがわらぶき)から檜皮葺(ひわだぶき)に葺き替えられました。本堂は正面に第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)宸筆の寺額「瑞峯院」を掲げられ、近年に野添平米(のぞえへいべい)が瑞峯の院名に因んで朝鮮半島の金剛山を写した襖絵が飾られています。なお本堂は正面に開山である普応大満国師・徹岫宗九の木像を安置しています。
普応大満国師・徹岫宗九は室町時代中期の1480年(文明12年)に近江国(滋賀県)で生まれました。京都・大徳寺(だいとくじ)に入り、大徳寺86世住持・小渓紹ふ(しょうけいじょうふ)に師事し、その法を継ぎました。その後大徳寺91世住持になり、第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)の帰依(きえ)を受けました。徹岫宗九の弟子には大徳寺105世住持・怡雲宗悦(いうんそうえつ)などがいます。なお普応大満国師・徹岫宗九は戦国時代(室町時代後期)の1556年(弘治2年)4月13日に77歳で亡くなりました。諡号(しごう)は仏徳大用禅師(ぶっとくだいようぜんじ)・普応大満国師です。
●瑞峯院本堂は桁行約14.8メートル・梁間約11.0メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。なお玄関(唐門)は桁行折曲り三間・梁間一間で、前後唐破風造(からはふづくり)の檜皮葺です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻の三角形の部分です。
瑞峯院