隨心院の桜見ごろ2025(時期:4月上旬~中旬頃)
隨心院の桜見ごろ・アクセス・概要
隨心院の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。桜の見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。隨心院は約200本の薄紅色のはねずの梅(八重紅梅)が植えられている小野梅園・総門・薬医門近くなどに染井吉野などの桜の木が植えられ、桜と小野梅園・総門・薬医門などの光景が美しいと言われています。ちなみに隨心院は京都を代表する梅の名所です。(詳細下記参照)
【隨心院の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
隨心院の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月29日、ウェザーニュースは桜の開花が平年並で京都で3月26日に開花すると予想しました。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【隨心院桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区小野御霊町35
最寄り駅・バス停・・・小野駅(徒歩約5分)
京阪アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条大宮・四条烏丸・四条河原町・三条京阪からは83系統、83A系統、84系統、86系統、86B系統、87A系統、87B系統、88B
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は小野駅(徒歩約5分)
【隨心院の桜見ごろ(例年時期) 概要】
隨心院は桜の名所です。隨心院の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。隨心院は約200本の薄紅色のはねずの梅(八重紅梅)が植えられている小野梅園・総門・薬医門近くなどに染井吉野などの桜の木が植えられ、桜と小野梅園・総門・薬医門などの光景が美しいと言われています。ちなみに隨心院は京都を代表する梅の名所として知られているが、桜はあまり知られていない穴場とされています。
小野梅園には約200本のはねずの梅(八重紅梅)などが植えられています。はねずの梅の名称は白みをおびた薄い紅色を古来「はねず(朱華・唐棣・棠棣)」と言っていたことに由来しています。日本最古の和歌集「万葉集」の中では「思わじと 言ひてしものを 朱華色の 移ろひやすき わが心かも(大伴坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ)」と詠まれています。
総門は1753年(宝暦3年)に政所御殿であった庫裡とともに二条家から移されました。
薬医門は寛永年間(1624年~1631年)に九条家ゆかりの関白・九条幸家(くじょうゆきいえ)の正室・天真院尼(豊臣完子・とよとみのさだこ)の寄進により、表書院・大玄関とともに建立されました。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都桜名所・見ごろ(嵐山・仁和寺・醍醐寺・・・)
【隨心院 歴史・簡単概要】
隨心院(ずいしんいん)・随心院は楊貴妃・クレオパトラ7世とともに世界三大美人に数えられ、絶世の美女と謳われた女流歌人・小野小町邸があった場所とも言われています。また隨心院は991年(正暦2年)に雨僧正とも言われる真言宗小野流の開祖・仁海僧正(にんがいそうじょう)が第66代・一条天皇から土地を賜って創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)があった場所とも言われています。隨心院は鎌倉時代に曼荼羅寺第5世住持・増俊(ぞうしゅん)が曼荼羅寺の塔頭(たっちゅう)として創建したのが起源と言われています。その後第84代・順徳天皇、第86代・後堀河天皇、第87代・四条天皇の祈願所になり、1229年(寛喜元年)には後堀河天皇の宣旨(せんじ)によって門跡寺院になり、一条家・二条家・九条家などから入寺したと言われています。しかし応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって伽藍の多くを焼失し、その後九条唐橋などに度々移り、1599年(慶長4年)に曼陀羅寺の故地に本堂が再建されました。
隨心院は真言宗善通寺派の大本山です。
*参考・・・隨心院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【隨心院桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
隨心院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)