- Home
- 百萬遍知恩寺鐘楼堂・百萬遍知恩寺見所(修学旅行・観光)
百萬遍知恩寺鐘楼堂・百萬遍知恩寺見所(修学旅行・観光)
百萬遍知恩寺鐘楼堂
●百萬遍知恩寺鐘楼堂は2017年(平成29年)2月23日に国の重要文化財に指定されました。
●百萬遍知恩寺鐘楼堂は江戸時代中期の1703年(元禄16年)に再建されたと言われています。鐘楼堂には珍しい朝鮮様式の梵鐘が吊られています。梵鐘は吊られる部分である竜頭(りゅうず)の横に音が抜ける為の筒状の旗指(はたさし)があり、模様も瑞雲(ずいうん)や仏が描かれ、日本の和鐘と異なった趣になっています。なお百萬遍知恩寺では例年12月31日に除夜法要が催され、除夜の鐘が撞かれています。ちなみに除夜法要では堂内を一周する1080課の大念珠を使用して数珠繰り(じゅずぐり)が行われたり、甘酒の接待が行われたりしています。(要確認)
一般的に鐘楼は梵鐘を吊るす堂塔です。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼に対して伽藍の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造の法隆寺西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾広がりの袴腰造や東大寺の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。
一般的に梵鐘は寺院で時刻や非常を告げる鐘です。梵鐘はインドで集会の際に用いられた木製のかん稚と中国の銅鐘に基づいて造られました。「日本書紀」には562年(第29代・欽明天皇23年)に古墳時代後期の豪族・大伴狭手彦が梵鐘を高句麗から日本に持ち帰ったとの記録が残っています。ただ梵鐘は現存せず、梵鐘の内面に「戊戌年(698年)筑前糟屋評(福岡市)造云々」の銘がある京都・妙心寺の梵鐘(国宝)が日本製の最古の梵鐘です。梵鐘は銅に少量の錫・亜鉛などを混じて鋳造されます。梵鐘は上部に鐘楼に吊るす釣り手として竜頭があり、下部に一対の蓮華状の撞座を配し、これを橦木で突きます。梵鐘に上帯・中帯・下帯・乳の間・乳・草の間・池の間・駒の爪などがあります。
●百萬遍知恩寺鐘楼堂は桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
百萬遍知恩寺