龍安寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
龍安寺の見どころは石庭・庭園・方丈・勅使門・庫裏・蹲踞・仏殿などです。
龍安寺の見どころを個別に簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには15個の石と白砂から構成された石庭(特別名勝・史跡)、鏡容池を中心とした庭園(名勝)、エリザベス女王が使用した勅使門(重要文化財)などがあります。また方丈・蹲踞も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 15個の石と白砂から構成される石庭(特別名勝・史跡)
- 鏡容池を中心とした池泉回遊式の庭園(名勝)
- 西源院の方丈を移築した方丈(重要文化財)
- 西源院の唐門を移築した勅使門(重要文化財)
- 水戸黄門が寄進した蹲踞「吾唯足知」
【龍安寺の歴史・簡単概要】
大雲山・龍安寺は984年(永観元年)に創建され、四円寺(円教寺・円乗寺・円宗寺)に数えられた第64代・円融天皇の御願寺・円融寺があった場所です。その後左大臣・藤原実能が山荘を営み、徳大寺を建立しました。龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領・細川勝元が権大納言・徳大寺公有から山荘を譲り受け、妙心寺5世・義天玄詔を開山、玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜を勧請開山として創建しました。
【15個の石と白砂から構成される石庭(特別名勝・史跡)-見どころ】
- 概要:石庭(方丈庭園)は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。石庭は江戸時代(1603年~1868年)に「都林泉名勝図会(みやこりんせんこめいしょずえ)」に紹介された古くから観光名所です。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水(かれさんすい)式庭園です。石庭は白砂を敷いて美しい帚目を付け、15個の石が一見無造作に配置されています。15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。また白砂の砂紋は波の重なりを表していると言われています。15個の石には裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種であるチャートも使われています。なお龍安寺はかつて石寺(いしでら)とも言われました。
- 歴史:石庭は寺伝によると1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に作庭されたとも言われています。また応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。1951年(昭和26年)に油土塀の屋根が瓦葺(かわらぶき)に葺き替えられたが、1978年(昭和53年)にこけら葺(こけらぶき)に葺き替えられました。
- 作庭者:作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関係した人物と言われています。作庭者は開山・義天玄承(ぎてんげんしょう)、開基・細川勝元、絵師・相阿弥(そうあみ)、細川勝元の嫡男・細川政元(ほそかわまさもと)、茶人・金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。
- 様式:石庭は水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。油土塀は最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によって実際よりも広く見えます。ちなみに油土塀は土に菜種油(なたねあぶら)を混ぜて造られています。石庭では遠近法のトリックが用いられています。トリックも魅力です。
- 豆知識:石は七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また石庭は中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。
【鏡容池を中心とした池泉回遊式の庭園(名勝)-見どころ】
- 概要:庭園は修学旅行・観光で見逃せません。庭園はかつて石庭よりも有名で、江戸時代(1603年~1868年)に「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に紹介されました。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島(べんてんじま)・伏虎島(ふしとらじま)などがあります。なお鏡容池はオシドリの名所で、鏡容池はおしどり池、龍安寺は鴛鴦寺(おしどりでら)と言われました。
- 歴史:鏡容池はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、それを池泉に改修したとも言われています。鏡容池は平安時代(794年~1185年)に名池に数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんでいたと言われています。鏡容池では関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が鏡容池に霊力があるとして礼拝した弁財天(べんざいてん)を弁天島に祀っています。
- 植物:鏡容池周辺には桜が植えられ、桜シーズンに美しい光景が見られます。またキリシマツツジ(霧島躑躅)・ヒラドツツジ(平戸躑躅)・藤・スイレン(睡蓮)・ハス(蓮)・萩なども植えられています。庭園・鏡容池は季節を通して美しく彩られています。
【西源院の方丈を移築した方丈(重要文化財)-見どころ】
- 概要:方丈は石庭に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。方丈はその前に石庭が作庭されています。方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)像を安置しています。方丈には南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)の襖絵が飾られています。ちなみに方丈にはかつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面があったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に売却されました。なお方丈は外側付近にシャクナゲ(石楠花)が植えられ、春に色どりを添えます。
- 歴史:方丈は1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が妙心寺(みょうしんじ)の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈として建立され、その後龍安寺に方丈として移築されました。ちなみに方丈は1499年(明応8年)に建立されたが、1797年(寛政9年)に焼失しました。
- 様式:方丈は入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺です。方丈は桁行(けたゆき)21.0メートル・梁間(はりま)18.0メートルです。
【西源院の唐門を移築した勅使門(重要文化財)-見どころ】
- 概要:勅使門(ちょくしもん)は修学旅行・観光で見逃せません。勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日した際、石庭を拝観する為に使用されたことで知られています。勅使門は他の門と違って、格式が高い門です。一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。
- 歴史:勅使門は1797年(寛政9年)に火災で焼失し、1975年(昭和50年)に妙心寺の塔頭・西源院の唐門(からもん)を移築しました。1985年(昭和60年)にこけら葺が全面改修されました。
- 様式:勅使門はこけら葺で、前後に唐破風(からはふ)があります。勅使門には牡丹唐草(ぼたんからくさ)の欄間(らんま)があります。
【本来台所で、朱印場がある庫裏-見どころ】
- 庫裏の概要:庫裏(くり)は本来台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。なお庫裏には朱印場(御朱印授与所)があり、御朱印「石庭」・御朱印帳「石庭・吾唯足知」などを授与しています。(要確認)
- 庫裏の歴史:庫裏は1797年(寛政9年)に火災によって焼失したが、焼失直後に再建されました。
- 庫裏の様式:庫裏は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
【水戸黄門が寄進した蹲踞「吾唯足知」-見どころ】
- 概要:蹲踞(つくばい)は水戸黄門(みとこうもん)とも言われた徳川光圀(とくがわみつくに)にゆかりがあり、精密なレプリカ(複製)も作られています。蹲踞は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地に置かれています。ちなみにレプリカは方丈裏に置かれています。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清める手水鉢(ちょうずばち)です。蹲踞には「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれています。
- 歴史:蹲踞は江戸時代(1603年~1868年)前期に徳川光圀(水戸光圀)が歴史書「大日本史(だいにほんし)」を編纂する際、西源院本「太平記(たいていき)」を借り、お礼として寄進したと言われています。
- 「吾唯足知」:「吾唯足知」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しています。
【本尊・釈迦如来を祀る仏殿-見どころ】
- 仏殿:仏殿は方丈の西側に建立され、龍安寺の本堂です。仏殿は天井に武藤彰が墨(すみ)と金泥(きんでい)で描いた「下り龍図」があります。仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。なお仏殿の奥には龍安寺の本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像を安置する昭堂(しょうどう)があります。
- 仏殿:仏殿は1981年(昭和56年)に再建されました。
- 仏殿:仏殿は入母屋造の銅板葺(どうばんぶき)です。仏殿は桧造り(ひのきづくり)です。仏殿には樹齢1,000年から1,200年の台湾桧(たいわんひのき)が使われています。
【蹲踞「吾唯足知」が置かれている茶室・蔵六庵-見どころ】
- 概要:茶室・蔵六庵は路地に蹲踞「吾唯足知」が置かれています。蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅(こうら)に隠す亀を表しています。
- 歴史:蔵六庵は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されたと言われています。ちなみに蔵六庵はは住持(じゅうじ・住職)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。ちなみに蔵六庵はかつて西源院にあり、明治時代(1868年~1912年)に移築されたそうです。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ(龍安寺垣・侘助椿など)
【龍安寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・龍安寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ