龍安寺見どころのマトメ-修学旅行・観光の解説

龍安寺見どころ

龍安寺見どころのマトメ・解説

龍安寺見どころを簡単にまとめてポイント解説します。龍安寺は世界遺産に登録され、見どころには海外でロックガーデンとも言われる石庭(特別名勝・史跡)や美しい庭園(名勝)・方丈(重文)があります。また修学旅行生や観光客に人気がある勅使門(重文)や庫裏・蹲踞「吾唯足知」・仏殿・蔵六庵などの見どころもあります。なお国宝・重要文化財・名勝・史跡などの文化財を中心に解説しています。

【注目の石庭(特別名勝・史跡)・枯山水式庭園の解説】

★概要:圧巻の石庭(方丈庭園)は江戸時代に「都林泉名勝図会(みやこりんせんこめいしょずえ)」に紹介された古くから観光名所です。石庭は修学旅行や観光で絶対に見る価値があるスポットです。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水(かれさんすい)式庭園です。石庭は白砂を敷いて美しい帚目を付け、15個の石が一見無造作に配置されています。15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。15個の石には裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種であるチャートも使われています。なお龍安寺はかつて石寺(いしでら)とも言われました。
★歴史:石庭は寺伝によると室町時代後期(戦国時代)の1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に作庭されたとも言われています。また室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。1951年(昭和26年)に油土塀の屋根が瓦葺(かわらぶき)に葺き替えられたが、1978年(昭和53年)にこけら葺(こけらぶき)に葺き替えられました。
★作庭者:作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関係した人物と言われています。ちなみに作庭者は開山・義天玄承(ぎてんげんしょう)、開基・細川勝元、絵師・相阿弥(そうあみ)、細川勝元の嫡男・細川政元(ほそかわまさもと)、茶人・金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。石庭では作庭者も謎となっています。
★豆知識:石は七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また石庭は中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。
★様式:石庭は水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。油土塀は最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によって実際よりも広く見えます。ちなみに油土塀は土に菜種油(なたねあぶら)を混ぜて造られています。石庭では遠近法のトリックが用いられています。トリックも魅力です。

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【人気の庭園(名勝)・池泉回遊式庭園の解説】

★概要:庭園はかつて石庭よりも有名で、江戸時代に「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に紹介された古くから観光名所です。庭園は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島(べんてんじま)・伏虎島(ふしとらじま)などがあります。なお鏡容池はオシドリの名所で、龍安寺はかつて鴛鴦寺(おしどりでら)と言われました。
★歴史:鏡容池はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、それを池泉に改修したとも言われています。鏡容池は平安時代に名池に数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんでいたと言われています。鏡容池では関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が鏡容池に霊力があるとして礼拝した弁財天(べんざいてん)を弁天島に祀っています。
★植物:鏡容池周辺には桜が植えられ、桜シーズンに美しい光景が見られます。またキリシマツツジ(霧島躑躅)・ヒラドツツジ(平戸躑躅)・藤・スイレン(睡蓮)・ハス(蓮)・萩なども植えられています。庭園・鏡容池は季節を通して美しく彩られています。

【重要な方丈(重要文化財)・弥勒菩薩像の解説】

★概要:方丈前には石庭が作庭されています。方丈は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)像を安置しています。方丈には南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)の襖絵が飾られています。ちなみに方丈にはかつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面があったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に売却されました。なお方丈は外側付近にシャクナゲ(石楠花)が植えられ、春に色どりを添えます。
★歴史:方丈は1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が建立した妙心寺の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移して再建されました。ちなみに方丈は1499年(明応8年)に建立されたが、1797年(寛政9年)に焼失しました。
★様式:方丈は屋根が入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺です。方丈は桁行(けたゆき)21.0メートル・梁間(はりま)18.0メートルです。

【貴重な勅使門(重要文化財)・エリザベス女王の解説】

★概要:勅使門(ちょくしもん)は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日した際に使用されたことで知られています。勅使門は他の門と違って、山内で格式が高い門です。一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。
★歴史:勅使門は1797年(寛政9年)に火災で焼失し、1975年(昭和50年)に妙心寺の塔頭・西源院の唐門(からもん)を移して再建されました。1985年(昭和60年)にこけら葺が全面改修されました。
★様式:勅使門は屋根がこけら葺で、前後に唐破風(からはふ)があります。勅使門には牡丹唐草(ぼたんからくさ)の欄間(らんま)があります。

【庫裏(台所)・朱印場の解説】

★概要:庫裏(くり)は本来台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。なお庫裏には朱印場(御朱印授与所)があり、御朱印「石庭」・御朱印帳「石庭・吾唯足知」などを授与しています。(要確認)
★歴史:庫裏は1797年(寛政9年)に火災によって焼失したが、焼失直後に再建されました。
★様式:庫裏は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。

【蹲踞「吾唯足知」・人気の水戸光圀の解説】

★概要:蹲踞(つくばい)は水戸黄門(みとこうもん)とも言われた徳川光圀(とくがわみつくに)にゆかりがあり、精密なレプリカ(複製)も作られています。蹲踞は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地に置かれています。ちなみに蹲踞のレプリカは方丈裏に置かれています。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清める手水鉢(ちょうずばち)です。蹲踞には「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれています。
★歴史:蹲踞は江戸時代前期に水戸黄門と言われる徳川光圀(水戸光圀(みとみつくに))が歴史書「大日本史」を編纂する際、西源院本「太平記(たいていき)」を借り、お礼として寄進したと言われています。
★意味:「吾唯足知」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しています。

【厳かな仏殿・釈迦如来の解説】

★概要:仏殿は方丈の西側に建立されています。仏殿は天井に武藤彰が墨(すみ)と金泥(きんでい)で描いた「下り龍図」があります。仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。なお仏殿の奥には龍安寺の本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像を安置する昭堂(しょうどう)があります。
★歴史:仏殿は1981年(昭和56年)に再建されました。
★様式:仏殿は屋根が入母屋造の銅板葺(どうばんぶき)です。仏殿は桧造り(ひのきづくり)です。仏殿には樹齢1,000年から1,200年の台湾桧(たいわんひのき)が使われています。

【茶室・蔵六庵の解説】

★概要:茶室・蔵六庵は路地に蹲踞「吾唯足知」が置かれています。蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅(こうら)に隠す亀を表しています。
★歴史:蔵六庵は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されたと言われています。ちなみに蔵六庵はは住持(じゅうじ・住職)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。なお蔵六庵はかつて西源院にあり、明治時代に移されたそうです。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ(龍安寺垣・侘助椿など)

【龍安寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・龍安寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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