龍安寺歴史・見どころ-修学旅行・観光の簡単解説

龍安寺見どころ

龍安寺歴史・見どころ簡単解説

龍安寺歴史・見どころポイントを簡単にまとめて解説しています。龍安寺歴史・見どころ解説。龍安寺で見るべき石庭(特別名勝・史跡)・蹲踞(つくばい)などを解説しています。龍安寺のハイライトである石庭では15個の石がどこから眺めても必ず1個が他の石に隠れるように意図的に配置されています。(龍安寺簡単解説下記参照)

【龍安寺のチェックポイント】
龍安寺のチェックポイントは細川家(細川勝元・細川政元)と応仁の乱です。細川勝元は1450年(宝徳2年)に徳大寺公有から山荘を譲り受け、妙心寺第5世・義天玄詔を開山、妙心寺第4世・日峰宗舜を勧請開山として龍安寺を創建しました。その後銀閣寺の前身である東山山荘・東山殿を造営する室町幕府8代将軍・足利義政の後継者争いなどが要因になり、室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が勃発します。義政には正室・日野富子との間に男子が生まれていなかったことから弟・義尋(足利義視)を還俗させ、次期将軍になることが決定していたが、その後日野富子が義政の嗣子・足利義尚を生み、足利将軍家で後継者争いが起こります。応仁の乱では細川勝元を総大将する東軍と山名宗全を総大将とする西軍が約11年に渡って戦い、龍安寺も1468年(応仁2年)に焼失しました。1473年(文明5年)に山名宗全・細川勝元が相次いで亡くなり、同年12月に義政が嗣子・義尚に将軍職を譲り、1477年(文明9年)に応仁の乱も終息しました。その後1488年(長享2年)から細川勝元の子・細川政元が龍安寺中興の祖・特芳禅傑とともに再興を開始し、1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に石庭も作庭されたとも言われています。ただ江戸時代後期の1797年(寛政9年)に火災によって方丈などの伽藍の多くを焼失しました。

【龍安寺 歴史・簡単概要】 京都世界遺産
大雲山・龍安寺(りょうあんじ)とは平安時代中期の984年(永観元年)に創建され、四円寺(しえんじ(円教寺・円乗寺・円宗寺))に数えられた第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の御願寺(ごがんじ)・円融寺(えんゆうじ)があった場所です。その後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ)を建立しました。龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領(かんれい)・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言(ごんだいなごん)・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)第5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、玄詔の師である妙心寺第4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山として創建しました。
龍安寺歴史(起源・・・)

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【石庭・要点簡単解説 龍安寺】★★★修学旅行・観光必見
最大のハイライトである石庭(方丈庭園)は特別名勝・史跡です。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水(かれさんすい)式庭園です。石庭は白砂を敷いて帚目(ほうきめ)を付け、15個の石を一見無造作に配置しています。石庭は水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。石庭は寺伝によると室町時代後期(戦国時代)の1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に作庭されたとも言われています。また室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。龍安寺は石寺(いしでら)とも言われました。石庭は最大のハイライトで、インスタ映えスポットです。
石庭詳細
(石庭・キーポイント 龍安寺)
●油土塀は最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によって実際よりも広く見えます。ちなみに油土塀は土に菜種油(なたねあぶら)を混ぜて造られています。油土塀の高さに注意深く注目です。
●15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種・チャートも使われています。眺める位置を変え、光景の違いに注目です。じっくり眺め、その意味を考えるのもいいかもしれません。
●作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関係した人物とも言われています。なお作庭者は開山・義天玄承、開基・細川勝元、絵師・相阿弥(そうあみ)、勝元の嫡男・細川政元(ほそかわまさもと)、茶人・金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。
●石は七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また石庭は中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。
●油土塀越しの紅枝垂桜がアクセントになり、桜シーズン・紅葉シーズンは少し違った光景が見られます。

【庭園・要点簡単解説 龍安寺】★★修学旅行・観光必見
ハイライトである庭園は名勝です。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊(ちせんかいゆう)式庭園です。庭園はかつて石庭よりも有名だったそうです。 鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島・伏虎島(ふしとらじま)などがあります。鏡容池はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、それを池泉にしたとも言われています。鏡容池はオシドリの名所だったそうです。龍安寺は鴛鴦寺(おしどりでら)とも言われました。庭園は鏡容池の大きさに注目です。
(庭園・キーポイント 龍安寺)
●鏡容池では弁天島に関白・豊臣秀吉が鏡容池には霊力があるとして礼拝した弁財天を祀っています。鏡容池は古くからパワースポットでした。
●鏡容池は平安時代に名池のひとつに数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんでいたそうです。鏡容池は江戸時代中期の1780年(安永9年)の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」にも紹介されています。鏡容池は古くから知られていた名所でした。
●鏡容池周辺に桜が植えられ、桜シーズンに美しい光景が見られます。またキリシマツツジ・ヒラドツツジ・藤・スイレン・ハス・ハギなども植えられ、春から秋に美しい色どりを添えます。

【方丈・要点簡単解説 龍安寺】★★修学旅行・観光必見
方丈(本堂)は重要文化財です。方丈にはかつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面があったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に売却されました。方丈には南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)の襖絵が飾られています。方丈は室町時代後期(戦国時代)の1499年(明応8年)に建立され、江戸時代後期の1797年(寛政9年)に焼失し、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に織田信長の弟・織田信包(おだのぶかね)が建立した妙心寺の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移して再建されました。方丈はこけら葺(こけらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。方丈は襖絵に注目です。
(方丈・キーポイント 龍安寺)
●方丈は桁行21.0メートル・梁間18.0メートルです。方丈は大きさにも注目です。
●方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置しています。
●西源院は室町幕府管領・細川勝元が徳大寺家から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建立したのが起源とも言われています。
●方丈の外側付近にシャクナゲが植えられ、春に色どりを添えます。

【勅使門・要点簡単解説 龍安寺】★修学旅行・観光必見
勅使門(ちょくしもん)は重要文化財です。勅使門は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に火災で焼失し、1975年(昭和50年)に妙心寺の塔頭・西源院の唐門を移して勅使門が再建されました。勅使門はこけら葺の唐破風(からはふ)です。勅使門は建築様式に注目です。
(勅使門・キーポイント 龍安寺)
●勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日して訪問した際に使われました。勅使門は用途にも注目です。

【庫裏・要点簡単解説 龍安寺】★修学旅行・観光必見
庫裏(くり)は本来台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。庫裏は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に火災で焼失したが、焼失直後に再建されました。庫裏は天井に注目です。
(庫裏・キーポイント 龍安寺)
●庫裏には朱印場(御朱印授与所)があり、御朱印「石庭」・御朱印帳「石庭・吾唯足知」などを授与しています。(要確認)

【山門・要点簡単解説 龍安寺】
山門は竜安寺前の交差点近くで、鏡容池の手前にあります。山門は江戸時代中期の1755年(宝暦5年)の洪水で破損し、その後江戸時代中期に再建されました。山門は切妻造(きりづまづくり)です。

【蹲踞・要点簡単解説 龍安寺】
蹲踞(つくばい)は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地にあります。蹲踞は茶室に入る前に手・口を清める手水鉢(ちょうずばち)です。蹲踞には「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれています。蹲踞は江戸時代前期に水戸黄門と言われる徳川光圀(とくがわみつくに・水戸光圀)が歴史書「大日本史」を編纂する際に西源院本「太平記」を借り、お礼として寄進したと言われています。蹲踞は刻まれている文字に注目です。
(蹲踞・キーポイント 龍安寺)
●「吾唯足知」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しているそうです。蹲踞は意味にも注目しましょう。
●蹲踞のレプリカは方丈裏にあります。レプリカは実物大です。

【仏殿・要点簡単解説 龍安寺】
仏殿は方丈の西にあります。仏殿は檜造り(ひのきづくり)です。仏殿の天井には墨と金泥(きんでい)で描かれた龍があります。仏殿は1981年(昭和56年)に再建されました。仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。仏殿は龍に注目です。
(仏殿・キーポイント 龍安寺)
●仏殿の奥には本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像を安置する昭堂があります。

【蔵六庵・要点簡単解説 龍安寺】
茶室・蔵六庵は住持(じゅうじ・住職)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。蔵六庵は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されました。かつての蔵六庵は西源院にあり、明治時代に移されたそうです。蔵六庵の露地に「吾唯足知」と刻まれた蹲踞があります。
(蔵六庵・キーポイント 龍安寺)
●蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅に隠す亀を表すそうです。

●上記以外の龍安寺見どころは下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ

【龍安寺見どころ解説以外の情報】
龍安寺基本情報

【龍安寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・龍安寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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