龍安寺の見どころ完全ガイド|石庭などの観光スポット解説

龍安寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット
龍安寺は世界遺産に登録された京都屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。龍安寺には枯山水式の石庭をはじめ、池泉回遊式の庭園、エリザベス女王が使用した勅使門など多彩な見どころが揃っています。このページでは国宝・重要文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。
【石庭(特別名勝・史跡)の見どころ解説|龍安寺最大の見どころ】
石庭は龍安寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。石庭は江戸時代に「都林泉名勝図会(みやこりんせんこめいしょずえ)」に紹介され、現在は世界中に「ロックガーデン」として知られ、禅寺である龍安寺の象徴で、龍安寺の中で一番写真・SNS映えします。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水(かれさんすい)式の名園です。白砂を敷いて帚目(はけめ)を付け、15個の石が一見無造作に配置されています。15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように配置され、「不完全さ」を表すとも言われ、神秘性があります。場所を変えて眺めると石庭の真髄に近付けるかもしれません。龍安寺は石寺(いしでら)と言われたのが豆知識です。
★石庭は寺伝によると1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に作庭されたとも言われています。また応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。
★石庭の作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関わった人物と言われています。作庭者には義天玄承(ぎてんげんしょう)、細川勝元(ほそかわかつもと)、相阿弥(そうあみ)、細川政元(ほそかわまさもと)、金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。
★石庭は油土塀に最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によるトリックで実際よりも広く見えます。また水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。石庭は石が七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。
【庭園(名勝)の見どころ解説|池泉回遊式の名園】
庭園は江戸時代に「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に紹介された観光名所で、かつて石庭よりも有名だったこともあり、訪れるべきスポットです。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の名園です。鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島(べんてんじま)・伏虎島(ふしとらじま)などがあり、周辺に桜・キリシマツツジ・ヒラドツツジ・藤・スイレン(睡蓮)・ハス(蓮)・萩などが植えられ、四季折々に美し光景が見られます。鏡容池はオシドリの名所で、鏡容池がおしどり池、龍安寺が鴛鴦寺(おしどりでら)と言われたのが豆知識です。
★鏡容池はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、その後池泉に改修されたと言われています。鏡容池は平安時代に名池に数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんだと言われています。桃山時代に関白・豊臣秀吉が鏡容池に霊力があるとし、礼拝していた弁財天(べんざいてん)を弁天島に祀りました。
【方丈(重要文化財)の見どころ解説|龍安寺の中心的堂宇】
方丈は龍安寺の中心的堂宇で、石庭の鑑賞席を兼ねています。方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)像を安置し、南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた「龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)」の襖絵が飾られています。かつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面が飾られていたが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で売却されました。
★方丈は1499年(明応8年)に建立されたが、1797年(寛政9年)に焼失しました。現在の方丈は1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が妙心寺(みょうしんじ)の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈として建立し、寛政年間(1789年~1801年)に移築されました。
★方丈は正面約21.0メートル・奥行き約18.0メートルで、屋根が入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺です。
【勅使門(重要文化財)の見どころ解説|エリザベス女王使用】
勅使門は龍安寺の中で格式が高い門です。勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日した際、石庭を拝観する為に使用しました。「女王が通った門」として、人気の撮影スポットです。
★勅使門は1797年(寛政9年)に焼失しました。現在の勅使門は妙心寺の塔頭・西源院の唐門(からもん)として建立され、1975年(昭和50年)に移築されました。
★勅使門はこけら葺で、前後に唐破風(からはふ)があります。牡丹唐草(ぼたんからくさ)の欄間(らんま)もあります。
【知足の蹲踞の見どころ解説|水戸黄門寄進】
知足の蹲踞(つくばい)は江戸時代前期に水戸黄門(みとこうもん)とも言われた徳川光圀(とくがわみつくに・水戸光圀))が歴史書「大日本史(だいにほんし)」を編纂する際、西源院本「太平記(たいていき)」を借り、お礼として寄進したと言われています。知足の蹲踞は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地に置かれ、精密なレプリカが方丈北側に置かれています。知足の蹲踞は茶室に入る前に手や口を清める手水鉢(ちょうずばち)です。
★知足の蹲踞に刻まれている「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しています。
【茶室・蔵六庵の見どころ解説|知足の蹲踞】
茶室・蔵六庵は路地に蹲踞「吾唯足知」が置かれています。蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅(こうら)に隠す亀を表しています。
★蔵六庵は住持(じゅうじ・住職)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。明治時代に西源院から移築されたが、1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されたと言われています。
【仏殿の見どころ解説|「下り龍図」】
仏殿には歴代天皇の尊牌や歴代住持(住職)位牌が安置され、厳粛な雰囲気に包まれています。天井に武藤彰が墨(すみ)と金泥(きんでい)で描いた「下り龍図」があり、見どころになっています。仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。
★仏殿は1797年(寛政9年)に焼失し、1981年(昭和56年)に再建されました。
★仏殿は桧造り(ひのきづくり)で、樹齢1,000年から1,200年の台湾桧(たいわんひのき)が使われています。屋根は入母屋造の銅板葺(どうばんぶき)です。
【庫裏の見どころ解説|朱印場(御朱印授与所)】
庫裏(くり)は元々台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。庫裏には朱印場があり、御朱印「石庭」・御朱印帳「石庭・吾唯足知」などを授与しています。(要確認)
★庫裏は1797年(寛政9年)に火災で焼失したが、焼失直後に再建されました。
★庫裏は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ(龍安寺垣・侘助椿など)
【龍安寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
●住所:京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
●アクセス:バスの「竜安寺前」下車徒歩すぐ、または「立命館大学前」下車徒歩約7分、京福電鉄北野線の「龍安寺駅」下車徒歩約7分
*参考・・・龍安寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

















