金閣寺見どころの簡単まとめ-金閣・庭園(特別名勝・特別史跡)

金閣寺見どころ(Kinkaku-ji Temple)

金閣寺見どころの修学旅行・観光ガイド

金閣寺見どころを簡単にまとめてポイント解説します。見どころには室町幕府3代将軍・足利義満が建て、再建された最大のハイライトである金閣や貴重な鳳凰・不動堂・美しい庭園(特別名勝・特別史跡)などがあります。また方丈庭園・方丈・大書院・庫裏・夕佳亭・龍門滝・銀河泉・厳下水などの見どころもあります。(個別解説下記参照)

【金閣(舎利殿)・釈迦如来-見どころ】

金閣は金閣寺で絶対見る価値がある最大のハイライトです。金閣は古くから人気の観光名所で、美しい煌びやかさに目を奪われ、言葉を失うような存在です。金閣は季節・時間・天候などに関わらず美しいが、雪景色は絶景とも言われています。金閣は鏡湖池とのコラボにより、美しい情景が生み出され、インスタ映えします。

  • 概要:金閣は木造3階建て(二重三階)の楼閣(ろうかく)建築です。金閣は仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)を祀る舎利殿で、3階に仏舎利が納められました。ちなみに1階に宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)像と足利義満像、2階に岩屋観音(いわやかんのん)像と四天王(してんのう)像を安置しています。1階は素木(しらき)仕上げ、2階は外面が金箔(きんぱく)張り、3階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。かつては3階だけに金箔が残っていました。1階は法水院(ほうすいいん)、2階は潮音洞(ちょうおんどう)、3階は究竟頂(くっきょうちょう)と言われています。金閣には第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)宸筆の扁額「究竟頂」が掛けられています。なお金閣は銀閣寺の銀閣・西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)とともに京の三閣と言われています。
  • 歴史:金閣は1950年(昭和25年)に放火事件で焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。明治時代の解体・修理の際に作成された図面・写真などに基づいて再建されました。ちなみに金閣は1398年(応永5年)に開基・足利義満が建てました。なお2020年(令和2年)9月から12月に2階・3階の葺き替えが行われました。
  • 仏舎利:足利義満は「東寺百合文書(足利義満自筆仏舎利奉請状)」に「愚老」と記され、1406年(応永13年)9月10日に東寺の仏舎利から8粒を貰い受けたことが記されています。なお東寺の仏舎利は弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が長安(中国)・青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)から直接授けられたものです。
  • 金閣の金箔:金閣は1955年(昭和30年)の再建時に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)使用されました。その後の修復では20万枚(20キロ)使用され、総額約7億4千万円掛かりました。2020年(令和2年)に面積約320平方メートルの屋根が約10万枚のサワラ(椹)の薄板が葺き替えられ、その際に約10センチ角の金箔約1万枚を使って、鳳凰や傷んでいた軒下の金箔も補修されました。
  • 様式:金閣は宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。金閣は1階が寝殿造(しんでんづくり)、2階が武家造(ぶけづくり)、3階が禅宗仏殿造(ぜんしゅうぶつでんづくり)です。
  • 構造ポイント:金閣は1階と2階が同じ大きさだが、3階が一回り小さくなっています。1階には船着場と池に突き出した漱清(そうせい・釣殿(つりどの)があります。
  • 豆知識:金閣はかつては舎利殿・重々殿閣・三重殿閣などと言われ、1484年(文明16年)以降に金閣の名称が見られるようになりました。
  • 放火事件:1950年(昭和25年)7月2日未明に21歳の学僧が放火し、貴重な旧国宝だった金閣は足利義満坐像(国宝)などとともに焼失しました。放火は三島由紀夫作の小説「金閣寺」の題材になりました。
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【室町時代制作の鳳凰(京都市指定文化財)-見どころ】

  • 概要:鳳凰は南向きに取り付けられていたが、明治時代の解体・修理の際に尾が破損して取り外されました。現在の鳳凰は2代目で、1987年(昭和62年)から取り付けられています。
  • 歴史:鳳凰は室町時代に制作され、金閣創建時のもので唯一残された貴重なものと言われています。鳳凰は第100代・後小松天皇宸筆の扁額「究竟頂」とともに放火事件による焼失を免れました。鳳凰は歴史が魅力です。
  • 様式:鳳凰は高さ3.22尺(約1メートル)です。鳳凰は銅製で金箔が施されていました。

【不動堂・不動明王立像(重要文化財)-見どころ】

不動堂は金閣寺で見る価値があるハイライトです。不動堂は美しく煌びやかな金閣とは対照的な落ち着いた建物だが、境内の中で最古の建物と言われています。不動堂は江戸時代から人気の庶民信仰の名所でした。1年に2回だけ貴重な開扉法要が行われます。

  • 概要:不動堂は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)作とも言われている本尊(秘仏)・石不動明王(ふどうみょうおう)と鎌倉時代に造仏された不動明王立像(重要文化財)を安置しています。不動明王立像は西園寺護摩堂の本尊だった言われています。
  • 歴史:不動堂は天正年間(1573年~1592年)に豊臣政権の五大老だった宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建しました。
  • 様式:不動堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
  • 豆知識:不動堂は石室壁面に「康永元(1342年)暮秋下旬」・「康永二(1343年)」・「兵衛五郎」・「南無不動明王」などの線刻が刻まれてることが判明しました。
  • 行事:不動堂では例年節分(立春の前日)・五山送り火の日(8月16日)に開扉法要が行われています。

【庭園(特別名勝・特別史跡)・池泉回遊式庭園-見どころ】

庭園は金閣に次いで、見る価値があるハイライトです。庭園にはカキツバタ(杜若)・モミジなどの植物が植えられ、四季折々に美しい情景が眺められます。また庭園は金閣とのコラボにより、目を奪われ、言葉を失うような美しい絶景を生み出します。鏡湖池周辺を散策し、場所・角度を変えて庭園と金閣を眺めましょう。

  • 概要:庭園は衣笠山(きぬがさやま)を借景に鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式庭園です。庭園は面積約2万8千坪で、鏡湖池だけでも面積約2千坪もあります。鏡湖池には葦原島(あしはらじま)・鶴島・亀島などの島や細川石・畠山石・赤松石などの奇岩名石があります。奇岩名石は開基・足利義満に取り入ろうとした諸大名が贈ったと言われています。
  • 歴史:庭園は西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山殿を造営した際に作庭され、足利義満が鏡湖池を中心に大きく改修したと言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際に樹木などが伐採されて荒廃し、天文年間(1532年~1555年)に西笑承兌(さいしょうしょうたい)が入寺し、その後修復されたと言われています。江戸時代後期に作庭当初の池泉に戻されたが、その後現在のように改修されたと言われています。
  • 島:鏡湖池には10個の島があります。島には最大の葦原島・淡路島、そして5つの亀島と3つの鶴島があります。鶴島・亀島が対峙する配置は最古の例とも言われています。
  • 奇岩名石:奇岩名石には管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)が贈り、葦原島から突き出た細川石、管領・畠山氏が贈り、2つの岩を重ねて富士山を象った畠山石、管領に次ぐ侍所長官だった播州・赤松義則(あかまつよしのり)が贈った赤松石があります。また庭園には釈迦と両脇侍(わきじ)の三尊を表した3組の三尊石(さんぞんせき)、須弥山(しゅみせん)を囲む九つの山と八つの海を表した九山八海石(くせんはっかいせき)、4つの石が一直線上に並ぶ夜泊石(よどまりいし)もあります。なお九山八海石は足利義満が遣明船で、明(中国)の太湖(たいこ)から運ばせたとも言われています。また九山八海石は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよしが聚楽第(じゅらくてい)を造営した際の石狩りを免れたとも言われています。
  • 「逆さ金閣」:鏡湖池は鏡のように美しい金閣を映し出すことから名付けられ、鏡湖池に映し出された金閣は「逆さ金閣」と言われています。

【方丈庭園・相阿弥-見どころ】

方丈庭園は金閣寺で見逃せない存在で、チャンスがあれば拝観しましょう。

  • 概要:方丈庭園は方丈の前にあり、女龍(めりゅう)石・布袋(ほてい )石・走馬(そうま)石・蟠龍(ばんりゅう)石・露盤(ろばん)石などが配されています。方丈庭園は通常非公開だが、特別公開される場合があります。
  • 歴史:方丈庭園は室町時代に絵師・連歌師・鑑定家である相阿弥(そうあみ)が作庭したと言われています。

【方丈(本堂)・聖観世音菩薩像-見どころ】

方丈は金閣寺で見逃せない存在で、チャンスがあれば拝観しましょう。方丈は金閣寺の本尊・聖観世音菩薩や重要人物である夢窓国師像・足利義満像を安置する重要な建物です。

  • 概要:方丈(客殿)は金閣寺の本堂に相当する建物です。方丈は仏間に本尊・聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)像を安置しています。また開山・夢窓国師(むそうこくし)像や開基・足利義満像も安置しています。方丈には檀那(だんな)の間・室中(しっちゅう)・礼(らい)の間・上間後室・仏間・下間後室があります。なお方丈には石踊達哉(いしおどりたつや)・森田りえ子が描いた美しい杉戸絵も飾られています。
  • 歴史:方丈は1602年(慶長7年)に建立されたが、その後1678年(延宝6年)に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の寄進によって再建されました。2005年(平成17年)から2007年(平成19年)に解体修理が行われました。
  • 様式:方丈は屋根が入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。

【大書院・伊藤若冲-見どころ】

大書院は金閣寺で見逃せない存在で、チャンスがあれば拝観しましょう。承天閣美術館を訪れ、伊藤若冲の障壁画も鑑賞しましょう。

  • 概要:大書院には一の間・二の間・三の間・四の間・狭屋(さや)の間があります。大書院には日本画家・加藤東一(かとうとういち)が描いた美しい淡墨桜(うすずみざくら)図などが飾られています。
  • 歴史:大書院は貞享年間(1684年~1687年)に建立されたと言われています。300年以上の歴史があります。
  • 伊藤若冲:大書院には1759年(宝暦9年)に「奇想派」・「奇想の絵師」と言われた絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が描いた息をのむような美しい障壁画(重要文化財)が飾られていました。障壁画は現在、承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)に移されています。

【庫裏(台所)・煙出し-見どころ】

  • 概要:庫裏(くり)は本来金閣寺の台所です。庫裏は吹き抜けで、屋根に煙出しがあります。庫裏には土間と板の間があります。庫裏は1987年(昭和62年)まで宿坊として使われていたが、現在は写経に使われています。
  • 歴史:庫裏は1835年(天保6年)頃に再建されたとも言われています。また庫裏は明応・文亀年間(1492年~1504年)に建立されたとも言われています。
  • 様式:庫裏は屋根が切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺です。

【茶室・夕佳亭・「南天の床柱」-見どころ】

茶室・夕佳亭は金閣寺で見逃せない存在です。珍しい「南天の床柱」を確認しましょう。

  • 概要:茶室・夕佳亭(せっかてい)は江戸時代に第108代・後水尾天皇を金閣寺に迎える為に建てられたと言われています。夕佳亭の名称は眼下の美しい金閣が夕日に映える景色がことに佳(よ)いことから名付けられたと言われています。夕佳亭近くには室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が愛用したと言われる石燈籠(いしとうろう)・富士形の手水鉢(ちょうずばち)・貴人橸(きじんとう)があります。
  • 歴史:夕佳亭は1868年(明治元年)に焼失し、1874年(明治7年)に再建されました。1997年(平成9年)に解体修理が行われました。
  • 様式:夕佳亭は宗和流茶道の祖・金森宗和(かなもりそうわ)好みと言われています。夕佳亭は寄棟造(よせむねづくり)の茅葺(かやぶき)です。夕佳亭は床柱(とこばしら)に茶室では珍しい南天(なんてん)が使われ、「南天の床柱」と言われています。

【龍門滝(龍門瀑)-見どころ】

  • 概要:龍門滝(りゅうもんたき)は高さ約2.3メートルです。龍門滝は滝の下に鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。鯉魚石は鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事・登竜門(とうりゅうもん)に因んで置かれているそうです。龍門滝は龍門瀑(りゅうもんばく)とも言われています。

【足利義満ゆかりの銀河泉・厳下水-見どころ】

銀河泉・厳下水は金閣寺で見る価値があるハイライトです。銀河泉・厳下水は足利義満が使用したと言われ、当時を偲びましょう。

  • 銀河泉:銀河泉(ぎんがせん)は開基・足利義満がお茶の水に使ったと言われています。銀河泉は現在もこんこんと清冽(せいれつ)なる湧水が湧き出しています。
  • 厳下水:厳下水(がんかすい)は足利義満が手洗いに使ったと言われています。厳下水は石に囲まれ、小さな茅葺き屋根に覆われています。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
金閣寺見どころ(荼枳尼天・浄蔵貴所の墓など)

【金閣寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・金閣寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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