金閣寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

金閣寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
金閣寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには京の三閣に数えられる金閣、足利義満が改修した庭園(特別名勝・特別史跡)、弘法大師・空海作と言われる石不動明王を祀る不動堂などがあります。また鳳凰・夕佳亭・銀河泉なども見逃せません。
【京の三閣に数えられる金閣の見どころ解説】
★金閣は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。写真映えして人気もあります。金閣は木造3階建て(二重三階)の楼閣(ろうかく)建築です。金閣は仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)を祀る舎利殿で、3階に仏舎利が納められました。1階に宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)像と足利義満(あしかがよしみつ)像、2階に岩屋観音(いわやかんのん)像と四天王(してんのう)像を安置しています。1階は素木(しらき)仕上げ、2階は外面が金箔(きんぱく)張り、3階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。かつては3階だけに金箔が残っていました。1階は法水院(ほうすいいん)、2階は潮音洞(ちょうおんどう)、3階は究竟頂(くっきょうちょう)と言われています。金閣には第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)宸筆の扁額「究竟頂」が掛けられています。なお金閣は銀閣・西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)とともに京の三閣に数えられています。
★旧国宝だった金閣の歴史は1398年(応永5年)に足利義満が創建したが、1950年(昭和25年)7月2日未明に21歳の学僧による放火により、足利義満坐像(国宝)などとともに焼失しました。放火事件は三島由紀夫作の小説「金閣寺」の題材になりました。その後1955年(昭和30年)に明治時代の解体・修理の際に作成された図面・写真などに基づいて再建されました。2020年(令和2年)9月から12月に2階・3階の葺き替えが行われました。
★金閣の建築様式は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。金閣は1階が寝殿造(しんでんづくり)、2階が武家造(ぶけづくり)、3階が禅宗仏殿造(ぜんしゅうぶつでんづくり)です。金閣は1階と2階が同じ大きさだが、3階が一回り小さくなっています。1階には船着場と池に突き出した漱清(そうせい・釣殿(つりどの)があります。
★足利義満は「東寺百合文書(足利義満自筆仏舎利奉請状)」に「愚老」と記され、1406年(応永13年)9月10日に東寺の仏舎利から8粒を貰い受けたことが記されています。東寺の仏舎利は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師・空海が長安(中国)・青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)から直接授けられたものです。
★金閣はかつては舎利殿・重々殿閣・三重殿閣などと言われ、1484年(文明16年)以降に金閣の名称が見られるようになりました。
★金閣は1955年(昭和30年)の再建時に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)使用されました。その後の修復では20万枚(20キロ)使用され、総額約7億4千万円掛かりました。2020年(令和2年)に面積約320平方メートルの屋根が約10万枚のサワラ(椹)の薄板が葺き替えられ、その際に約10センチ角の金箔約1万枚を使って、鳳凰や傷んでいた軒下の金箔も補修されました。
【鳳凰(市指定文化財)の見どころ解説】
★鳳凰は金閣の屋根に南向きに取り付けられていたが、明治時代の解体・修理の際に尾が破損して取り外されました。1987年(昭和62年)から2代目の鳳凰が取り付けられています。
★鳳凰の歴史は室町時代(1336年~1573年)に制作され、金閣創建時のもので唯一残されたものと言われています。鳳凰は第100代・後小松天皇宸筆の扁額「究竟頂」とともに放火事件による焼失を免れました。
★鳳凰は高さ3.22尺(約1メートル)です。鳳凰は銅製で金箔が施されていました。
【空海作の石不動明王を祀る不動堂の見どころ解説】
★不動堂は修学旅行・観光で見る価値があります。不動堂は江戸時代(1603年~1868年)から人気の庶民信仰の名所です。不動堂は弘法大師・空海作とも言われている本尊(秘仏)・石不動明王(ふどうみょうおう)と鎌倉時代(1185年~1333年)に造仏された不動明王立像(重要文化財)を安置しています。不動明王立像は西園寺護摩堂の本尊だった言われています。なお不動堂では例年節分(立春の前日)・五山送り火の日(8月16日)に開扉法要が行われています。
★不動堂の歴史は天正年間(1573年~1592年)に豊臣政権の五大老だった宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建しました。不動堂は境内最古の建物と言われています。
★不動堂の建築様式は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
★不動堂は石室壁面に「康永元(1342年)暮秋下旬」・「康永二(1343年)」・「兵衛五郎」・「南無不動明王」などの線刻が刻まれてることが判明しました。
【足利義満改修と言われる庭園(特別名勝・特別史跡)の見どころ解説】
★庭園は金閣に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。庭園は衣笠山(きぬがさやま)を借景に鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式の名園です。庭園は面積約2万8千坪で、鏡湖池だけでも面積約2千坪もあります。鏡湖池には葦原島(あしはらじま)などの島や細川石などの奇岩名石があります。なお鏡湖池には美しい金閣を映し出され、「逆さ金閣」と言われています。
★庭園の歴史は西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山殿を造営した際に作庭され、足利義満が鏡湖池を中心に改修したと言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際に樹木などが伐採されて荒廃し、天文年間(1532年~1555年)に西笑承兌(さいしょうしょうたい)が入寺して修復したと言われています。江戸時代(1603年~1868年)後期に作庭当初の池泉に戻されたが、その後現在のように改修されたと言われています。
★鏡湖池には10個の島があります。島には最大の葦原島・淡路島、そして5つの亀島と3つの鶴島があります。鶴島・亀島が対峙する配置は最古の例とも言われています。
★奇岩名石は足利義満に取り入ろうとした諸大名が贈ったと言われています。管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)が贈り、葦原島から突き出た細川石、管領・畠山氏が贈り、2つの岩を重ねて富士山を象った畠山石、管領に次ぐ侍所長官だった播州・赤松義則(あかまつよしのり)が贈った赤松石があります。また庭園には釈迦と両脇侍(わきじ)の三尊を表した3組の三尊石(さんぞんせき)、須弥山(しゅみせん)を囲む九つの山と八つの海を表した九山八海石(くせんはっかいせき)、4つの石が一直線上に並ぶ夜泊石(よどまりいし)もあります。なお九山八海石は足利義満が遣明船で、明(中国)の太湖(たいこ)から運ばせたとも言われています。また九山八海石は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよしが聚楽第(じゅらくてい)を造営した際の石狩りを免れたとも言われています。
【相阿弥作庭と言われる方丈庭園の見どころ解説】
★方丈庭園は方丈の前にあり、女龍(めりゅう)石・布袋(ほてい )石・走馬(そうま)石・蟠龍(ばんりゅう)石・露盤(ろばん)石などが配されています。方丈庭園は通常非公開だが、特別公開される場合があります。
★方丈庭園の歴史は室町時代(1336年~1573年)に絵師・連歌師・鑑定家である相阿弥(そうあみ)が作庭したと言われています。
【金閣寺の本堂である方丈の見どころ解説】
★方丈(客殿)は金閣寺の本堂で、仏間に本尊・聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)像を安置しています。また夢窓国師(むそうこくし)像や足利義満像も安置しています。方丈には檀那(だんな)の間・室中(しっちゅう)・礼(らい)の間・上間後室・仏間・下間後室があります。なお方丈には石踊達哉(いしおどりたつや)・森田りえ子が描いた美しい杉戸絵も飾られています。
★方丈の歴史は1602年(慶長7年)に建立されたが、その後1678年(延宝6年)に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の寄進によって再建されました。2005年(平成17年)から2007年(平成19年)に解体修理が行われました。
★方丈の建築様式は屋根が入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
【伊藤若冲が描いた障壁画があった大書院の見どころ解説】
★大書院には一の間・二の間・三の間・四の間・狭屋(さや)の間があります。大書院には日本画家・加藤東一(かとうとういち)が描いた淡墨桜(うすずみざくら)図などが飾られています。
★大書院の歴史は貞享年間(1684年~1687年)に建立されたと言われています。
★大書院には1759年(宝暦9年)に「奇想派」・「奇想の絵師」と言われた絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が描いた障壁画(重要文化財)が飾られていたが、現在は承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)に移されています。
【煙出しがあり、台所だった庫裏の見どころ解説】
★庫裏は本来、台所です。庫裏には土間と板の間があり、吹き抜けで屋根に煙出しがあります。庫裏は1987年(昭和62年)まで宿坊として使われていたが、現在は写経に使われています。
★庫裏の歴史は1835年(天保6年)頃に再建されたとも言われています。また庫裏は明応・文亀年間(1492年~1504年)に建立されたとも言われています。
★庫裏の建築様式は屋根が切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺です。
【「南天の床柱」がある茶室・夕佳亭の見どころ解説】
★茶室・夕佳亭(せっかてい)は江戸時代(1603年~1868年)前期に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)を迎える為に建てられたと言われています。夕佳亭の名称は眼下の美しい金閣が夕日に映える景色がことに佳(よ)いことから名付けられたと言われています。夕佳亭近くには足利義政が愛用したと言われる石燈籠(いしとうろう)・富士形の手水鉢(ちょうずばち)・貴人橸(きじんとう)があります。
★夕佳亭の歴史は1868年(明治元年)に焼失し、1874年(明治7年)に再建されました。1997年(平成9年)に解体修理が行われました。
★夕佳亭の建築様式は宗和流茶道の祖・金森宗和(かなもりそうわ)好みと言われています。夕佳亭は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の茅葺(かやぶき)です。夕佳亭は床柱(とこばしら)に茶室では珍しい南天(なんてん)が使われ、「南天の床柱」と言われています。
【登竜門に因んだ龍門滝(龍門瀑)の見どころ解説】
★龍門滝(りゅうもんたき)は高さ約2.3メートルです。龍門滝は滝の下に鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。鯉魚石は鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事・登竜門(とうりゅうもん)に因んで置かれているそうです。龍門滝は龍門瀑(りゅうもんばく)とも言われています。
【足利義満ゆかりの銀河泉・厳下水の見どころ解説】
★銀河泉(ぎんがせん)・厳下水(がんかすい)は湧き出る湧水で、足利義満が使用したと言われています。
★銀河泉は足利義満がお茶の水に使ったと言われています。銀河泉は現在もこんこんと清冽(せいれつ)なる湧水が湧き出しています。
★厳下水は足利義満が手洗いに使ったと言われています。厳下水は石に囲まれ、小さな茅葺き屋根に覆われています。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
金閣寺見どころ(荼枳尼天・浄蔵貴所の墓など)
【金閣寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
金閣寺は1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」に登録されました。
*参考・・・金閣寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ



















