金閣寺の見どころ2-修学旅行・観光の簡単解説
金閣寺の見どころは安民沢・北山大塔跡・常足亭・門・荼枳尼天・浄蔵貴所の墓など
金閣寺の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには白蛇の塚がある安民沢、七重塔が建立されていた北山大塔跡、常足亭、門(黒門・総門・唐門)、古廟榊雲、荼枳尼天、浄蔵貴所の墓、舟形石などがあります。(個別解説下記参照)
●金閣(舎利殿)・不動堂・庭園(特別名勝・特別史跡)などの金閣寺見どころは下記リンクから確認することができます。
金閣寺見どころ(金閣・不動堂など)
【金閣寺の歴史・簡単概要】
北山(ほくざん)・金閣寺(きんかくじ)は正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)と言います。金閣寺は鎌倉時代前期の1224年(元仁元年)に公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山殿(きたやまてい)を造営し、氏寺・西園寺を創建したと言われている場所です。室町時代前期の1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換によって山荘・北山殿を譲り受けて御所・北山殿(きたやまどの)を造営しました。1420年(応永27年)に夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、舎利殿(しゃりでん)を中心に禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の寺号は義満の法号「鹿苑院殿(鹿苑院天山道義(ろくおんいんてんざんどうぎ))」に由来しています。
金閣寺歴史(起源・・・)
【白蛇の塚がある安民沢】
- 概要:安民沢(あんみんたく)は鏡湖池背後の山の山腹にあり、鏡湖池の水源になっています。安民沢は鏡湖池の半分ほどの大きさがあります。安民沢には白蛇を祀った五輪の石塔・白蛇の塚があり、パワースポットになっています。
- 歴史:白蛇の塚は西園寺家の鎮守だったと言われています。白蛇は古くから水神である弁天様の使いとされています。
- 別名:安民沢は雨賜沢(うしたく)・望雲沢(ぼううんたく)とも言われ、雨乞いの場所だったそうです。
【七重塔が建立されていた北山大塔跡】
- 概要:北山大塔(七重塔)跡は金閣寺境内北東に位置しています。2016年(平成28年)7月に15世紀初頭の溝跡から金メッキが施された青銅(せいどう)製の破片が3個出土しました。最大のものは横幅約37.4センチ・高さ約24.6センチ・厚さ約1.5センチ・重さ約8.2キロで、復元すると相輪・九輪(くりん)は直径約2.4メートルになり、巨大な塔のものだった言われています。
- 歴史:室町幕府3代将軍・足利義満は1399年(応永6年)に本山・相国寺(しょうこくじ)に高さ110メートル(360尺)と言われる七重塔を建立したが、1403年(応永10年)に落雷で焼失し、翌1404年(応永11年)に金閣寺の前身である北山殿に高さ110メートル(360尺)と言われる北山大塔の建立を開始し、立柱の儀が行われたが、伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさ しんのう)の日記「看聞日記(かんもんにっき)」に「北山大塔は七重で、落雷で燃え、僧らが懸命に消火したが焼失した」と記され、1416年(応永23年)に落雷で未完のまま焼失したと言われています。北山大塔の焼失後に室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)が相国寺に七重大塔の再建を命じたと言われています。
【西園寺家由来の梵鐘を釣る鐘楼】
- 概要:鐘楼(しょうろう)は西園寺家由来の梵鐘(ぼんしょう)を釣っています。梵鐘は音色が黄鐘調(おうしきちょう)と言われています。鐘楼では有料で梵鐘を撞くこともできます。(要確認)
- 歴史:鐘楼は1955年(昭和30年)に再建されました。梵鐘は鎌倉時代前期に鋳造されました。
【いつでも解体・組み立てられる常足亭】
- 概要:常足亭(じょうそくてい)は境内にあった常足亭を解体し、2007年(平成19年)にその古材を床柱・框(かまち)に使って建てられました。常足亭は釘を一本も使わない工法で建てられ、いつでも解体・組み立てられるようにできています。常足亭は通常非公開です。
【黒門・総門・唐門などの門】
- 概要:門には参道の入り口にある黒門、受付に通じる総門、方丈(客殿)近くの唐門(からもん)があります。総門は丸瓦(まるがわら)に五七桐(ごしちのきり)が刻まれ、天皇家から移されたとも言われています。唐門は正面に唐破風(からはふ)があることから向唐門(むかいからもん)と言われています。
【春日明神を祀る鎮守の古廟榊雲】
- 概要:古廟榊雲(こびょうしんうん)は小さな社(やしろ)で、鎮守・春日明神(かすがみょうじん)を祀っています。春日明神を祀る奈良・春日大社(かすがたいしゃ)は西園寺家に繋がる藤原氏とゆかりがあります。
【虎渓三笑に由来する虎渓橋(石橋)】
- 概要:虎渓橋(こけいきょう)は両側を竹垣に囲まれた小さな石橋で、石段に続いています。虎渓橋は中国の故事・虎渓三笑(こけいさんしょう)に由来しています。虎渓三笑は安居禁足(あんきょきんそく)の誓いを立てた虎渓を知らぬまに渡り、3人で大笑したというものです。
【商売繁盛のご利益がある荼枳尼天】
- 概要:荼枳尼天(だきにてん)は不動堂の東に祀られている小さな祠(ほこら)で、鎮守とも言われています。なお本山・相国寺には荼枳尼天が宗旦稲荷(そうたんいなり)として祀られています。
- ご利益:荼枳尼天は元々夜叉(やしゃ)神だったが、中世以降に繁栄の神とされる稲荷神(いなりのかみ)と混同・習合し、商売繁盛のご利益があるとも言われています。
【平安時代の呪術僧・憎浄蔵貴所の墓】
- 概要:浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の墓は受付の東にあります。浄蔵貴所は平安時代の呪術僧(じゅじゅつそう)で、五重塔・八坂の塔(法観寺(ほうかんじ)の五重塔)が傾いた際に元に戻したとも、一条戻橋(いちじょうもどりばし)で亡くなった父を一時的に生き返らせ、一条戻橋の名称由来になったとも言われています。
【一文字蹲踞である舟形石】
- 概要:舟形石(手水鉢(ちょうずばち)・一文字蹲踞(いちもんじつくばい))は総門近くにあります。かつて総門近くにあった馬小屋に置かれていたとも言われています。舟形石は元々馬が水を飲む為の水槽だったとも言われています。舟形石は花崗岩(かこうがん)製です。
【京都三松に数えられる陸舟の松】
- 概要:陸舟の松(りくしゅうのまつ)は開基・足利義満の盆栽を帆掛け舟に見立てて仕立てられたと言われています。陸舟の松は舟先が西に向けられ、浄土思想(じょうどしそう)を表しているとも言われています。なお美しい陸舟の松は善峯寺(よしみねでら)の游竜の松(ゆうりゅうのまつ)・宝泉院(ほうせんいん)の五葉の松とともに京都三松と言われています。
- 歴史:陸舟の松は足利義満お手植えで、樹齢約600年とも言われています。足利義満は1408年(応永15年)に亡くなりました。
【竹垣の一種である金閣寺垣】
- 概要:金閣寺垣は茶室・夕佳亭付近にある美しい竹垣です。金閣寺垣は縦も横も丸竹を使った四つ目垣(小竹垣)の変形種で、竹垣の高さが低いのが特徴です。
【第108代・後水尾天皇のお手植えとも言われる胡蝶侘助】
- 概要:胡蝶侘助(こちょうわびすけ)は方丈庭園に植えられています。胡蝶侘助は第108代・後水尾天皇のお手植えとも言われています。胡蝶侘助は例年3月中旬頃から4月上旬頃に見ごろを迎え、美しい花を咲かせます。なお胡蝶侘助は大徳寺の塔頭(たちゅ)・総見院(そうけんいん)に次ぐ大きさとも言われています。
【櫟樫(京都の自然200選)】
- 概要:櫟樫(京都市の天然記念物)は江戸時代初期に山内の伽藍が整備された際に植えられたと言われています。櫟樫は京都の自然200選に選ばれています。なお櫟樫は関東南部以西の本州・四国・九州に分布しています。
【秋の紅葉・見ごろ】
- 概要:金閣寺は紅葉の名所です。山内にはカエデなどが分布しています。紅葉は例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎えます。
【春のカキツバタ・見ごろ】
- 概要:金閣寺はカキツバタ(杜若)の名所です。カキツバタは鏡湖池の池畔に植えられています。カキツバタは例年5月上旬頃から5月下旬頃に見ごろを迎えます。なおカキツバタは湿地に群生するアヤメ科アヤメ属の植物です。
【節分・8月16日に行われる不動堂開扉法要】
- 概要:不動堂開扉法要(秘仏石不動明王御開帳)は例年節分(立春の前日)・五山送り火の日(8月16日)に行われています。不動堂開扉法要では不動堂に安置されている本尊・石不動明王(秘仏)が開扉され、本山・相国寺関係寺院の出仕による大般若経(だいはんにゃきょう)の祈祷が行われます。
【臨済宗相国寺派大本山・相国寺】
- 概要:金閣寺は臨済宗相国寺派大本山・相国寺の山外塔頭(たっちゅう)です。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。なお相国寺は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。
【伊藤若冲の作品などを所蔵・展示する承天閣美術館】
- 概要:承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)は相国寺創建600年記念事業の一環として建設されました。鹿苑寺大書院障壁画50面・伊藤若冲作などの文化財が所蔵・展示されています。
- 所蔵品:伊藤若冲が1759年(宝暦9年)の44歳の時に描いた紙本墨画葡萄図15面(一之間・葡萄之間)・紙本墨画松鶴図8面(二之間・松鶴之間)・紙本墨画芭蕉図12面(三之間・芭蕉之間)・紙本墨画鶏及秋海棠図11面(四之間)・紙本墨画竹図4面(狭屋之間)が収蔵されています。
【金閣寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・金閣寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ