護王神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

護王神社

護王神社の歴史を時代別年表にまとめ

護王神社の歴史を簡単にまとめています。護王神社は和気清麻呂を祀った護王善神堂が起源と言われています。ただ正確な創建年は不明です。1886年(明治19年)に第122代・明治天皇の勅命により、京都御苑蛤御門前付近の中院家の邸宅跡に移されました。(時代別年表・重要人物下記参照)

護王神社(アクセス・歴史・・・)

【神護寺】

●神護寺の起源のひとつである神願寺(じんがんじ)は781年(天応元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)が国家安泰を祈願して河内(大阪)に創建したと言われています。和気清麻呂は宇佐八幡大神(うさはちまんのおおかみ)の神託を請うた時に「一切経(いっさいきょう)を写し、仏像を作り、最勝王経(さいしょうおうきょう)を読誦して一伽藍を建て、万代安寧を祈願せよ」という神託を受け、心願が成就する為に神願寺を創建したと伝えられ、寺号「神願寺」もそのことに由来しています。なお神願寺は定額寺(じょうがくじ)だったが、確かな資料が残されておらず、建立されていた場所も明確ではありません。
●神護寺の起源のひとつである高雄山寺(たかおさんじ)は神願寺創建と同時期に和気清麻呂が山城(京都)に創建したと言われています。高雄山寺は白雲寺・月輪寺・日輪寺・伝法寺とともに愛宕五寺・愛宕五坊と言われました。なお愛宕山一帯では奈良・大安寺(だいあんじ)の僧・慶俊を本願主、和気清麻呂を奉行として修行の道場が拓かれました。
●神護寺(じんごじ)は824年(天長元年)に和気清麻呂の五男・和気真綱(わけのまつな)と六男・和気仲世(わけのなかよ)の要請により、和気氏ゆかりの神願寺と高雄山寺が合併し、名称を神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)に改めたのが起源です。

【護王神社の起源・始まり】

●護王神社は和気清麻呂を祀った霊社・護王善神堂が起源と言われています。護王善神堂は高野山真言宗(しんごんしゅう)の神護寺内に建立されていたが、正確な創建年は不明です。

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【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1851年(嘉永4年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が神護寺の護王善神社に祀られていた和気清麻呂に神号「護王大明神」と最高位の神階・正一位(しょういちい)を授けました。また江戸幕府が下行米を支出しました。なお天皇自らが人臣に対し、神階を授けたのは初めてのことです。また江戸幕府が下行米を支出したのは江戸時代を通して唯一のことです。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●1874年(明治7年)に護王善神堂を護王神社に改め、別格官幣社に列せられました。
●1886年(明治19年)に第122代・明治天皇(めいじてんのう)の勅命により、護王神社が京都御苑蛤御門(はまぐりごもん)前付近の中院家(なかのいんけ)の邸宅跡に移されました。また同年に護王大祭が創始されました。
●1890年(明治23年)から狛犬の代わりに狛猪が置かれ、「いのしし神社」とも言われています。猪は和気清麻呂が配流された際、弓削道鏡が送り込んだ刺客に襲われたが、突如300頭の猪が現われて難を救われたという伝説に由来しています。
●1890年(明治23年)から1945年(昭和20年)に使用されていた十円紙幣に和気清麻呂と護王神社が描かれました。
●1915年(大正4年)に第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)が即位した際、和気清麻呂の姉・和気広虫(わけのひろむし)が合祀されました。
●1946年(昭和21年)に警察消防招魂社が京都府庁から移されました。
●1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
●1960年(昭和35年)に亥子祭が創始されました。
●1964年(昭和39年)に久邇宮家御霊殿が旧久邇宮邸から移されました。
●1971年(昭和46年)に祖霊社が建立され、近衛社とも言われています。
●1998年(平成10年)に和気清麻呂像が建立されました。

【護王神社の祭神である和気清麻呂】

和気清麻呂は733年(天平5年)に磐梨別乎麻呂の子として備前国藤野郡(岡山県和気町)に生まれました。第47代・淳仁天皇に仕え、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の功により、765年(天平神護元年)に勲六等に叙され、766年(天平神護2年)に従五位下に叙されました。769年(神護景雲3年)に第46代・孝謙天皇(第48代・称徳天皇)が寵愛していた弓削道鏡が宇佐八幡の神託と称して皇位に就こうとした宇佐八幡宮神託事件の際、弓削道鏡の野心を退けました。しかし弓削道鏡の怒りを買って大隅(鹿児島)に流されました。770年(宝亀元年)に称徳天皇が崩御し、第49代・光仁天皇が即位すると弓削道鏡が失脚し、和気清麻呂は都に戻され、和気朝臣の姓を賜わり、781年(天応元年)に従四位下に昇叙されました。その後民部大輔・摂津大夫などを歴任し、796年(延暦15年)に従三位に昇叙されました。和気清麻呂は長岡京の造営が停滞すると桓武天皇に平安京遷都を進言しました。なお和気清麻呂は799年(延暦18年)に亡くなりました。

【護王神社の歴史 備考】
*参考・・・護王神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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