- Home
- 五山送り火
カテゴリー:五山送り火
-
室町幕府8代将軍・足利義政(よしまさ)と五山送り火・大文字
五山送り火の内、大文字には弘法大師・空海が始めたという説、足利義政が始めたとする説、近衛信尹が始めたという説があります。大文字が点される大文字山の麓にある銀閣寺や銀閣寺の本山である相国寺では足利義政が始めたとしています。 -
弘法大師(こうぼうだいし)・空海と五山送り火・大文字
五山送り火の内、大文字には弘法大師・空海が始めたという説などがあります。大文字山の麓の浄土寺が火災に見舞われた際、阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放ち、その光明を真似た儀式を弘法大師・空海が大の字に改めたというものです。 -
消し炭(けしずみ)・ご利益と五山送り火・大文字
五山送り火では五山によって異なるが、薪・松葉・麦わらや護摩木が燃やされます。その消し炭にはご利益があると言われています。消し炭を半紙にくるんで、水引でくくり、戸口などに飾ると厄除けのご利益があるとも言われています。 -
松野元敬の「扶桑京華志」と五山送り火・左大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、明確ではないことも多くあります。五山送り火は江戸時代以降に多くの文献などに記されるようになりました。左大文字は1665年(寛文5年)に松野元敬が刊行した「扶桑京華志」が初見と言われています。 -
秋里籬島の「都名所図会」と五山送り火・大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。大文字の起源には弘法大師・空海説などがあります。1780年(安永9年)に俳諧師・秋里籬島が刊行した「都名所図会」には大文字の起源が記されています。 -
諸国年中行事(しょこくねんちゅうぎょうじ)」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。また長い歴史の中で消え、現在は行われていないものもあります。江戸時代中期の「諸国年中行事」には市原のいの字・鳴瀧の邊の一の字が登場します。 -
黒川道祐の「日次紀事(にちじきじ)」と五山送り火・大文字
五山送り火は古くから行われていると言われているが、起源は明確ではありません。黒川道祐が1676年(延宝4年)に刊行した「日次紀事」には大文字の字は相国寺79世・横川景三または弘法大師・空海のものと記されています。 -
神沢貞幹(かんざわていかん)の「翁草」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。鳥居形は文献上の資料が少ないが、1791年(寛政3年)に随筆家・神沢貞幹が刊行した「翁草」にも大文字などとともに記されています。 -
山本泰順(やまもとたいじゅん)の「洛陽名所集」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。五山送り火は1658年(万治元年)に漢学者・山本泰順が刊行した地誌「洛陽名所集」の「如意寶山」の項目に記されています。 -
鳳林承章(ほうりんじょうしょう)の「隔めい記」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。金閣寺近くの左大文字(万灯籠)について記されている文献には江戸時代前期に金閣寺住持・鳳林承章が記した「隔めい記」があります。 -
万灯会(まんとうえ)・織田信長(おだのぶなが)と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。五山送り火は戦国時代に行われた万灯会が変化したものとも言われています。1581年(天正9年)7月15日には織田信長が万灯会を行ないました。 -
中川喜雲(なかがわきうん)の「案内者」と五山送り火
五山送り火は古くから行われていると言われているが、いつから始まったかは明確ではありません。五山送り火について具体的な名称が記されている文献には江戸時代前期の1662年(寛文2年)に刊行された中川喜雲の「案内者」があります。