葵祭日程2025年5月(路頭の儀(時代行列)・前儀・後儀)
葵祭(路頭の儀・社頭の儀・前儀・後儀)
葵祭(路頭の儀・社頭の儀・前儀・後儀)を紹介しています。葵祭日程では主要な関連行事(前儀・後儀)が5月1日から始まります。ハイライトである5月15日の路頭の儀(時代行列)では十二単などの煌びやかな平安衣装を身に着け、ヒロインとされる斎王代など人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿1丁が巡行します。
★葵祭2025の最新情報
【葵祭2025・路頭の儀(時代行列) 日程時間(要確認)】
葵祭2025・路頭の儀(時代行列)は2025年(令和7年)5月15日(木曜日)10:30に京都御所(京都御苑)を出発します。ただ悪天候の場合、翌16日(金曜日)に順延されます。なお主要な関連行事(前儀・後儀)は5月1日から始まります。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
【葵祭・路頭の儀(時代行列) ルート・マップ】
路頭の儀(行列)では時代行列が京都御所(京都御苑)・下鴨神社・上賀茂神社の順に約8キロを巡行します。
●京都御所出発(10:30)→堺町御門→丸太町通(11:00頃)→河原町通→下鴨神社到着(11:40頃)
●下鴨神社出発(14:20)→下鴨本通→洛北高校前(14:40頃)→北大路通→北大路橋(14:55頃)→賀茂川堤→上賀茂神社到着(15:30頃)
●京都御所の最寄駅・・・地下鉄烏丸線今出川駅(徒歩約5分)または丸太町駅(徒歩約5分)
葵祭路頭の儀ルート・マップ
【路頭の儀(時代行列)・社頭の儀】
葵祭では現在、路頭の儀(時代行列)がハイライトとされています。路頭の儀は下鴨神社・上賀茂神社で天皇のお言葉が書かれた祭文を奏上し、幣物を奉納する社頭の儀を下鴨神社・上賀茂神社で行う為に行われます。路頭の儀では勅使の本列・斎王代の斎王代列から構成された人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿1丁が京都御所から下鴨神社・上賀茂神社に向かいます。時代行列は京都御所の南面にあり、天皇・皇后や外国元首しか通ることのできない京都御所で最も格式の高い建礼門前から出発し、京都御苑内などを通り、先ず下鴨神社に向かいます。到着後に下鴨神社で社頭の儀を行います。その後下鴨神社から加茂川沿いなどを通り、上賀茂神社に向かいます。到着後に上賀茂神社でも社頭の儀などを行います。
なお葵祭ではかつて天皇が勅使に祭文・幣物などを授ける宮中の儀が行われていたが、明治維新後の東京遷都により、1869年(明治2年)から行われなくなりました。ちなみに京都御所では現在、路頭の儀に先立ち、本列習礼などが行われ、「参役者作法書」に沿って、列立・進発の儀などでの立振いが教えられるそうです
葵祭・路頭の儀
●本列には乗尻(のりじり)・検非違使志(けびいしのさかん)・検非違使尉(けびいしのじょう)・山城使・御幣櫃(ごへいびつ)・内蔵寮史生(くらりょうのししょう)・馬寮使(めりょうつかい)・牛車・御馬・和琴・舞人・陪従・内蔵使(くらづかい)・勅使(近衛使(このえづかい))・牽馬(ひきうま)・風流傘・風流傘などがいます。勅使は天皇の使者で、行列の最高位者です。ちなみに大河ドラマ「光る君へ」で知られる「源氏物語(げんじものがたり」では主人公・光源氏が勅使を務めたことが記されたり、光源氏の正室・葵の上と光源氏の恋人の一人・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の車争いも描かれています。
葵祭見どころ(路頭の儀)
●斎王代列には命婦(みょうぶ)・女嬬(にょじゅ)・斎王代・騎女(むなのりおんな)・蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)・牛車・命婦(みょうぶ)などがいます。斎王代は現在、葵祭のヒロインと言われています。斎王代は嵯峨天皇が賀茂神(賀茂社)に戦勝祈願し、薬子の変に勝利した平安時代前期の810年(弘仁元年)から鎌倉時代前期の1212年(建暦2年)まで賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に仕え、葵祭に奉仕した斎王の代理です。斎王は初代・有智子内親王から第35代・礼子内親王まで天皇の娘である未婚の内親王または女王から選ばれました。なお斎王代は京都在住などの未婚女性から選ばれています。
葵祭斎王代
●社頭の儀は天皇の勅使が祭文を奏上し、幣物を奉納します。神職は祭文・幣物を受け取って神前に献じ、神宣・返祝詞を返します。その後勅使は葵桂を授かり、下鴨神社・上賀茂神社で饗宴の儀・走馬の儀も行われます。なお路頭の儀は応仁の乱(1467年(応仁元年)から1477年(文明9年))以降、1694年(元禄7年)の再興までの約200年間も途絶えたが、社頭の儀は一度も途切れることなく、約1,400年間も続けられていると言われています。
社頭の儀(下鴨神社)・社頭の儀(上賀茂神社)
【主要な前儀(流鏑馬神事・斎王代禊の儀・など)】
前儀はいずれも5月15日に行われる葵祭の路頭の儀・社頭の儀に先立って行われます。
●5月1日・賀茂競馬足汰式(上賀茂神社)・・・5月5日の賀茂競馬で走る馬の組み合わせを決めます。足洗いの儀・毛付けの儀・素駆・競馳などが行われます。2頭ずつ馬を走らせる競馳では勝敗は決めません。
賀茂競馬足汰式
●5月3日・流鏑馬神事(下鴨神社)・・・葵祭が安全・平穏無事に行われるように沿道を祓い清めます。大きさ45センチの的を100メートルごとに3つ設置し、射手が走る馬の上から矢を放って的を狙います。
流鏑馬神事
●5月4日・斎王代禊の儀(上賀茂神社と下鴨神社の1年交代制)・・・斎王代などが身を清めて、罪・穢れを祓います。斎王代は上賀茂神社のならの小川、下鴨神社の御手洗川に両手をひたします。女人列は上賀茂神社で形代、下鴨神社で斎串で祓います。
斎王代禊の儀(上賀茂神社)・斎王代禊の儀(下鴨神社)
●5月5日・賀茂競馬(上賀茂神社)・・・馬が左方の赤・右方の黒に分かれて走ります。1馬身ほどの差をつけてスタートし、差が広がれば前の馬、縮まれば後ろの馬の勝ちになります。なお織田信長は賀茂競馬を馬を出して観覧したと言われています。
賀茂競馬
●5月5日・歩射神事(下鴨神社)・・・葵祭の沿道を弓矢を放って祓い清めます。屋越式では勅使が通る楼門の屋根を越えるように音の鳴る蟇目鏑を付けた鏑矢を放って邪気を祓います。百手式も行われます。
歩射神事
【主要な後儀(献茶祭・煎茶献茶祭)】
後儀はいずれも5月15日に行われる葵祭の路頭の儀・社頭の儀に後に行われます。
●5月15日以降・献茶祭(上賀茂神社)・・・表千家・裏千家の交代により、濃茶・薄茶を本殿の神前に供えてます。境内に副席が設けられます。
献茶祭
●5月15日以降・煎茶献茶祭(下鴨神社)・・・小川流家元より、濃煎茶を東本殿・西本殿の神前に供えします。境内に煎茶席・玉露席が設けられます。
煎茶献茶祭
【葵祭・賀茂祭】
葵祭はかつて賀茂祭(かもさい・かものまつり)とも言われ、旧暦の4月に行われていました。中午(うま)の日に斎王御禊が行われ、斎王が禊を行ないました。中申(さる)の日(後に中未(ひつじ)の日)に賀茂警固儀が行われ、宮中の警護が命じられました。中申の日に摂関賀茂詣が行われ、摂政・関白が賀茂社を参詣しました。中酉(とり)の日に宮中の儀が行われ、勅使派遣の儀式が行われました。次に路頭の儀が行われ、内裏から下鴨神社・上賀茂神社まで巡行し、斎王も途中で加わりました。その後社頭の儀が行われ、下鴨神社・上賀茂神社で奉幣・祭文奏上・牽馬・舞楽奉納などが行われました。最後に還立の儀が行われ、内裏に帰還し、報告が行われました。中戌(いぬ)の日に解陣の儀が行われ、警護が解かれました。
【葵祭日程 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。