下鴨神社流鏑馬神事2024/5/3(葵祭前儀)

流鏑馬神事

下鴨神社流鏑馬神事

下鴨神社流鏑馬神事(日程・時間・・・)を紹介しています。流鏑馬神事は例年5月3日に行われています。流鏑馬神事は5月15日に行われる葵祭に先だって、葵祭が安全・平穏無事に行われるように沿道を祓い清めます。糺の森にある馬場に3つの的を設置し、射手が走る馬の上から矢を放って的を狙います。(詳細下記参照)

★葵祭2024の最新情報

【下鴨神社流鏑馬神事2024 日程時間(要確認)】

下鴨神社流鏑馬神事2024は2024年(令和6年)5月3日(金曜日)13:00~15:30に行われます。流鏑馬神事終了後、13:40頃から流鏑馬行列入場、14:00頃から流鏑馬が行われます。(小雨決行)(現在確認中・要注意)
*参考・・・下鴨神社ホームページ
★葵祭の行事日程を確認できます。(下記リンク参照)
葵祭2024日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)

【下鴨神社流鏑馬神事 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市左京区下鴨泉川町59
最寄り駅・バス停・・・下鴨神社前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から下鴨神社は4系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条河原町からは4系統、205系統
*河原町丸太町からは4系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は出町柳駅(徒歩約10分)

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【下鴨神社流鏑馬神事 簡単概要】

下鴨神社流鏑馬神事(やぶさめしんじ)は例年5月15日に行われる葵祭(あおいまつり)の前儀として、例年5月3日に行われています。流鏑馬神事では葵祭が安全・平穏無事に行われるように沿道を祓い清めます。なお流鏑馬はかつて騎射(きしゃ)と言われ、古くから行われていました。平安時代初期に編纂された勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」には見物人が多く集まったことから飛鳥時代後期の698年(文武天皇2年)に禁止令が出されたことが記されています。
流鏑馬神事では先ず本殿で奉告祭(ほうおくさい・本殿祭)を行い、神事終了後に射手が馬に乗って糺の森(ただしのもり)の馬場に入り、その後流鏑馬が開始されます。流鏑馬では糺の森にある約500メートルの馬場に3つの的を設置し、公家・武家装束の射手が走る馬の上から「インヨー(陰陽)」の掛声とともに矢を放って的を狙います。流鏑馬では5頭の馬が4回ずつ走ります。(変更あり)なお流鏑馬の的の大きさは45センチ、馬から的までの距離は約1.80メートルで、的は100メートルごとに設置されています。なお流鏑馬神事では当たった的は豊作・所願成就の縁起物として授与(有料)されます。(要確認)

  • 流鏑馬神事では先ず諸役が所定の場所に着き、スタート地点の馬場元役が扇を揚げ、ゴール地点の馬場末役も扇を揚げて応えます。一番手は扇を高く揚げ(揚扇)、「インヨー」の掛け声とともに出走し、一の的を射て、直ちに箙(えびら)から矢を抜いて弓につがえ、二の的・三の的も射ます。二番手は馬場末役の合図扇が済むと揚扇を行わずに出走し、一の的・二の的・三の的を射ます。三番手は合図扇が済むと鞭を揚げ(揚鞭)て出走し、一の的・二の的・三の的を射ます。流鏑馬が終了すると一番手・二番手・三番手は馬場殿前で、騎乗したまま片鐙(かたあぶみ)で、神禄を長官代から賜わります。神禄は桂に帛(はく)が掛けられ、射手は肩に掛けて馬上拝舞を行います。帛は一番手が白、二番手が赤、三番手が濃(紺)です。
  • 流鏑馬は矢継ぎ早に鏑矢(かぶらや)で射ることから流鏑馬と言われるそうです。また流鏑馬は矢馳馬(やはせむま)が転訛したものとも言われているそうです。なお下鴨神社では「続日本紀」によると流鏑馬は7世紀には既に行われていた記録が残されています。その後明治時代に一時途絶えたが、1973年(昭和48年)に復活したそうです。現在、流鏑馬神事では流鏑馬を弓馬術礼法小笠原流が奉仕しているそうです。
  • 小笠原流は室町幕府奉公衆・京都小笠原氏による武家故実・弓術・馬術・礼法の流派です。弓術・馬術は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の家臣・小笠原長清(おがさわらながきよ)によって創始され、第7代・小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が大成させました。礼法は室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)を指南した小笠原長秀(おがさわらながひで)が定め、礼法書「三議一統」を記しました。
  • 「インヨー(陰陽)」という矢声は小笠原流によると宇宙、ひいては神そのものと呼応し合う為と考えられています。小笠原流の祖・小笠原長清は陰陽道が思想に取り入れていた鎌倉時代の武士で、小笠原流の礼法・歩射・騎射は陰陽道を軸に成り立っています。なお陰陽道は森羅万象・宇宙全てが陰と陽・光と影などの相反する2つの気のバランスと循環によって成り立っているという思想・考え方です。

葵祭見どころ

【葵祭 歴史・簡単概要】

葵祭は第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、卜部伊吉若日子に占わせられたところ賀茂大神の祟りであるとした為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭を被り、駆競して、盛大に祭りを行ったことが起源とも言われています。なお葵祭は正式名称を賀茂祭と言うが、賀茂祭は祭儀に関わる人や牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから江戸時代以降に葵祭と言われるようになりました。
葵祭歴史年表

【下鴨神社 歴史・簡単概要】

下鴨神社・賀茂御祖神社は社伝によると初代・神武天皇の時代(紀元前660年~紀元前582年)に祭神・賀茂建角身命が比叡山西麓の御蔭山に降臨したのが起源とも言われています。また下鴨神社は紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。その後第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に欽明天皇が勅使を派遣して葵祭(賀茂祭)が始まり、678年(天武天皇7年)に社殿が造営され、天平年間(729年~749年)には上賀茂神社から分置されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、王城鎮護の神になり、桓武天皇が初めて行幸しました。その後807年(大同2年)に神階・正一位に叙され、葵祭で天皇の勅使が派遣されて行われる勅祭になり、810年(大同5年)には葵祭に奉仕する賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王が初代斎王として仕えました。
*参考・・・下鴨神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【下鴨神社流鏑馬神事 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2024日程(路頭の儀・前儀・後儀・・・)

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