カテゴリー:葵祭(京都)

  • 葵祭と卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)

    葵祭の起源は「山城国風土記」逸文によると卜部伊吉若日子の占いでした。卜部伊吉若日子は勅命で占い、勅使として祭礼を行いました。卜部伊吉若日子に関する明確な資料は少なく、「秦氏本系帳」によると壱岐卜部氏の氏人だったと言われています。
  • 賀茂競馬(Kamo-Kurabeuma)

    葵祭と賀茂競馬・堀河天皇(ほりかわてんのう)

    葵祭の前儀・賀茂競馬は「競馬略記」によると元々、天下太平と五穀豊穣を祈願する宮中武徳殿の競馬会式だったが、平安時代後期の1093年(寛治7年)に第73代・堀河天皇が上賀茂神社に移し、10番・20匹の競馳が行われるようになりました。
  • 流鏑馬神事(Yabusame-Shinji)

    葵祭と葵祭と馬・「山城国風土記」逸文

    葵祭では前儀に賀茂競馬・流鏑馬神事が行われ、社頭の儀で走馬の儀が行われ、馬を使う行事が多く行われています。馬を使う行事は「山城国風土記」逸文に欽明天皇の時代に記され、葵祭では馬に鈴を懸け、人に猪の頭を被らせて駆競が行われたと言われています。
  • 勅使

    葵祭と勅使・「源氏物語」の光源氏

    葵祭では現在、斎王代がヒロインと言われるが、歴史的に勅使が重要な役割を果たしていました。勅使は宮中の儀で御祭文などを受け取り、賀茂社に到着すると御祭文を奏上しました。「源氏物語」の主人公・光源氏も勅使だったことが記されています。
  • 一条通

    葵祭と路頭の儀・一条大路

    平安時代の路頭の儀では勅使らの奉幣使一行が平安宮を出発して一条大路を東側に進み、葵祭に奉仕した斎院(斎王)一行が賀茂斎院を出発し、奉幣使一行と斎院一行が一条大宮で合流し、その後一条大路を東側に向かって下鴨神社に参向しました。
  • 二葉葵

    葵祭と二葉葵・「賀茂旧記」と「山城国風土記」逸文

    葵祭に二葉葵が使われるようになったのは「賀茂旧記」や「山城国風土記」逸文によると上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)降臨の際、葵を飾って祭りをせよとの神託があったことに由来するとも言われています。
  • 葵祭斎王代

    葵祭と斎王(さいおう)・賀茂斎院

    斎王は天皇の娘である未婚の内親王または女王から選ばれたが、天皇が譲位・崩御した場合には退下するのが習わしとされていました。斎王は日常的に忌詞(いみことば)などを用いて、不浄・仏事を避け、祭事に奉仕しました。
  • 葵祭斎王代

    葵祭と清少納言「枕草子(まくらのそうし)」

    葵祭は清少納言が記した「枕草子」にも描かれています。「枕草子」には「見物は臨時の祭。行幸。祭の帰さ。御賀茂詣。」と記され、見物に値する行事は石清水臨時祭と賀茂臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣と記しています。
  • 二葉葵

    葵祭と葵プロジェクト・二葉葵

    葵祭では毎年1万枚程度の二葉葵が使用され、上賀茂神社に自生していたものだけで賄うことができていたが、近年では自生数が減少し、葵祭に必要な数が集まらなくなりました。そこで葵プロジェクトが立ち上げられ、里親に育成してもらっています。
  • 上賀茂神社(Kamigamo Shrine)

    葵祭と宇多天皇・賀茂臨時祭

    葵祭を行う賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)では葵祭だけでなく、賀茂臨時祭も行われていました。賀茂臨時祭は第59代・宇多天皇が賀茂大神から賀茂祭(葵祭)の他にも秋に幣帛を奉るようにしてほしいという託宣を受けたが起源です。
  • 平安騎馬隊

    葵祭・路頭の儀(時代行列)と平安騎馬隊

    葵祭・路頭の儀(時代行列)では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿1丁などが巡行します。路頭の儀(時代行列)では平安時代に京都の治安維持に当たった検非違使をイメージした西陣織の和装制服を着用した平安騎馬隊が先導します。
  • 葵祭行列保存会

    葵祭・路頭の儀(時代行列)と葵祭行列保存会

    葵祭では路頭の儀(時代行列)が最大のハイライトです。路頭の儀(時代行列)の保存と執行について、全般の運営を行っているのが葵祭行列保存会です。葵祭行列保存会は2000年(平成12年)に設立されました。

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