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カテゴリー:葵祭(京都)
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清少納言「枕草子(まくらのそうし)」と葵祭
葵祭は清少納言が記した「枕草子」にも描かれています。「枕草子」には「見物は臨時の祭。行幸。祭の帰さ。御賀茂詣。」と記され、見物に値する行事は石清水臨時祭と賀茂臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣と記しています。 -

加茂街道(アクセス・マップ・歴史・・・)
加茂街道が堤防上を走る賀茂川は鴨川の上流部にあたり、鴨川は標高約896メートルの桟敷ヶ岳を源とし、上賀茂付近で京都盆地に出て、出町付近で高野川と合流してから南流し、下鳥羽付近で桂川と合流して淀川に注ぎます。 -

平安騎馬隊(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
平安騎馬隊では見学だけでなく、体験騎乗ができます。体験騎乗は3歳から小学校3年生までの子供が対象で、10名以上50名以下の人数制限があります。体験騎乗ができる時間は平日の11:00から11:30の30分間です。(要確認) -

休憩処「さるや」(アクセス・マップ・歴史概要・・・)
休憩処「さるや」では2010年(平成22年)に和菓子店「宝泉堂」が140年の時を超えて復元された申餅(さるもち)を提供しています。申餅は小豆の茹で汁で餅を搗き、茹でた丹波産の大粒小豆をそのまま入れたはねず色のお餅です。 -

葵プロジェクト・二葉葵(双葉葵)と葵祭
葵祭では毎年1万枚程度の二葉葵が使用され、上賀茂神社に自生していたものだけで賄うことができていたが、近年では自生数が減少し、葵祭に必要な数が集まらなくなりました。そこで葵プロジェクトが立ち上げられ、里親に育成してもらっています。 -

第59代・宇多天皇(うだてんのう)・賀茂臨時祭と葵祭
葵祭を行う賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)では葵祭だけでなく、賀茂臨時祭も行われていました。賀茂臨時祭は第59代・宇多天皇が賀茂大神から賀茂祭(葵祭)の他にも秋に幣帛を奉るようにしてほしいという託宣を受けたが起源です。 -

平安騎馬隊・路頭の儀(時代行列)と葵祭
葵祭・路頭の儀(時代行列)では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿1丁などが巡行します。路頭の儀(時代行列)では平安時代に京都の治安維持に当たった検非違使をイメージした西陣織の和装制服を着用した平安騎馬隊が先導します。 -

葵祭行列保存会・路頭の儀(時代行列)と葵祭
葵祭では路頭の儀(時代行列)が最大のハイライトです。路頭の儀(時代行列)の保存と執行について、全般の運営を行っているのが葵祭行列保存会です。葵祭行列保存会は2000年(平成12年)に設立され、2012年(平成24年)に京都創造者大賞を受賞しました。 -

埒(らち)が明かない」・賀茂競馬(かもくらべうま)と葵祭
葵祭の前儀・賀茂競馬は全長約200メートルの馬場で行われます。馬場には埒が設けられ、「埒が明かない」の語源になっています。賀茂競馬で「埒が明かない」とその後葵祭が行えないことから「物事が進展しない」という意味として使われています。 -

十二単(じゅうにひとえ)・斎王代(さいおうだい)と葵祭
葵祭では現在、十二単を身に着けた斎王代がヒロインと言われています。ちなみに十二単は約20キロあり、着付けに1時間半も掛かると言われています。十二単は平安時代中期(10世紀後半頃)に成立し、公家女房(女性)の正装になりました。 -

下鴨神社(しもがもじんじゃ)の申餅(さるもち)と葵祭
葵祭の路頭の儀・社頭の儀は例年5月15日に行われているが、新暦以降までは旧暦の4月の吉日となる中の酉の日に行われていました。そして下鴨神社では酉の日の前日に当たる申の日に神前に神饌として、お餅・申餅を供えていました。 -

小笠原流(おがさわれりゅう)・流鏑馬神事と葵祭
葵祭の前儀・流鏑馬神事は「続日本紀」によると7世紀には既に行われていた記録が残されています。1973年(昭和48年)の第32回式年遷宮記念祭から鎌倉幕府奉納の流鏑馬として復活され、弓馬術礼法小笠原流の奉仕によって行われています。




















