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カテゴリー:葵祭(京都)
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建礼門(アクセス・マップ・歴史・・・)
建礼門は「延喜式(えんぎしき)」によると建礼門の前に南庭と称される広場があり、白馬節会・射礼・相撲節などの儀式に使用されました。建礼門は白馬節会(あおうまのせちえ)が行われたことから青(白)馬陣と言われていました。 -
御薗橋(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
御薗橋が架けられている賀茂川は鴨川の上流部のことです。鴨川は京都市北区にある標高約896メートルの桟敷ヶ岳を源とし、北区上賀茂で京都盆地に出て、上賀茂神社・下鴨神社沿いを南南東に流れ、賀茂大橋手前で高野川と合流しています。 -
北大路橋(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
北大路橋が架けられている賀茂川は鴨川の上流部のことです。鴨川は京都市北区にある標高約896メートルの桟敷ヶ岳を源とし、上賀茂付近で京都盆地に出て高野川と合流し、下鳥羽付近で京都盆地西側を流れる桂川と合流して淀川に注ぎます。 -
葵祭二葉葵(葵祭とは賀茂祭の俗称)
二葉葵(双葉葵)は葵祭の名称の由来になっています。葵祭はかつて賀茂社と言われた上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、正式には賀茂祭と言います。ただ賀茂祭では祭儀に関わる全ての人や社殿の御簾(みす)・牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから葵祭と言われるようになりました。 -
上賀茂神社・葵祭日程(賀茂競馬・・・)
上賀茂神社・葵祭日程を紹介しています。葵祭は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、路頭の儀では京都御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社までを巡行します。ちなみに上賀茂神社・下鴨神社は奈良時代中頃までは一体であったが、その後下鴨神社が分立したとも言われています。 -
下鴨神社・葵祭日程(流鏑馬神事・・・)
下鴨神社・葵祭日程を紹介しています。葵祭は下鴨神社と上賀茂神社の祭礼で、ハイライトである路頭の儀(行列)では京都御所から下鴨神社に向かい、社頭の儀を行った後に上賀茂神社に向かいます。ちなみに下鴨神社・上賀茂神社は奈良時代中頃までは一体であったが、その後下鴨神社が分立したとも言われています。 -
葵祭と百万遍さんの手づくり市(例年5月15日)
葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)と百万遍さんの手づくり市(百萬遍知恩寺)は例年5月15日に行われ、はしごすることができます。ただ悪天候の場合には葵祭・路頭の儀は翌5月16日に順延されます。なお5月15日には上賀茂やすらい祭(上賀茂地区)も行われています。 -
北祭(葵祭)・南祭(石清水祭)
葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)は南祭とも言われる石清水祭(石清水八幡宮)に対し、北祭(北の祭り)とも言われています。ちなみに葵祭・石清水祭は春日祭(奈良・春日大社)とともに三勅祭と言われています。また葵祭は祇園祭(八坂神社)・時代祭(平安神宮)とともに京都三大祭りとも言われています。 -
葵祭斎王代の起源(斎院・斎王)
葵祭斎王代の起源となった斎院(斎王)は三重・伊勢神宮に使えた斎宮(斎王)に倣って選ばれ、810年(大同5年)から1212年(建暦2年)までの約400年間に渡って葵祭に奉仕してきました。斎王代は1956年(昭和31年)に創設されました。 -
葵祭と「源氏物語(紫式部)」車争い
葵祭は紫式部作の「源氏物語」の葵の巻に描かれています。「源氏物語」の中にはよく知られている「車争い」が描かれているが、「車争い」は葵祭の主要な行事ではなく、葵祭の前儀である賀茂川(鴨川)での斎院御禊の際に起こりました。 -
葵祭賀茂斎院跡(アクセス・マップ・概要・・・)
賀茂斎院跡にかつて置かれていた賀茂斎院(紫野斎院・紫野院)に勤めていた斎王は宮中初斎院での2年間潔斎(けっさい)した後、不浄・仏事を避けて清浄な生活を送りながら賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭礼である葵祭(賀茂祭)に奉仕し、多くが生涯独身で過ごしたそうです。 -
日本三勅祭(葵祭・石清水祭・春日祭)勅使派遣
日本三勅祭は葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)・石清水祭(石清水八幡宮)・春日祭(春日大社)です。葵祭は祇園祭(八坂神社)・時代祭(平安神宮)とともに京都三大祭りに数えられ、五山送り火を加えて京都四大行事に数えられています。