日本三勅祭(葵祭・石清水祭・春日祭)勅使派遣

葵祭(Aoi Matsuri Festival)

日本三勅祭(葵祭・石清水祭・春日祭)

日本三勅祭は葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)・石清水祭(石清水八幡宮)・春日祭(春日大社)です。ちなみに葵祭は祇園祭(八坂神社)・時代祭(平安神宮)とともに京都三大祭りに数えられ、五山送り火を加えて京都四大行事に数えられています。

【勅祭 歴史・簡単概要】

葵祭などの勅祭(ちょくさい)は天皇の使者である勅使が派遣されて行われた神社の祭礼です。勅祭が行われる神社は勅祭社と言われたそうです。ちなみに現在の葵祭では宮中祭祀を担当する宮内省の掌典(しょうてん)職役人が天皇のお言葉が書かれた祭文(さいもん)を奏上する社頭の儀(しゃとうのぎ)を下鴨神社・上賀茂神社で行っています。路頭の儀(時代行列)では近衛使代と言われる代行者が参加しています。なお葵祭ではかつて葵祭に奉仕する斎王(さいおう)がいました。斎王は天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)、または女王(じょうおう)から選ばれました。斎王が勤めた賀茂斎院(斎院制度)は810年(大同5年)から1212年(建暦2年)まで約400年間ありました。ちなみに現在の葵祭では1956年(昭和31年)から斎王の代理である斎王代が選ばれ、葵祭に参加しています。

【葵祭 歴史・簡単概要】

葵祭(あおいまつり)は正式には賀茂祭(かもまつり)と言い、かつて賀茂社と言われた上賀茂神社・下鴨神社の祭礼です。葵祭(賀茂祭)は古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。ちなみに上賀茂神社によると葵祭は神代(かみよ)の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨した際の神託により、奥山の賢木(さかき)を取って阿礼(あれ)に立て、綵色(いろあや)を飾ったり、走馬(そうま)を行ったり、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装ったりして祭りを行ったのが起源とも言われています。なお葵祭は807年(大同2年)に勅祭になりました。
葵祭2026日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命が現社殿の北北西にある秀峰・神山に降臨したのが起源とも言われています。
上賀茂神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
●下鴨神社は社伝によると神武天皇の御代に比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が降臨したのが起源と言われています。
下鴨神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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【石清水祭 歴史・簡単概要】

石清水祭(いわしみずさい)は石清水八幡宮の祭礼です。石清水祭は平安時代(794年~1185年)前期の863年(貞観5年)の旧暦8月15日に男山の裾を流れる放生川(大谷川)の畔で、魚・鳥を放って生きとし生けるものの平安と幸福を願った石清水放生会が起源です。なお石清水祭は948年(天暦2年)に勅祭になりました。
石清水八幡宮石清水祭
●石清水八幡宮は859年(貞観元年)に南都(奈良)・大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前国(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、翌860年(貞観2年)に第56代・清和天皇(せいわてんのう)が社殿を建立しました。なお石清水八幡宮の社名は男山に既にあった石清水山寺に由来しています。
石清水八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【【春日祭 歴史・簡単概要】

春日祭(かすがさい・かすがまつり)は起源が明確ではありません。春日祭は平安時代(794年~1185年)前期の849年(嘉祥2年)に始まったとも、850年(嘉祥3年)に始まったとも言われています。その後859年(貞観元年)11月9日に行われて以来、2月だけでなく、11月にも行われるようになりました。春日祭は2月・11月の上申日に行われていたことから申祭(さるまつり)と言われています。
●春日大社は社伝によると約1,300年前に常陸国(茨城)・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅命により、現在の場所に社殿を建立し、下総国(千葉)・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国(大阪)・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。

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