三十三間堂見どころのマトメ-修学旅行・観光の解説

三十三間堂(Sanjusangen-do Temple)

三十三間堂見どころのマトメ・解説

三十三間堂見どころを簡単にまとめてポイント解説します。三十三間堂は人気の観光名所で、見どころには南北約120メートルの蓮華王院本堂(国宝)や千体仏の千手観音(国宝)・南大門(重文)があります。また修学旅行生や観光客に人気がある風神・雷神・二十八部衆や太閤塀(重文)・夜泣せん・法然塔などの見どころもあります。

【注目の蓮華王院本堂(国宝)・千手観音の解説】

★概要:蓮華王院本堂は三十三間堂とも言われ、古くから通し矢が行われています。蓮華王院本堂は修学旅行や観光で絶対に見る価値があるスポットです。蓮華王院本堂は南北約120メートル・奥行き約22メートル・高さ約16メートルです。蓮華王院本堂は内部が板敷で、本尊・千手観音(せんじゅかんのん)坐像(国宝)、その左右に1,000体の千手観音立像(国宝)と本尊の背後に1,001体目の千手観音立像(国宝)を安置しています。ちなみに蓮華王院本堂の「蓮華王」は千手観音の別称です。なお千手観音は洛陽三十三所観音霊場の第17番札所になっています。
★名称の由来:蓮華王院本堂は間面記法(けんめんきほう)で三十三間四面になることから三十三間堂と言われています。内陣の柱間が「33」、外部から見ると柱間が「35」になっています。ちなみに「33」は観音菩薩(かんのんぼさつ)にゆかりのある数字で、経典「法華経(ほけきょう)」などでは観音菩薩が「三十三」の姿(変化身三十三身(へんげしんさんじゅうさんじん))に変じ、衆生を救うと説かれています。
★歴史:蓮華王院本堂は1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))が再建しました。その後1433年(永享5年)に室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修復し、1650年(慶安3年)に向拝(こうはい)が設けられました。1930年(昭和5年)に修理が行われ、外側が朱塗り(しゅぬり)で、堂内が花や雲文様の極彩色だったたことが分かりました。美しかった古来の姿を想像するのもいいかもしれません。ちなみに蓮華王院本堂は1165年(長寛2年)に創建され、1249年(建長元年)に火災よって焼失しました。
★様式:蓮華王院本堂は和様(わよう)です。蓮華王院本堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。蓮華王院本堂は桁行三十五間・梁間五間で、向拝(こうはい)七間です。堂内は屋台骨(やたいぼね)が柱間を2本の梁(はり)で繋ぐ二重虹梁(にじゅうこうりょう)になっています。なお蓮華王院本堂は砂と粘土を層状に堆積した版築(はんちく)の地盤の上に建てられ、地震の震動を吸収します。

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【重要な千手観音坐像(国宝)・圧巻の千手観音立像(国宝)の解説】

★概要:千手観音は千体仏と言われ、1,000体の千手観音立像が本尊の左右に整然と安置され、仏像の森とも称されています。千手観音立像は必ず会いたい人に似た像があると言われています。蓮華王院本堂は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。千手観音坐像は三十三間堂の本尊で、中尊(ちゅうそん)と言われています。千手観音立像は本尊の左右10段(1段に50体)の階段に安置されている1,000体の千体仏(せんたいぶつ)と本尊の背後に安置されている1,001体目の千手観音立像です。1,001体目の千手観音立像は「行像尊(ぎょうぞうそん)」と言われ、寄進の為に各地を回ったと言われています。千手観音立像は必ず会いたい人に似た像があると言われています。
★千手観音坐像:千手観音坐像は1254年(建長6年)に仏師・湛慶(たんけい)が82歳の時に造仏しました。千手観音坐像は台座心棒(しんぼう)に湛慶以外にも法眼康円(ほうげんこうえん)・法眼康清(ほうげんこうせい)の名前が墨書(ぼくしょ)されています。千手観音坐像は温雅な表情が湛慶の作風とされ、観音菩薩の慈徳を表現していると言われています。千手観音坐像は像高約3.3メートルだが、台座などを含めると7メートルを超えます。千手観音坐像は42手で、胸前で合掌(がっしょう)する2本の手を除き、40本の手がそれぞれ天上界(てんじょうかい)から地獄(じごく)までの25の世界を救うとされています。(40×25=1,000)千手観音坐像はヒノキ(桧)の寄木造(よせぎづくり)です。
★千手観音立像:千手観音立像は平安時代から室町時代に造仏されました。124体が平安時代、876体が鎌倉時代、1体が室町時代に造仏されました。鎌倉時代以降の約500体には仏師名が残されています。1,001体の千手観音立像は1973年(昭和48年)から毎年15体~40体の修復が行われ、2017年(平成29年)に完了しました。ちなみに総事業費は約9億2,300万円でした。千手観音立像は像高1.6メートル前後で、頭部に11の顔があり、両脇に40本の腕があります。千手観音立像は寄木造または割矧ぎ造(わりはぎづくり)です。
★千体仏の名称:千体仏は一体一体が尊顔の面差しが異なるだけでなく、一体一体に「第一尊(だいいちそん)」・「尊宿尊」・「法眼尊」・「智行尊」・「無事尊(ぶじそん)」などの名前があります。「第一尊」は向かって左端の一番後ろの第1号尊のことです。
★行事:2020年(令和2年)に千体千手観音立像が国宝に指定された記念の慶讃法要の一環として、後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の13回忌以来の約800年振りに「浄土如法経次第(じょうどにょほうきょうしだい)」が行われました。13回忌法要では第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)が浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)を招いて写経の法要を行ったころから浄土宗の僧侶が招かれ、「六時礼讃(らいさん)」を行いました。
★豆知識:1,001体の千手観音立像の内、3体が東京国立博物館、各1体が京都国立博物館・奈良国立博物館に寄託され、三十三間堂には996体が安置されています。

【貴重な南大門(重要文化財)・豊臣秀頼の解説】

★概要:南大門は拝観エリア外にあり、穴場的な存在です。南大門は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。南大門は境内の東南側の敷地外に建立されています。南大門は桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が創建した方広寺(ほうこうじ)の遺構と言われています。
★歴史:南大門はかつて関白・豊臣秀吉が建立したと言われていたが、虹梁(こうりょう)の刻銘(こくめい)から1600年(慶長5年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が建立したことが分かりました。
★様式:南大門は三間一戸(さんげんいっこ)の八脚門(はっきゃくもん)です。南大門は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。南大門には蟇股(かえるまた)に花鳥禽獣(かちょうきんじゅう)があしらわれています。南大門は中央一間が出入口です。
★豆知識:三十三間堂には南大門以外に西大門も建立されていたが、1895年(明治28年)の京都国立博物館の建設の際、東寺(とうじ)の南大門として移されました。

【珍しい太閤塀(重要文化財)・豊臣秀吉の解説】

★概要:太閤塀は長さ約92メートル・高さ約5.3メートルです。太閤塀はかつて南側だけでなく、西側にもありました。
★歴史:太閤塀は桃山時代に関白・豊臣秀吉が方広寺の大仏殿を建立した際に築造しました。三十三間堂は方広寺の寺域に取り込まれました。太閤塀の修理の際に「天正十六年(1588年)・・・大ふつ殿瓦」と刻まれた豊臣家の桐紋がある瓦が発見されました。

【見逃せない風神(国宝)・雷神(国宝)の解説】

★概要:風神・雷神は日本最古の風神・雷神で、絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた建仁寺(けんにんじ)の「風神雷神図屏風」のモデルと言われています。風神・雷神は三十三間堂の左右端に安置されています。北側が風神、南側が雷神です。風神は風袋(ふうたい)、雷神は連鼓(れんこ)を背負ったユーモラスな姿をしています。風神・雷神はインド最古の聖典とされる「リグ・ヴェーダ」に登場する神が起源と言われています。
★歴史:風神・雷神は鎌倉時代に造仏されました。風神・雷神は日本最古の風神・雷神と言われています。2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから風神・雷神の位置が約80年振りに変更されました。
★様式:風神は像高約111センチ、雷神は像高約100センチです。風神・雷神は寄木造です。

【二十八部衆(国宝)・千手観音の眷属の解説】

★概要:二十八部衆(千手観音の眷属(けんぞく))はかつて本尊・千手観音坐像の周りに安置されていました。二十八部衆は千手観音の眷属(けんぞく)とされ、千手観音を信仰する者を守護するとされています。なお二十八部衆は那羅延堅固(ならえんけんご)・難陀龍王(なんだりゅうおう)・摩ご羅(まごら)・緊那羅(きんなら)・迦楼羅(かるら)・乾闥婆(けんだつば)・毘舎闍(びしゃじ)・散支大将(さんしたいしょう)・満善車鉢(まんぜんしゃはつ)・摩尼跋陀羅(まにばだら)・毘沙門天(びしゃもんてん)・毘楼勒叉(びるろくしゃ)・婆藪仙(ばすせん)・大弁功徳天(だいべんくどくてん)・大梵天王(だいぼんてんおう)・帝釈天王(たいしゃくてんおう)・提頭頼た王(だいずらたおう)・毘楼博叉(びるばくしゃ)・薩遮摩和羅(さしゃまわら)・五部浄居(ごぶじょうご)・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)・神母女(じんもにょ)・金毘羅(こんぴら)・畢婆伽羅(ひばから)・阿修羅(あしゅら)・伊鉢羅(いはつら)・娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)・密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)です。
★歴史:二十八部衆は鎌倉時代に造仏されたと言われています。2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから二十八部衆立像の位置が約80年振りに変更されました。また一部の像名も変更しました。
★様式:二十八部衆は像高153.6センチ(最小)から約169.7センチ(最大)です。二十八部衆は寄木造です。

【夜泣せん(夜泣泉)・地蔵尊の解説】

★概要:夜泣せん(夜泣泉)は湧き出す音がすすり泣きに似ていたことから名付けられました。夜泣せん近くに地蔵尊(じぞうそん)が祀られ、子どもの夜泣き封じにご利益があると言われています。地蔵尊によだれ掛けを奉納祈願し、1週間後によだれ掛けを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが治ると言われています。
★歴史:夜泣せんは1165年(長寛2年)に僧が夢告によって発見しました。
★行事:例年8月23日に地蔵盆法要・菓子供養が行われます。

【法然塔(法然上人)・「南無阿弥陀仏」の解説】

★概要:法然塔には6字の名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」が刻まれています。法然塔は名号石とも言われています。「南無阿弥陀仏」は1204年(元久元年)に法然上人が後白河法皇(第77代・後白河天皇)の13回忌法要を行った際、人々に書写して分け与えたと言われています。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
三十三間堂見どころ(太閤椿・桜・久勢稲荷大明神など)

【三十三間堂 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・京都・三十三間堂(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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