三十三間堂見どころ-修学旅行・観光ポイントまとめ

三十三間堂見どころ

三十三間堂見どころ

三十三間堂見どころを解説しています。修学旅行・観光に役立つ簡単まとめを提供。三十三間堂で見逃せない蓮華王院本堂(国宝)・仏像などを解説しています。三十三間堂有数の見どころである蓮華王院本堂は千手観音坐像・千体仏・風神雷神像などを安置し、1月に西側で通し矢が行われます。(三十三間堂見どころ下記参照)

【三十三間堂 歴史・簡単概要】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)とは平安時代中期の988年(永延2年)に太政大臣(だじょうだいじん)・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。三十三間堂は平安時代後期の1165年(長寛2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)の一画に創建したのが起源です。ただ鎌倉時代前期の1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))が蓮華王院本堂のみを再建しました。
京都・三十三間堂歴史(起源・・・)

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【三十三間堂-蓮華王院本堂・見どころ】 ★★★修学旅行
蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は見逃せない国宝です。蓮華王院本堂は内陣の柱間が「33」あることから三十三間堂と言われています。「三十三」は本尊・観音菩薩(かんのんぼさつ)にゆかりのある数字で、経典「法華経(ほけきょう)」などでは観音菩薩が「三十三(変化身三十三身(へんげしんさんじゅうさんじん))」の姿に変じ、衆生を救うと説かれています。蓮華王院本堂は鎌倉時代前期の1249年(建長元年)の火災で焼失し、1266年(文永3年)に再建されました。なお蓮華王院本堂は和様(わよう)で、本瓦葺(ほんがわらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。
蓮華王院本堂詳細
(蓮華王院本堂・ポイント)
●蓮華王院本堂は桁行三十五間・梁間五間で、向拝(こうはい)七間です。三十三間堂の名称は間面記法(けんめんきほう)で、三十三間四面となることに由来しています。内陣の柱間が「33」、外部から見ると柱間が「35」になります。
●蓮華王院本堂は南北約120メートル・奥行き約22メートル・高さ約16メートルです。
●蓮華王院本堂は本尊・千手観音(せんじゅかんのん)坐像(国宝)、その左右に1,000体の千手観音立像(国宝)と本尊の背後に1,001体目の千手観音立像(国宝)を安置しています。
●蓮華王院本堂は砂と粘土を層状に堆積した版築(はんちく)の地盤の上に建てられ、地震の震動を吸収するそうです。堂内は屋台骨(やたいぼね)が柱間を2本の梁(はり)でつなぐ二重虹梁(にじゅうこうりょう)になっています。
●蓮華王院本堂は1930年(昭和5年)の修理の際、かつて堂内が花や雲文様の極彩色だったたことが分かりました。ちなみに外側は朱塗り(しゅぬり)でした。
蓮華王院本堂(歴史概略・特徴・・・)

【三十三間堂-千手観音(仏像)・見どころ】 ★★★修学旅行
本尊・千手観音坐像は見逃せない国宝です。千手観音坐像は鎌倉時代前期の1254年(建長6年)に仏師・湛慶(たんけい)が82歳の時に造仏しました。本尊は中尊(ちゅうそん)と言われています。本尊の左右10段(1段に50体)の階段に安置される1,000体の千体仏(せんたいぶつ)と本尊の背後に安置される1,001体目の千手観音立像は見逃せない国宝(2018年(平成30年)10月31日指定)です。千手観音立像は平安時代から室町時代に造仏されました。なお1,001体の千手観音立像は1973年(昭和48年)から毎年15体~40体の修復が行われ、2017年(平成29年)に完了しました。ちなみに総事業費は約9億2,300万円でした。
千手観音詳細
(千手観音・ポイント)
●本尊・千手観音坐像は高さ約3・3メートルだが、台座などを含めると7メートルを超えます。本尊・千手観音坐像はヒノキの寄木造(よせぎづくり)です。なお本尊・千手観音坐像は42手です。胸前で合掌(がっしょう)する2本の手を除き、40本の手がそれぞれ天上界(てんじょうかい)から地獄(じごく)までの25の世界を救うとされています。(40×25=1,000)
●本尊・千手観音坐像は台座心棒(しんぼう)に湛慶以外にも法眼康円(ほうげんこうえん)・法眼康清(ほうげんこうせい)の名前が墨書(ぼくしょ)で書かれています。
●千手観音立像は高さ1.6メートル前後です。千手観音立像は寄木造または割矧ぎ造(わりはぎづくり)です。
●千手観音立像は124体が平安時代、876体が鎌倉時代、1体が室町時代に造仏されました。鎌倉時代以降の約500体には仏師名が残されています。
●1,001体目の千手観音立像は「行像尊(ぎょうぞうそん)」と言われ、寄進の為に各地を回ったと言われています。
●2020年(令和2年)に千体千手観音立像が国宝に指定された記念の慶讃法要の一環として、後白河法皇(第77代・後白河天皇)の13回忌以来の約800年振りに「浄土如法経次第(じょうどにょほうきょうしだい)」が行われました。13回忌法要では第83代・土御門天皇が浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)を招いて写経の法要を行ったころから浄土宗の僧侶が招かれ、「六時礼讃(らいさん)」を行いました。

【三十三間堂-南大門・見どころ】 ★★修学旅行
南大門(なんだいもん)は重要文化財です。南大門は三間一戸の八脚門(さんげんいっこはっきゃくもん)です。南大門はかつて関白・豊臣秀吉が建立したと言われていたが、虹梁(こうりょう)の刻銘(こくめい)から江戸時代初期の1600年(慶長5年)に豊臣秀頼が建立したと言われています。なお南大門は本瓦葺の切妻造(きりづまづくり)です。
(南大門・ポイント)
●南大門以外に西大門もあったが、1895年(明治28年)の京都国立博物館の建設の際、東寺の南大門(重要文化財)として移されました。

【三十三間堂-太閤塀・見どころ】 ★★修学旅行
太閤塀(たいこうべい)は重要文化財です。太閤塀は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が方広寺(ほうこうじ)の大仏殿を建立した際に築造しました。三十三間堂は方広寺の寺域に取り込まれました。太閤塀の修理の際に「天正十六年(1588年)・・・大ふつ殿瓦」と刻まれた豊臣家の桐紋がある瓦が発見されました。
(太閤塀・ポイント)
●太閤塀は長さ約92メートル・高さ約5.3メートルです。
●太閤塀はかつて南だけでなく、西にもありました。

【三十三間堂-風神・雷神(仏像)・見どころ】 ★修学旅行
風神 (ふうじん)・雷神(らいじん)は見逃せない国宝です。風神・雷神は堂内の左右端に安置されています。風神は風袋(ふうたい)、雷神は連鼓(れんこ)を負っています。風神・雷神は鎌倉時代に造仏され、日本最古の風神・雷神と言われています。なお風神は像高約111センチ・雷神は像高約100センチです。
(風神・雷神・ポイント)
●風神・雷神は絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた「風神雷神図屏風(建仁寺(けんにんじ))」のモデルと言われています。
●2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから風神・雷神の位置が約80年振りに変更されました。

【三十三間堂-二十八部衆(仏像)・見どころ】 ★修学旅行
二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)は見逃せない国宝です。二十八部衆は千手観音の眷属(けんぞく)とされ、千手観音を信仰する者を守護するとされています。二十八部衆は鎌倉時代に造仏されたと言われています。なお二十八部衆は像高153.6センチ(最小)から約169.7センチ(最大)です。
(二十八部衆・ポイント)
●二十八部衆立像はかつて本尊・千手観音坐像の周りに安置されていたそうです。
●2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから二十八部衆立像の位置が約80年振りに変更されました。また一部の像名も変更しました。

【三十三間堂-夜泣せん・見どころ】
夜泣せん(夜泣泉)は平安時代後期の1165年(長寛2年)に僧が夢告によって発見しました。湧き出す音がすすり泣きに似ていたことから名付けられました。なお夜泣せん近くに地蔵尊(じぞうそん)が祀られ、子どもの夜泣き封じにご利益があると言われています。
(夜泣せん・ポイント)
●地蔵尊によだれかけを奉納祈願し、1週間後によだれかけを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが治ると言われています。なお毎年8月23日に地蔵盆法要(じぞうぼんほよう)・菓子供養が行われます。

【三十三間堂-太閤椿・見どころ】
太閤椿(たいこうつばき)は普通の椿の倍ほどの大きさの花が咲く、大盃(おおさかずき)という品種です。太閤椿は加藤清正(かとうきよまさ)が関白・豊臣秀吉に献上したとも言われています。なお太閤椿は例年4月頃に見ごろを迎えます。
(太閤椿・ポイント)
●加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)の一人に数えられました。

【三十三間堂-法然塔・見どころ】
法然塔には6字の名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」が刻まれています。法然塔は名号石とも言われています。「南無阿弥陀仏」は鎌倉時代初期の1204年(元久元年)に法然上人が後白河法皇(第77代・後白河天皇)の13回忌法要を行った際、人々に書写して分け与えたと言われています。

【三十三間堂-久勢稲荷大明神・見どころ】 ★修学旅行
久勢稲荷大明神(くぜいなりだいみょうじん)は鎮守社で、境内の南西にあります。久勢稲荷大明神にはお稲荷さんのお使いであるきつね(狐)が置かれています。なお久勢稲荷大明神では毎年秋に山伏(やまぶし)によるお火焚き(おひたき)が行われます。

【三十三間堂-通し矢・見どころ】
毎年1月中旬頃に通し矢(大的全国大会)が行われます。通し矢は本堂西側の特設射場で行われます。通し矢では新成人の男女が60メートル先の直径約1メートルの的を狙います。なお通し矢の名称は軒下を通すことに由来しています。
(通し矢・ポイント)
●通し矢の起源は明確ではありません。通し矢は鎌倉時代に正月に行っていた射礼(じゃらい)が起源とも、室町時代末期に始まったとも言われています。
通し矢

【三十三間堂-妙法院・見どころ】 ★修学旅行
三十三間堂は天台宗の門跡寺院・妙法院(みょうほういん)の境外仏堂です。現在妙法院が所有・管理しています。ちなみに妙法院は京都市東山区妙法院前側町447にあります。なお妙法院は比叡山三千坊(ひえいざんさんぜんぼう)と言われる比叡山上にあった坊が起源と言われ、初代門主は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)とされています。
妙法院(アクセス・・・)

【三十三間堂見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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