三十三間堂見どころを全部解説-知れば修学旅行・観光を満喫

三十三間堂見どころ

三十三間堂見どころを全部解説

三十三間堂見どころを全部解説しています。見どころを簡単にポイントをまとめて徹底解説。見どころには三十三間堂と言われる蓮華王院本堂(国宝)・本尊と千体仏の千手観音(国宝)・南大門(重文)・太閤塀(重文)などがあります。なお三十三間堂見どころを全部解説では修学旅行・観光を完全満喫できるように豆知識などを紹介しています。(個別解説下記参照)

【三十三間堂見どころのポイント】

三十三間堂見どころのポイントは観音菩薩です。三十三間堂の本尊・千手観音は聖観音・十一面観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音(不空羂索観音)とともに六観音に数えられています。六観音は人が因果応報により、死後に輪廻転生する六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に迷う衆生を救うという考えから生まれたと言われています。観音菩薩は観世音菩薩・観自在菩薩・救世菩薩・観音さまなどとも言われ、人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われ、「法華経」などで「変化身三十三身(三十三応現身・三十三応化身)」が説かれ、「三十三(33)」にゆかりがあります。ちなみに変化身三十三身には仏身・辟支仏身・声聞身・梵王身・帝釈身・自在天身・大自在天身・天大将軍身・毘沙門身・小王身などがあります。千手観音は42手で、胸前で合掌する2本の手を除き、40本の手がそれぞれ天上界から地獄までの25の世界(40×25=1,000)を救うとされています。観音菩薩は飛鳥時代から造仏され、現世利益と結び付いて広く信仰されるようになり、熊野の那智山(和歌山)を聖地とする西国三十三所などの観音霊場も生まれました。なお観音菩薩は一般的に勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍とされています。

【三十三間堂 歴史・簡単概要】

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は平安時代中期の988年(永延2年)に太政大臣(だじょうだいじん)・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。三十三間堂は平安時代後期の1165年(長寛2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)の一画に創建したのが起源です。ただ鎌倉時代前期の1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))が蓮華王院本堂のみを再建しました。
京都・三十三間堂歴史(起源・・・)

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【蓮華王院本堂・簡単解説 三十三間堂】★★★修学旅行・観光の見どころ

蓮華王院本堂(三十三間堂)は古くから新春の風物詩になっている通し矢が行われている観光名所で、最大のハイライト・目玉です。蓮華王院本堂は境内の東側から眺めると南北約120メートルの大きさに圧倒され、言葉を失うかもしれません。蓮華王院本堂は周囲を散策することができ、散策すると大きさを実感することができます。蓮華王院本堂はインスタ映え・写真映えします。

  • 概要・・・蓮華王院本堂(国宝)は南北約120メートル・奥行き約22メートル・高さ約16メートルです。蓮華王院本堂は本尊・千手観音(せんじゅかんのん)坐像(国宝)、その左右に1,000体の千手観音立像(国宝)と本尊の背後に1,001体目の千手観音立像(国宝)を安置しています。ちなみに蓮華王院本堂の「蓮華王」は千手観音の別称です。なお千手観音は洛陽三十三所観音霊場の第17番札所になっています。
  • 名称の由来・・・蓮華王院本堂は間面記法(けんめんきほう)で三十三間四面になることから三十三間堂と言われています。内陣の柱間が「33」、外部から見ると柱間が「35」になっています。ちなみに「33」は観音菩薩(かんのんぼさつ)にゆかりのある数字で、経典「法華経(ほけきょう)」などでは観音菩薩が「三十三」の姿(変化身三十三身(へんげしんさんじゅうさんじん))に変じ、衆生を救うと説かれています。
  • 歴史・・・蓮華王院本堂は1266年(文永3年)に再建されました。その後1433年(永享5年)に室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修復し、1650年(慶安3年)に向拝(こうはい)が設けられました。1930年(昭和5年)に修理が行われ、外側が朱塗り(しゅぬり)で、堂内が花や雲文様の極彩色だったたことが分かりました。美しかった古来の姿を想像するのもいいかもしれません。ちなみに蓮華王院本堂は1165年(長寛2年)に創建され、1249年(建長元年)に火災よって焼失しました。
  • 様式・・・蓮華王院本堂は和様(わよう)で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。蓮華王院本堂は桁行三十五間・梁間五間で、向拝(こうはい)七間です。堂内は屋台骨(やたいぼね)が柱間を2本の梁(はり)で繋ぐ二重虹梁(にじゅうこうりょう)になっています。なお蓮華王院本堂は砂と粘土を層状に堆積した版築(はんちく)の地盤の上に建てられ、地震の震動を吸収します。

蓮華王院本堂見どころ(概略・特徴・・・)

【千手観音・簡単解説 三十三間堂】★★★修学旅行・観光の見どころ

千手観音は蓮華王院本堂とともにハイライト・目玉です。本尊の左右に安置され、千体仏と言われる千手観音立像は必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられ、美しい尊顔に注目です。修学旅行生も観光客も尊顔をじっくり眺めましょう。また中尊は台座などを含めると7メートルを超え、その大きさも注目です。なお千手観音は仏像の森とも称され、整然と安置されている光景はまさに圧巻と言われています。

  • 概要・・・千手観音坐像(国宝)は三十三間堂の本尊で、中尊(ちゅうそん)と言われています。千手観音立像(国宝)は本尊の左右10段(1段に50体)の階段に安置されている1,000体の千体仏(せんたいぶつ)と本尊の背後に安置されている1,001体目の千手観音立像です。1,001体目の千手観音立像は「行像尊(ぎょうぞうそん)」と言われ、寄進の為に各地を回ったと言われています。
  • 千手観音坐像・・・千手観音坐像は1254年(建長6年)に仏師・湛慶(たんけい)が82歳の時に造仏しました。千手観音坐像は台座心棒(しんぼう)に湛慶以外にも法眼康円(ほうげんこうえん)・法眼康清(ほうげんこうせい)の名前が墨書(ぼくしょ)されています。千手観音坐像は温雅な表情が湛慶の作風とされ、観音菩薩の慈徳を表現していると言われています。千手観音坐像は像高約3.3メートルだが、台座などを含めると7メートルを超えます。千手観音坐像は42手で、胸前で合掌(がっしょう)する2本の手を除き、40本の手がそれぞれ天上界(てんじょうかい)から地獄(じごく)までの25の世界を救うとされています。(40×25=1,000)千手観音坐像はヒノキ(桧)の寄木造(よせぎづくり)です。
  • 千手観音立像・・・千手観音立像は平安時代から室町時代に造仏されました。124体が平安時代、876体が鎌倉時代、1体が室町時代に造仏されました。鎌倉時代以降の約500体には仏師名が残されています。1,001体の千手観音立像は1973年(昭和48年)から毎年15体~40体の修復が行われ、2017年(平成29年)に完了しました。ちなみに総事業費は約9億2,300万円でした。千手観音立像は像高1.6メートル前後です。千手観音立像は寄木造または割矧ぎ造(わりはぎづくり)です。
  • 行事・・・2020年(令和2年)に千体千手観音立像が国宝に指定された記念の慶讃法要の一環として、後白河法皇(第77代・後白河天皇)の13回忌以来の約800年振りに「浄土如法経次第(じょうどにょほうきょうしだい)」が行われました。13回忌法要では第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)が浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)を招いて写経の法要を行ったころから浄土宗の僧侶が招かれ、「六時礼讃(らいさん)」を行いました。

千手観音見どころ(概略・特徴・・・)

【南大門・簡単解説 三十三間堂】★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・南大門(重要文化財)は桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が創建した方広寺(ほうこうじ)の遺構と言われています。南大門は拝観エリア外にあり、修学旅行生や観光客があまり知られていない穴場です。
  • 歴史・・・南大門はかつて関白・豊臣秀吉が建立したと言われていたが、虹梁(こうりょう)の刻銘(こくめい)から1600年(慶長5年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が建立したことが分かりました。
  • 様式・・・南大門は三間一戸(さんげんいっこ)の八脚門(はっきゃくもん)です。南大門は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。南大門には蟇股(かえるまた)に花鳥禽獣(かちょうきんじゅう)があしらわれています。
  • 豆知識・・・三十三間堂には南大門以外に西大門も建立されていたが、1895年(明治28年)の京都国立博物館の建設の際、東寺(とうじ)の南大門として移されました。

南大門見どころ(概略・特徴・・・)

【太閤塀・簡単解説 三十三間堂】

  • 概要・・・太閤塀(重要文化財)は長さ約92メートル・高さ約5.3メートルです。太閤塀はかつて南側だけでなく、西側にもありました。
  • 歴史・・・太閤塀は桃山時代に関白・豊臣秀吉が方広寺の大仏殿を建立した際に築造しました。三十三間堂は方広寺の寺域に取り込まれました。太閤塀の修理の際に「天正十六年(1588年)・・・大ふつ殿瓦」と刻まれた豊臣家の桐紋がある瓦が発見されました。

【風神・雷神・簡単解説 三十三間堂】

  • 概要・・・風神 (国宝)・雷神(国宝)は三十三間堂の左右端に安置されています。風神は風袋(ふうたい)、雷神は連鼓(れんこ)を背負ったユーモラスな姿をしています。風神・雷神は絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた「風神雷神図屏風(建仁寺(けんにんじ))」のモデルと言われています。
  • 歴史・・・風神・雷神は鎌倉時代に造仏されました。風神・雷神は日本最古の風神・雷神と言われています。2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから風神・雷神の位置が約80年振りに変更されました。
  • 様式・・・風神は像高約111センチ、雷神は像高約100センチです。風神・雷神は寄木造です。

風神・雷神見どころ(概略・特徴・・・)

【二十八部衆・簡単解説 三十三間堂】

  • 概要・・・二十八部衆(国宝)はかつて本尊・千手観音坐像の周りに安置されていました。二十八部衆は千手観音の眷属(けんぞく)とされ、千手観音を信仰する者を守護するとされています。なお二十八部衆は那羅延堅固(ならえんけんご)・難陀龍王(なんだりゅうおう)・摩ご羅(まごら)・緊那羅(きんなら)・迦楼羅(かるら)・乾闥婆(けんだつば)・毘舎闍(びしゃじ)・散支大将(さんしたいしょう)・満善車鉢(まんぜんしゃはつ)・摩尼跋陀羅(まにばだら)・毘沙門天(びしゃもんてん)・毘楼勒叉(びるろくしゃ)・婆藪仙(ばすせん)・大弁功徳天(だいべんくどくてん)・大梵天王(だいぼんてんおう)・帝釈天王(たいしゃくてんおう)・提頭頼た王(だいずらたおう)・毘楼博叉(びるばくしゃ)・薩遮摩和羅(さしゃまわら)・五部浄居(ごぶじょうご)・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)・神母女(じんもにょ)・金毘羅(こんぴら)・畢婆伽羅(ひばから)・阿修羅(あしゅら)・伊鉢羅(いはつら)・娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)・密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)です。
  • 歴史・・・二十八部衆は鎌倉時代に造仏されたと言われています。2018年(平成30年)に鎌倉時代の版画などから二十八部衆立像の位置が約80年振りに変更されました。また一部の像名も変更しました。
  • 様式・・・二十八部衆は像高153.6センチ(最小)から約169.7センチ(最大)です。二十八部衆は寄木造です。

【夜泣せん・簡単解説 三十三間堂】

  • 概要・・・夜泣せん(夜泣泉)は湧き出す音がすすり泣きに似ていたことから名付けられました。夜泣せん近くに地蔵尊(じぞうそん)が祀られ、子どもの夜泣き封じにご利益があると言われています。地蔵尊によだれ掛けを奉納祈願し、1週間後によだれ掛けを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが治ると言われています。
  • 歴史・・・夜泣せんは1165年(長寛2年)に僧が夢告によって発見しました。
  • 行事・・・例年8月23日に地蔵盆法要・菓子供養が行われます。

【法然塔・簡単解説 三十三間堂】

  • 概要・・・法然塔には6字の名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」が刻まれています。法然塔は名号石とも言われています。「南無阿弥陀仏」は1204年(元久元年)に法然上人が後白河法皇(第77代・後白河天皇)の13回忌法要を行った際、人々に書写して分け与えたと言われています。

●上記以外の三十三間堂見どころは下記リンクから確認することができます。
三十三間堂見どころ(太閤椿・桜・久勢稲荷大明神など)

【三十三間堂見どころ解説以外の情報】
三十三間堂基本情報

【三十三間堂見どころ 備考(参考リンク)】
住所・・・京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
電話番号・・・+81-75-561-3334
拝観時間・・・8:00~17:00(4/1~11/15)・9:00~16:00(11/16~3/31)・無休
拝観料・・・一般600円、高校中学400円、子供300円
アクセス・・・博物館・三十三間堂前バス停(徒歩すぐ)、東山七条バス停(徒歩すぐ)、京阪七条駅(徒歩約5分)
*参考・・・京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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