三十三間堂の見どころ簡単解説2-修学旅行・観光の豆知識
三十三間堂の見どころは太閤椿・桜・久勢稲荷大明神・参進閣・通し矢など
三十三間堂の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには豊臣秀吉に献上されたと言われる太閤椿・桜・鎮守社である久勢稲荷大明神・玄関口・御朱印授与所である参進閣・通し矢(大的全国大会)・春桃会などがあります。(個別解説下記参照)
●蓮華王院本堂(国宝)・仏像・南大門(重要文化財)などの三十三間堂見どころは下記リンクから確認することができます。
三十三間堂見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)
【三十三間堂の歴史・簡単概要】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は平安時代中期の988年(永延2年)に太政大臣(だじょうだいじん)・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。三十三間堂は平安時代後期の1165年(長寛2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)の一画に創建したのが起源です。ただ鎌倉時代前期の1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))が蓮華王院本堂のみを再建しました。
三十三間堂歴史(起源・・・)
【関白・豊臣秀吉に献上されたと言われる太閤椿】
- 概要:太閤椿(たいこうつばき)は桃山時代に加藤清正(かとうきよまさ)が関白・豊臣秀吉に献上したと言われています。太閤椿は普通の椿の倍ほどの大きさの花が咲く、大盃(おおさかずき)という品種です。太閤椿は例年4月頃に見ごろを迎えます。
- 豆知識:加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)の一人に数えられました。
【春の桜・見ごろ】
- 概要:三十三間堂は桜の名所です。境内に枝垂桜・陽光桜・彼岸桜・河津桜・十月桜などが植えられ、例年3月下旬頃から4月上旬頃に見ごろを迎えます。
【鎮守社である久勢稲荷大明神】
- 概要:久勢稲荷大明神(くぜいなりだいみょうじん)は三十三間堂の鎮守社で、境内の南西に祀られています。久勢稲荷大明神にはお稲荷さんのお使いであるきつね(狐)が置かれています。
- 行事:久勢稲荷大明神では毎年秋に山伏(やまぶし)によるお火焚き(おひたき)が行われています。
【玄関口・御朱印授与所である参進閣】
- 概要:参進閣(御朱印授与所)は三十三間堂の玄関口です。下足を脱ぎ、出入りします。参進閣は面積約240平方メートルから面積約640平方メートルに拡張され、冷暖房完備のバリアフリー、そして耐震化が施されています。
- 歴史:参進閣は1960年(昭和35年)に建てられた旧参進閣が老朽化した為、2017年(平成29年)に新たに建てられました。
【初春の風物詩である通し矢(大的全国大会)】
- 概要:通し矢(大的全国大会)は例年1月中旬頃に行われています。通し矢は西側の特設射場で行われます。通し矢では新成人の男女が60メートル先の直径約1メートルの的を狙います。なお通し矢の名称は三十三間堂の軒下を通すことに由来しています。
- 歴史:通し矢は起源が明確ではありません。通し矢は鎌倉時代に正月に行っていた射礼(じゃらい)が起源とも、室町時代末期に始まったとも言われています。
【インド伝来の修法である楊枝のお加持】
- 概要:楊枝のお加持(やなぎのおかじ)は例年1月中旬頃に行われています。楊枝のお加持は後白河法皇の頭痛平癒にあやかる法要です。本尊前で7日間祈祷した浄水を人間の煩悩を除くとされる霊木・楊枝の枝で降り注ぎ、無病息災・厄除開運のご利益を授けます。
- 歴史:楊枝のお加持はインド伝来の修法と言われています。
【3月3日の桃の節句に行われる春桃会】
- 概要:春桃会(しゅんとうえ)は三十三間堂の「三」に因み、「三」が重なる3月3日の桃の節句に行われています。3月3日は陽数(奇数)が重なり、陰陽道(おんみょうどう)では縁起がよいとされています。春桃会では無事息災を祈願します。なお春桃会では女性専用の桃のお守りが授与されます。
【天台三門跡に数えられる妙法院】
- 概要:三十三間堂は天台宗(てんだいしゅう)の門跡寺院・妙法院(みょうほういん)の境外仏堂です。三十三間堂は現在、妙法院が所有・管理しています。なお妙法院は京都市東山区妙法院前側町447にあります。
- 歴史:妙法院は比叡山三千坊(ひえいざんさんぜんぼう)と言われる比叡山上にあった坊が起源と言われ、初代門主は天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)とされています。
【三十三間堂 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・京都・三十三間堂(見どころ・アクセス・・・)ホームページ