通し矢・三十三間堂見どころ(大的大会・日程・・・)

三十三間堂通し矢

通し矢

通し矢・大的大会(三十三間堂見どころ)を詳しく紹介します。なお三十三間堂は1165年(長寛2年)後白河上皇が平清盛に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿に創建しました。その後焼失し、1266年(文永3年)後嵯峨上皇が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。

【通し矢 基礎情報】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)・蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は平安時代の988年(永延2年)太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。三十三間堂は1165年(長寛2年)後白河上皇(第77代・後白河天皇)が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建したのが起源です。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。
三十三間堂歴史年表
*参考・・・三十三間堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ三十三間堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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【通し矢 概略】
三十三間堂通し矢(とおしや)・大的大会(おおまとたいかい)・大的全国大会(おおまとぜんこくたいかい)は江戸時代に各藩の弓術家が三十三間堂の本堂の軒下で矢を射った大矢数に因んだ行事です。通し矢では例年成人を迎えた約2千名の男女の弓道有段者や称号者が大的を射って腕を競います。新成人の女性は華やかな晴れ着姿で矢を射ることから新春の風物詩、京都の風物詩になっています。
(通し矢 概要・ポイント)
●新成人による通し矢は1951年(昭和26年)から行われています。

【通し矢 距離・的の大きさ】
通し矢では射場が本堂の西側に設置され、北側から60メートル先に置かれた南側の大的を狙います。その為本堂の南側は立ち入り禁止になっています。
(通し矢 距離・的の大きさ・ポイント)
●60メートル先の大的の大きさは一定ではなく、新成人は1メートル、称号者は79センチになります。また2本の矢を全て的中させた皆中者で争われる決勝では新成人の的の大きさは1メートルで変わらないが、称号者の的の大きさは79センチから50センチに小さくなります。

【通し矢 歴史】
通し矢は起源が明確ではありません。通し矢は確証はなく、伝説の域を出ないそうだが、平安時代末期の1156年頃(保元元年頃)熊野・蕪坂源太(かぶさかげんた)が三十三間堂で行ったのが起源とも言われているそうです。蕪坂源太は狩りを職業とし、二町(約218メートル)先を走る鹿さえも外さなかったとも言われているそうです。その後通し矢は安土桃山時代の天正年間(1573年~1591年)に盛んになり、1595年(文禄4年)には関白・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が三十三間堂での禁令を出しました。なお通し矢は堂射(どうしゃ)・堂前(どうまえ)などとも言われるそうです。
(通し矢 歴史・ポイント)
●通し矢の記録が明確に残っているのは1651年(慶安4年)に出された「年代矢数帳」に記されている1606年(慶長11年)の朝岡平兵衛(あさおかへいべえ)の記録が最初だそうです。そして1686年(貞享3年)紀州藩士で、紀州竹林派の弓術家・和佐範遠(わさのりとお)が13,053本中8,133本射通したのが最高記録だそうです。その後通し矢は18世紀中頃からほとんど行われなくなったそうでう。なお通し矢の起源と言われている大矢数(おおやかず)は一昼夜に何本射通したかを競ったものだそうです。

【通し矢 本堂】
通し矢が現在行われる射場は本堂(三十三間堂)の西側に設置されます。本堂は国宝で、1266年(文永3年)に再建されました。本堂には本尊・千手観音坐像(国宝)や1,000体の千手観音立像(重要文化財)などが安置されています。本堂は内陣の柱間が33あることから三十三間堂と言われています。なお三十三間堂は三十三間堂近くの天台宗の門跡寺院・妙法院(みょうほういん)の境外仏堂で、妙法院が所有・管理しています。
(通し矢 本堂・ポイント)
●本堂は全長約121.7メートル、高さ約4.5~約5.3メートル、幅約2.36メートルです。全長は現在行われている60メートルの通し矢の約2倍あります。

【通し矢 楊枝のお加持】
通し矢は本堂での楊枝のお加持(やなぎのおかじ)と一緒に1月中旬頃に行われ、拝観料が無料になります。楊枝のお加持は後白河法皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな最重の法要です。楊枝のお加持では本尊・千手観音坐像前で7日間祈祷した浄水を人間の煩悩を除くとされる霊木・楊枝の枝で参詣者に降り注ぎ、無病息災・厄除開運のご利益を授けます。楊枝のお加持はインド伝来の修法と言われているそうです。
(通し矢 楊枝のお加持・ポイント)
●後白河法皇の頭痛には次のような話が残されています。後白河法皇は前世が熊野の修行僧・蓮華坊で、その髑髏が熊野・岩田川に沈み、髑髏を貫いて柳が生え、風に揺られて柳が髑髏に当たることが頭痛の原因になっているというものです。その後髑髏は観音像の頭に納めて祀られ、柳は棟木に使われ、後白河法皇の頭痛は解消したそうです。

【通し矢 備考】
三十三間堂基本情報三十三間堂見どころ三十三間堂見所ランキング

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