清水寺歴史・見どころ-修学旅行・観光の簡単解説

清水寺見どころ

清水寺歴史・見どころ簡単解説

清水寺歴史・見どころポイントを簡単にまとめています。清水寺で見るべき清水の舞台(国宝)や音羽の滝(音羽の瀧)などを解説しています。清水寺のハイライトである清水の舞台は高さ約13メートルで、崖・錦雲渓の斜面にせり出すように組み上げられています。(清水寺簡単解説下記参照)

【清水寺のチェックポイント】
清水寺のチェックポイントは観音さまです。観音さまは清水寺の本尊で、観音さまがインドの南海岸にある八角形の補陀落山に住しているとされ、観音さまを祀る堂塔は山の崖や中腹などに懸造(舞台造・崖造)で建立されます。清水寺の本堂(清水の舞台)も崖・錦雲渓に懸造で建立されています。ちなみに大観音と小観音を本尊とする東大寺(奈良)二月堂や高さ10メートル以上ある十一面観音を本尊とする長谷寺(奈良)本堂なども懸造で建立されています。「清水の舞台から飛び降りる」は観音さまに命を預けて飛び降りれば、命が助かり願いが叶うという観音信仰に由来しています。ちなみに観音さまは観世音菩薩・観自在菩薩・救世菩薩などとも言われ、人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。清水寺では観音さまの教えに諭され、自らの邸宅を仏殿(本堂)に寄進した坂上田村麻呂夫妻、観音さまの化身とされる行叡居士、行叡居士から授けられた霊木から観音さまを刻んだと言われる延鎮上人の像が開山堂に安置されています。清水寺では坂上田村麻呂を本願、行叡居士を元祖、延鎮上人を開山としています。なお清水寺は観音霊場である西国三十三所の第16番札所になっています。清水寺では桜ライトアップ・紅葉ライトアップの際、観音さまの慈悲の心を表すと言われる青い一筋の光が夜空に向かって放たれます。

【清水寺 歴史・簡単概要】
音羽山・清水寺とは奈良時代後期の778年(宝亀9年)に法相宗(ほっそうしゅう)大本山である大和・興福寺の僧で、子島寺で修行していた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。その後780年(宝亀11年)に坂上田村麻呂が延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭され、自らの邸宅を仏殿に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)と地蔵菩薩(じぞうぼさつ)・毘沙門天(びしゃもんてん)を安置したとも言われています。
清水寺には室町時代中期の応仁の乱(おうにんのらん)後に再建された建物と江戸時代前期の1629年(寛永6年)の大火後に再建された建物があります。仁王門・馬駐・鐘楼は1629年(寛永6年)の大火で焼失を免れ、本堂(清水の舞台)などの多くの建物が1629年(寛永6年)の大火後に再建されました。
清水寺歴史(起源・・・)

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【本堂・要点簡単解説 清水寺】★★★修学旅行・観光必見
最大のハイライトである本堂(清水の舞台)は国宝です。本堂は音羽山の崖・錦雲渓(きんうんけい)の斜面にせり出すように建立されています。本堂は内々陣・内陣・外陣(礼堂)・舞台に分かれています。舞台は元々本尊(秘仏)・十一面千手観音立像に芸能を奉納する場所です。両脇の翼廊(よくろう)は楽舎に使われました。本堂は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建されました。本堂は随所に平安時代の建築様式を取り入れ、寝殿造(しんでんづくり)の趣を伝えています。本堂は檜皮葺(ひわだぶき)の寄棟造(よせむねづくり)です。美しい曲線美の檜皮葺の屋根は「照り起(むく)り」と言われています。舞台は懸造(かけづくり)・舞台造です。本堂(清水の舞台)は舞台・美しい屋根と懸造に注目です。
清水寺清水の舞台詳細
(本堂・キーポイント 清水寺)
●本堂は桁行九間・梁間七間で、正面約36メートル・側面約30メートル・棟高約18メートルです。梁間七間の内、奥から梁間三間分が内々陣、次の梁間一間分が内陣、更に次の梁間三間分が外陣です。
●清水の舞台は高さ約13メートル・正面約18メートル・側面約10メートルで、面積約190平方メートルです。舞台からは前方に広がる絶景を眺められます。舞台は最長約12メートル・周囲約2メートルの柱など139本のケヤキ(欅)を釘(くぎ)を1本も使わない地獄止めによって組み上げられ、七不思議に数えられています。植物の落葉後(晩秋から冬)に本堂(清水の舞台)下から見上げると懸造・舞台造の美しい光景が見られます。
●清水の舞台・本堂が斜面にせり出すようにして建立されているのは観音菩薩が八角の形状をし、険しい補陀落山(ふだらくさん)に降り立つという「観音経」に由来しています。
●内々陣は五間幅の須弥壇(しゅみだん)が設けられ、その周囲が石敷きの土間になっています。須弥壇には中央の厨子(ずし)に本尊・十一面千手観音立像、向かって左側の厨子に地蔵菩薩立像、向かって右側の厨子に毘沙門天立像が安置され、本尊の厨子左右に眷属(けんぞく)である二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)像、内々陣左右端に風神(ふうじん)像・雷神(らいじん)像が安置されています。地蔵菩薩・毘沙門天も本尊と同様に秘仏とされ、本尊と同様に33年に1度開扉されます。十一面千手観音・毘沙門天・地蔵菩薩は清水寺独特の三尊形式で、坂上田村麻呂が蝦夷(えぞ)を打ち破った伝承から地蔵菩薩は「勝軍(しょうぐん)地蔵」、毘沙門天は「勝敵(しょうてき)毘沙門」とも言われています。なお内々陣・内陣は僧侶でも特別な法要の際にしか自由に立ち入ることができません。
●清水の舞台は12世紀(平安時代後期~鎌倉時代初期)の「成通卿口伝日記(なりみちきょうくでんにっき)」が初見です。蹴聖(しゅうせい)・藤原成通が舞台の欄干(らんかん)で蹴鞠(けまり)をしながら一往復したと言われています。
●清水の舞台は「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があるように江戸時代に235件(全体で237件)の投身があったとも言われています。明治時代に飛び降り禁止令が出されました。飛び降り(飛び落ち)は「清水の観音さまに一心に祈って飛ぶと、命も助かり願いも叶う」という民間信仰に由来していたそうです。舞台は古くから有名なパワースポットでした。
●2017年(平成29年)から2020年(令和2年)に約50年振りの檜皮葺の葺き替えが行われました。檜皮葺は約50~60年ごとに葺き替えられ、舞台板は約15~25年ごとに取り換えられています。
●例年桜見ごろ・紅葉見ごろにライトアップが行われ、普段と異なった幻想的な光景に彩られます。また夏には千日詣りも行われ、普段立ちることができない聖域・内々陣を特別拝観でき、本尊・千手観音立像ご宝前に献灯することもできます。期間中の宵詣りでは夜間も参拝できます。更に盂蘭盆会では清水の舞台で六斎念仏(ろくさいねんぶつ)が奉納され、舞台本来の役割が見られます。

【十一面千手観音立像・要点簡単解説 清水寺】
清水寺の本尊・十一面千手観音立像は本堂の内々陣に本尊として安置されています。十一面千手観音立像は33年に1度開扉される秘仏とされ、写真すら非公表で、本尊を模したお前立ち像の写真が公表されています。十一面千手観音立像は鎌倉時代の1220年(承久2年)頃に再造されたと言われています。清水寺創建時の本尊は焼失したと言われています。
(十一面千手観音立像・キーポイント 清水寺)
●十一面千手観音立像は像高約173センチで、光背から台座までの高さが約260センチです。十一面千手観音立像は桧(ひのき)材の寄木造(よせぎづくり)です。彩色が施されていない素地仕上げで、眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)に水晶がはめられています。十一面千手観音立像は11の顔と42の手を持っています。胸前で合掌(がっしょう)する2本の手を除き、40本の手がそれぞれ天上界から地獄までの25の世界を救うとされています。(40×25=1,000)11の顔は頭上の正面側3面が柔和相(にゅうわそう)、左側3面が憤怒相(ふんどそう)、右側3面が白牙上出相(ばくげじょうしゅつそう)、背面1面が大笑相(だいしょうそう)、頭頂が仏相(ぶっそう)を表しています。なおお前立ち像は像高約138センチです。
●開基・延鎮上人はこの地で観音の化身とされる開山・行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会い、行叡居士が残した霊木で千手観音像を刻み、行叡居士の旧庵に安置したと言われています。
●十一面千手観音立像は2033年に開扉される予定です。33年に1度の開扉は観音菩薩が「三十三(変化身三十三身(へんげしんさんじゅうさんじん))」の姿に変じ、衆生を救うということに由来しています。なお33年に1度の開扉がいつから始まったかは明確ではないが、1773年(安永2年)に行われたことが古文書に記されています。

【音羽の滝・要点簡単解説 清水寺】★★★修学旅行・観光必見
ハイライトである音羽の滝(音羽の瀧)は音羽山の山中から湧き、一度も涸れたことがないと言われています。音羽の滝の清水は名称の由来になっています。清水はかつて黄金水・延命水とも言われました。音羽の滝は絶えることなく流れ落ちる清水に注目です。
清水寺音羽の滝詳細
(音羽の滝・キーポイント 清水寺)
●音羽の滝は祠(ほこら)に不動明王・行叡居士が祀られています。毎月28日の不動明王の縁日では山内僧侶が読経を行っています。
●音羽の滝は3本の筧(かけい)から水が流れ落ち、学問成就(向かって左)・恋愛成就(中央)・延命長寿(右)のご利益があるとも言われています。音羽の滝は1本の筧を選び、一口だけ飲みます。音羽の滝は七不思議に数えられ、有名なパワースポットになっています。

【奥の院・要点簡単解説 清水寺】★★★修学旅行・観光必見
ハイライトである奥の院(奥の千手堂)は重要文化財です。奥の院には極彩色文様があります。奥の院は開山・行叡居士と開基・延鎮上人の草庵跡とも言われています。奥の院は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に再建されました。奥の院は檜皮葺の寄棟造です。奥の院は本堂と同様に懸造・舞台造です。奥の院は懸造・舞台造に注目です。
(奥の院・キーポイント 清水寺)
●奥の院は桁行五間・梁間五間です。奥の院にも本堂(清水の舞台)のように舞台があり、舞台からは桜の名所・紅葉の名所とされる本堂(清水の舞台)の絶景を眺めることができます。特にライトアップ期間中は昼間と違った幻想的な光景が見られます。雪化粧も見られます。奥の院はインスタ映えスポットです。
●奥の院は千手観音・毘沙門天・地蔵菩薩・千手観音の眷属である二十八部衆・風神・雷神などを安置しています。なお奥の院は洛陽三十三所観音霊場の第11番札所(パワースポット)です。
●奥の院はかつて法相宗(ほっそうしゅう)に加えて真言宗(しんごんしゅう)兼学で、真言庵とも言われていたそうです。奥の院は真言宗の宗祖である弘法大師・空海坐像も祀っています。
●奥の院は2017年(平成29年)に丹塗り(にぬり)が施されました。内部に塗装がよく残され、外部のみ行われました。なお下半分に丹塗りを行わずに素木(しらき)になっています。
●例年12月に奥の院または本堂(清水の舞台)で今年の漢字が発表され、多くのメディアが駆け付けることで知られています。

【三重塔・要点簡単解説 清水寺】★★★修学旅行・観光必見
ハイライトである三重塔は重要文化財です。三重塔は赤い総丹塗り(にぬり)の三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)です。三重塔は曼荼羅(まんだら)の密教世界が表現され、一層の壁に真言八祖像、天井や柱などに密教仏画や飛天・龍などが極彩色で描かれています。三重塔は平安時代前期の847年(承和14年)に初めて建立されました。三重塔は江戸時代前期の1632年(寛永9年)に再建されました。三重塔は本瓦葺(ほんがわらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。
(三重塔・キーポイント 清水寺)
●三重塔は高さ約31メートルで、国内最大級の三重塔と言われています。三重塔は高さに注目です。三重塔は京都市内からも遠くに眺めることができ、清水寺のシンボルになっています。三重塔はその美しさから本堂(清水の舞台)ととも清水寺を代表する被写体・絶景になっています。
●三重塔は真言密教の教主・大日如来(だいにちにょらい)像を安置しています。
●三重塔は東南の鬼瓦が鬼ではなく、水神の龍になっており、七不思議に数えられています。瓦も注目です。
●三重塔は1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)に半解体修理が行われ、丹塗りも施され、2015年(平成27年)から2017年(平成29年)に西門・阿弥陀堂とともに再び塗り直されました。内部に塗装がよく残され、外部のみ行われました。
●例年10月の乳がんの早期発見啓発キャンペーン・ピンクリボンでは仁王門・西門とともにピンクにライトアップされ、普段と異なった神秘的な光景に彩られます。

【開山堂・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
開山堂(田村堂)は重要文化財です。開山堂は同系統の色を淡色から濃色に変化させて塗る繧繝(うんげん)彩色という技法が施されています。開山堂は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に再建されました。開山堂は檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋造です。
(開山堂・キーポイント 清水寺)
●開山堂は桁行三間・梁間三間です。
●開山堂は須弥壇(しゅみだん)の厨子(ずし)に大本願・坂上田村麻呂夫妻像を安置しています。また開山・行叡居士と開基・延鎮上人も祀っています。坂上田村麻呂は十一面千手観音を本尊として寺院を建立し、音羽の滝の清らかさに因み、清水寺と名付けたと言われています。かつて「せいすいじ」とも読まれました。開山堂は清水寺の歴史上重要な建物で、その歴史に注目です。
●開山堂は坂上田村麻呂を主人公にした謡曲・「田村」で田村堂と謡われ、田村堂とも言われています。
●開山堂は2005年(平成17年)に丹塗りが施されました。

【子安塔・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
子安塔(こやすのとう)は重要文化財です。子安塔は赤い朱塗り(しゅぬり)の三間三重塔婆(三重塔)です。子安塔は奈良時代の第45代・聖武天皇と光明皇后の祈願所とも言われています。光明皇后は後に第46代・孝謙天皇、第48代・称徳天皇となる阿倍内親王を安産されたとも言われています。子安塔はかつて仁王門の左手前にあったが、1911年(明治44年)に現在の場所に移されました。子安塔は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)頃に再建されたとも言われています。子安塔は檜皮葺です。
(子安塔・キーポイント 清水寺)
●子安塔は高さ約15メートルです。子安塔は高さに注目です。子安塔は本堂(清水の舞台)の前方に建立され、少し距離があるが、本堂(清水の舞台)の絶景を眺めることができます。
●子安塔は子安観音(千手観音)を祀り、安産のご利益があるとも言われています。子安塔はパワースポットになっています。
●子安塔では全面解体の際、戦国時代(室町時代後期)の「明応九年(1500年)五月四日」と記された小さな木組みの部材が発見されました。
●子安塔は2013年(平成25年)に丹塗りが施されました。

【釈迦堂・要点簡単解説 清水寺】
釈迦堂は重要文化財です。釈迦堂は朱い漆塗り(うるしぬり)の来迎柱(らいごうばしら)が使われ、天井に天女像が描かれています。釈迦堂は江戸時代前期の1631年(寛永8年)に再建されたが、1972年(昭和47年)の集中豪雨によって倒壊し、1975年(昭和50年)に旧材を使って復元されました。釈迦堂は檜皮葺の寄棟造です。
(釈迦堂・キーポイント 清水寺)
●釈迦堂は桁行三間・梁間三間です。
●釈迦堂は須弥壇(しゅみだん)に釈迦如来(しゃかにょらい)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の釈迦三尊を安置しています。

【阿弥陀堂・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
阿弥陀堂は重要文化財です。阿弥陀堂は全体が極彩色に飾られ、天井に迦陵頻伽(かりょうびんが)の文様が施され、第104代・後柏原天皇自筆の額「日本最初常行念仏道場」が掛けられています。阿弥陀堂は江戸時代前期の1631年(寛永8年)に再建されました。阿弥陀堂は桟瓦葺(さんがわらぶき)の入母屋造です。阿弥陀堂では額「日本最初常行念仏道場」に注目です。
(阿弥陀堂・キーポイント 清水寺)
●阿弥陀堂は桁行三間・梁間三間です。
●阿弥陀堂は西方極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像を安置しています。
●阿弥陀堂は鎌倉時代初期の1188年(文治4年)に浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が念仏を修したことから日本初の常行念仏道場とも言われ、法然上人二十五霊場の第13番札所・洛陽六阿弥陀めぐりの第3番札所(パワースポット)になっています。阿弥陀堂は音羽の滝の山手に位置しているからかつて滝山寺(りょうせんじ・たきやまでら)と言われていました。
●阿弥陀堂は1996年(平成8年)に丹塗りが施され、2015年(平成27年)から2017年(平成29年)に阿弥陀堂・西門とともに再び塗り直されました。

【経堂・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
経堂は重要文化財です。経堂は平安時代中期に一切経(いっさいきょう)を所蔵し、全国から学問僧が集まったと言われています。経堂は鏡天井(かがみてんじょう)に絵師・岡村信基が描いた墨絵の円龍があります。経堂は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に再建されました。経堂は本瓦葺の入母屋造です。経堂は円龍に注目です。
(経堂・キーポイント 清水寺)
●経堂は桁行五間・梁間四間です。
●経堂は宝冠(ほうかん)釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩の釈迦三尊像を安置しています。
●経堂には絵師・山口雪渓が描いた縦約3.9メートル・横約3メートルの涅槃図(ねはんず)が祀られています。経堂では例年2月15日に涅槃図を掲げて涅槃会を行われています。
●経堂は2000年(平成12年)に丹塗りが施されました。

【朝倉堂・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
朝倉堂は重要文化財です。朝倉堂はかつて朱塗りだったが、現在は全面白木の建物です。朝倉堂は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に再建されました。朝倉堂は本瓦葺の入母屋造です。朝倉堂は建物の色に注目です。
(朝倉堂・キーポイント 清水寺)
●朝倉堂は桁行五間・梁間三間です。
●朝倉堂は清水型十一面千手観音(秘仏)・毘沙門天・地蔵菩薩などを安置しています。また地主神社(じしゅじんじゃ)の本地仏(ほんじぶつ)である普賢菩薩・西国三十三所の観音像・出開帳仏も祀っています。なお朝倉堂は洛陽三十三所観音霊場の第13番札所(パワースポット)です。
●朝倉堂は戦国時代(室町時代後期)の1510年(永正7年)に観音を篤く信仰した守護大名・朝倉貞景の寄進によって法華三昧堂(ほっけさんまいどう)として建立されました。朝倉貞景は願阿上人(がんあしょうにん)の大勧進に対して最大の寄進をしました。朝倉堂はかつて本堂(清水の舞台)と同じ懸造・舞台造だったが、寛永年間(1624年~1644年)の再建の際に平地建てに変更されました。

【仁王門・要点簡単解説 清水寺】★★★修学旅行・観光必見
仁王門(赤門)は重要文化財です。仁王門は朱塗りの三間一戸の楼門で、正門です。仁王門には三蹟の一人である藤原行成筆の扁額「清水寺」が掛けられています。仁王門は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失したが、室町時代後期(16世紀初頭)に再建されました。仁王門は檜皮葺の入母屋造です。
(仁王門・キーポイント 清水寺)
●仁王門は幅約10メートル・奥行き約5メートル・棟高約14メートルです。仁王門は石段上に建立され、西側を眺めると京都市内の絶景が眺められます。
●仁王門は左右に鎌倉時代に造仏された金剛力士(こんごうりきし)像を安置しています。仁王門は金剛力士に注目です。
●仁王門は右側の腰貫の頭を叩くと反対側の腰貫に音が反響し、七不思議に数えられています。腰貫も注目です。
●仁王門は赤門とも言われています。仁王門は2003年(平成15年)に丹塗りが施されました。

【轟門・要点簡単解説 清水寺】
轟門(とどろきもん)は重要文化財です。轟門は柱が8本ある三間一戸(さんげんいっこ)の八脚門だが、扉がありません。轟門はお釈迦様(おしゃかさま)の教えを獅子が吼えるように四方万里に轟かせる為に名付けられたとも言われました。轟門は江戸時代前期の1631年(寛永8年)から1633年(寛永10年)に再建されました。轟門は本瓦葺の切妻造です。轟門は扉がなく、七不思議に数えられています。扉がないことに注目です。
(轟門・キーポイント 清水寺)
●轟門は両脇に持国天(じこくてん)・広目天(こうもくてん) 、背面に阿吽(あうん)の狛犬(こまいぬ)を安置しています。
●轟門は前に梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)があります。轟門では手水鉢が注目です。
●轟門は国宝である奈良・東大寺の転害門(てんがいもん)を小さくして写したとも言われています。

【西門・要点簡単解説 清水寺】★修学旅行・観光必見
西門は重要文化財です。西門は丹塗りの三間一戸の八脚門です。西門は正面に向拝、背面に軒唐破風(のきからはふ)を付した特殊な門です。西門は江戸時代前期の1631年(寛永8年)に再建されました。西門は檜皮葺の切妻造です。西門は向拝と軒唐破風に注目です。
(西門・キーポイント 清水寺)
●西門は高さ約4メートルです。
●西門から見る夕日は素晴らしく、極楽浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所です。西門は石段上に建立され、絶景の夕景や京都市街地を眺められます。
●西門は1994年(平成6年)に丹塗りが施され、2015年(平成27年)から2017年(平成29年)に三重塔・阿弥陀堂とともに再び塗り直されました。
●例年3月14日・3月15日・4月3日・9月14日・9月15日の青龍会では石段に転法衆・会奉行・夜叉神・四天王・十六善神の神々・青龍を捧げる龍衆が並び、インスタ映えスポットになります。

●上記以外の清水寺見どころは下記リンクから確認することができます。
清水寺見どころ

【清水寺見どころ以外の情報】
清水寺基本情報
清水寺七不思議(見どころ)

【清水寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・清水寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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