清水寺見どころのマトメ-修学旅行・観光の解説

清水寺見どころ(Kiyomizu-dera Temple)

清水寺見どころのマトメ・解説

清水寺見どころを簡単にまとめてポイント解説します。清水寺は世界遺産に登録され、見どころには「清水の舞台から飛び降りる」で有名で、美しい本堂(国宝)や一口飲むとご利益がある音羽の滝があります。また修学旅行生や観光客に人気がある三重塔(重文)や子安塔(重文)・奥の院(重文)・開山堂(重文)・釈迦堂(重文)・阿弥陀堂(重文)・朝倉堂(重文)・仁王門(重文)などの見どころもあります。なお国宝・重要文化財・名勝・史跡などの文化財を中心に解説しています。

【注目の本堂(国宝)・圧巻の清水の舞台の解説】

★概要:本堂・清水の舞台は「清水の舞台から飛び降りる」で知られる古くからの観光名所です。本堂・清水の舞台は修学旅行や観光で絶対に見る価値があるスポットです。本堂は音羽山の崖・錦雲渓の斜面にせり出すように建立され、内々陣・内陣・外陣(礼堂)・清水の舞台に分かれています。本堂は内々陣に清水寺の本尊(秘仏)・十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)立像を安置しています。また本堂は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像・毘沙門天(びしゃもんてん)立像なども安置しています。清水の舞台は元々本尊に芸能を奉納する場所で、両脇にある翼廊(よくろう)が楽舎に使われていました。清水の舞台は本堂の一部で、七不思議に数えられています。本堂は洛陽三十三所観音霊場の第12番札所になっています。
★歴史:本堂は1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。ちなみに本堂は奈良時代後期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が自邸を寄進して創建されたと言われています。清水の舞台はいつ頃に建てられたかは明確ではなく、12世紀(平安時代後期~鎌倉時代初期)の「成通卿口伝日記(なりみちきょうくでんにっき)」に記されたのが初見です。蹴聖(しゅうせい)・藤原成通が清水の舞台の欄干(らんかん)で蹴鞠(けまり)をしながら一往復したと記されています。
★様式:本堂は随所に平安時代の建築様式が取り入れられ、寝殿造(しんでんづくり)の趣を伝えています。本堂は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。屋根の美しい曲線美は「照り起(むく)り」と言われています。清水の舞台は構造が美しい懸造・舞台造です。
★規模:本堂は棟高約18メートルで、正面約36メートル・側面約30メートルです。本堂は桁行(けたゆき)九間・梁間(はりま)七間です。清水の舞台は高さ約13メートルで、正面約18メートル・側面約10メートル・面積約190平方メートルです。なお清水の舞台は最長約12メートル・周囲約2メートルの柱など139本のケヤキ(欅)の木を釘(くぎ)を1本も使わずに地獄止めで、美しく組み上げられています。
★特徴:本堂・清水の舞台が崖の斜面にせり出すようにして建立されている理由は観音菩薩が八角の形状をし、険しい補陀落山に降り立つという仏典「観音経」に由来しています。
★豆知識:本堂は十一面千手観音・地蔵菩薩・毘沙門天以外にも眷属(けんぞく)である二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)像・風神(ふうじん)像・雷神(らいじん)像なども安置しています。十一面千手観音・毘沙門天・地蔵菩薩の三尊形式は清水寺独特です。
★ご利益:「清水の舞台から飛び降りる」は「清水の観音さまに一心に祈って飛ぶと、命も助かり願いも叶う」という観音信仰に由来しています。弥次さん・喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」にも「飛び降りる人がいるが、怪我をしない」などと記されています。なお江戸時代に235件(全体で237件)の投身があったと言われ、明治時代に飛び降り禁止令が出されました。

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【秘仏の本尊・十一面千手観音立像の解説】

★概要:十一面千手観音立像は清水寺の本尊で、本堂に安置されています。十一面千手観音立像は33年に1度開扉される秘仏とされ、写真すら非公表です。ただ本尊を模したお前立ち像の写真が公表されています。
★歴史:十一面千手観音立像は1220年(承久2年)頃に再造されたと言われています。ちなみに清水寺創建時の本尊は焼失したと言われています。なお延鎮上人はこの地で観音の化身とされる行叡居士と出会い、行叡居士が残した霊木で千手観音像を刻み、行叡居士の旧庵に安置したと言われています。
★特徴:十一面千手観音立像は像高約173センチで、光背から台座までの高さが約260センチです。十一面千手観音立像は檜(ひのき)材の寄木造(よせぎづくり)です。彩色が施されていない素地仕上げで、眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)に水晶が嵌められています。ちなみにお前立ち像は本尊と同じ姿の縮尺仏で、像高約138センチです。
★豆知識:十一面千手観音立像が33年に1度開扉される理由は観音菩薩が三十三の姿に変じ、衆生を救うということに由来しています。33年に1度の開扉がいつから始まったかは明確ではないが、1773年(安永2年)に行われたことが記録に残されています。なお次回は2033年に開扉される予定です。

【人気の音羽の滝(音羽の瀧)・不動明王像の解説】

★概要:音羽の滝は清水の舞台ととともに古くからの観光名所で、パワースポットです。修学旅行・観光で見る価値があります。音羽の滝は祠(ほこら)に石造の不動明王(ふどうみょうおう)像を祀っています。音羽の滝は3本の筧(かけい)から水が流れ落ち、学問成就(向かって左)・恋愛成就(中央)・延命長寿(右)のご利益があるとも言われています。音羽の滝は3本の内の1本の筧を選び、一口だけ飲みます。なお音羽の滝は「清水寺」の寺号の由来になっており、七不思議に数えられています。
★歴史:音羽の滝では行叡居士が修行し、778年(宝亀9年)に行叡居士と延鎮上人が出会ったと言われています。音羽の滝では古くから修験道(しゅげんどう)の滝行が行われ、足元に滝行の足場となる石が置かれています。
★特徴:音羽の滝は音羽山の山中から湧き、一度も涸れたことがないと言われています。水は水温が11~12度で、硬度が低い軟水です。なお音羽の滝はかつて黄金水・延命水とも言われました。

【奥の院(重要文化財)・千手観音坐像(重要文化財)の解説】

★概要:奥の院は美しい本堂・清水の舞台を眺めることができ、ビュースポットになっています。奥の院は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。奥の院は音羽の滝の上に建立され、本堂と同じく、舞台があります。奥の院は本尊(秘仏)・千手観音坐像(重要文化財)や毘沙門天・地蔵菩薩・眷属である二十八部衆・風神・雷神などを安置しています。奥の院はかつて法相宗(ほっそうしゅう)に加え、真言宗(しんごんしゅう)兼学だったことから真言庵とも言われていました。奥の院は真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)坐像も安置しています。奥の院は洛陽三十三所観音霊場の第11番札所になっています。
★歴史:奥の院は1633年(寛永10年)に再建されました。400年近い歴史があります。ちなみに奥の院は行叡居士・延鎮上人の草庵跡と言われています。
★様式:奥の院は屋根が寄棟造の檜皮葺です。奥の院は桁行五間・梁間五間です。舞台は清水の舞台と同じく、懸造・舞台造です。
★豆知識:千手観音坐像は像高約63.9センチで、正面・右側・左側の3つの顔を持ち、頭上にも24の小面がある特異な像容をしています。

【美しい三重塔(重要文化財)・大日如来像の解説】

★概要:三重塔は清水寺のシンボルで、京都市街地からも遠くに眺めることができるランドマークです。三重塔は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。三重塔は高さ約31メートルです。三重塔は真言密教の教主である本尊・大日如来(だいにちにょらい)像を安置しています。三重塔は内部に曼荼羅(まんだら)の密教世界が表現され、一層の壁に真言八祖(しんごんはっそ)像、天井や柱などに密教仏画や飛天・龍などが美しい極彩色で描かれています。
★歴史:三重塔は1632年(寛永9年)に再建されました。1987年(昭和62年)に解体修理が完了しました。ちなみに三重塔は847年(承和14年)に創建されたと言われています。
★様式:三重塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺(ほんがわらぶき)です。三重塔は東南の鬼瓦が鬼ではなく、水神の龍になっており、七不思議に数えられています。

【厳かな開山堂(重要文化財)・坂上田村麻呂夫妻像】の解説】

★概要:開山堂は行叡居士を元祖、延鎮上人を開山、坂上田村麻呂を本願に位置付ける清水寺創建に関係する重要人物を祀っています。開山堂は坂上田村麻呂・高子夫妻像や行叡居士像・延鎮上人像を安置しています。開山堂は同系統の色を淡色から濃色に変化させて塗る繧繝(うんげん)彩色という珍しい技法が施されています。なお開山堂は坂上田村麻呂を主人公にした謡曲「田村」で田村堂と謡われ、田村堂と言われています。
★歴史:開山堂は1633年(寛永10年)に再建されました。400年近い歴史があります。
★様式:開山堂は屋根が入母屋造の檜皮葺です。開山堂は桁行三間・梁間三間です。

【人気の子安塔(重要文化財)・子安観音像の解説】

★概要:子安観音には安産のご利益があり、「お産が寧か(やすらか)になるように」と祈願したことから参道が産寧坂(三年坂)と言われるようになったとも言われています。子安塔は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。子安塔は高さ約15メートルの三重塔です。子安塔は本尊・子安観音像(千手観音像)を安置し、安産のご利益があると言われています。ご利益も魅力になっています。
★歴史:子安塔は寛永年間(1624年~1643年)頃に再建されたと言われています。子安塔は全面解体された際、「明応九年(1500年)五月四日」と記された小さな木組みの部材が発見されました。なお子安塔かつて仁王門の左手前に建立されていたが、1911年(明治44年)に現在の場所に移されました。
★様式:子安塔は三間三重塔婆で、屋根が檜皮葺です。
★豆知識:子安塔は奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と光明皇后(こうみょうこうごう)の祈願所だったと言われています。光明皇后は第46代・孝謙天皇(こうけんてんのう)、第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)となる阿倍内親王(あべないしんのう)を安産したと言われています。

【釈迦堂(重要文化財)・釈迦如来坐像の解説】

★概要:釈迦堂は本尊である釈迦如来(しゃかにょらい)坐像・普賢菩薩(ふげんぼさつ)像・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像の釈迦三尊(しゃかさんぞん)を安置しています。釈迦堂は朱い漆塗り(うるしぬり)の来迎柱(らいごうばしら)が使われ、天井に天女(てんにょ)像が描かれています。
★歴史:釈迦堂は1631年(寛永8年)に再建されたが、1972年(昭和47年)に集中豪雨で倒壊し、1975年(昭和50年)に旧材を使って復元されました。
★様式:釈迦堂は屋根が寄棟造の檜皮葺です。釈迦堂は桁行三間・梁間三間です。

【美しい阿弥陀堂(重要文化財)・阿弥陀如来坐像の解説】

★概要:阿弥陀堂は西方極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主である本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像を安置しています。阿弥陀堂は全体が美しい極彩色に飾られ、天井に迦陵頻伽(かりょうびんが)の文様が施されています。阿弥陀堂は法然上人二十五霊場の第13番札所・洛陽六阿弥陀めぐりの第3番札所になっています。
★歴史:阿弥陀堂は1631年(寛永8年)に再建されました。ちなみに阿弥陀堂は音羽の滝の山手に位置し、かつて滝山寺(りょうせんじ・たきやまでら)と言われていました。
★様式:阿弥陀堂は屋根が入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。阿弥陀堂は桁行三間・梁間三間です。
★豆知識:阿弥陀堂は1188年(文治4年)に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が念仏を修したことから日本初の常行念仏道場と言われています。阿弥陀堂には第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)自筆の額「日本最初常行念仏道場」が掛けられています。

【朝倉堂(重要文化財)・篤く信仰した朝倉貞景の解説】

★概要:朝倉堂は1510年(永正7年)に観音菩薩を篤く信仰した守護大名・朝倉貞景(あさくらさだかげ)の寄進によって法華三昧堂(ほっけさんまいどう)として創建されました。朝倉貞景は願阿上人(がんあしょうにん)の大勧進に対して最大の寄進をしました。朝倉堂は千手観音(秘仏)像・毘沙門天像・地蔵菩薩像などを安置しています。朝倉堂は洛陽三十三所観音霊場の第13番札所になっています。
★歴史:朝倉堂は1633年(寛永10年)に再建されました。その後2013年(平成25年)に解体修理が行われました。
★様式:朝倉堂は屋根が入母屋造の本瓦葺です。朝倉堂は桁行五間・梁間三間です。ちなみに朝倉堂はかつて本堂・清水の舞台と同じ懸造・舞台造だったが、1633年(寛永10年)の再建時に平地建てに変更されました。

【仁王門(重要文化財)・力強い金剛力士像の解説】

★概要:仁王門は参拝者を迎える入口になっており、西側に美しい京都市街地の光景を眺めることもできます。仁王門は鎌倉時代後期に造仏され、仁王(におう)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像を安置しています。仁王門には三蹟(さんせき)に数えられた藤原行成(ふじわらのゆきなり)筆の扁額(へんがく)「清水寺」が掛けられています。なお仁王門は右側の腰貫(こしぬき)の頭を叩くと反対側の腰貫に音が反響し、七不思議に数えられています。
★歴史:仁王門は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失したが、室町時代後期(16世紀初頭)に再建されました。
★様式:仁王門は三間一戸(さんがんいっこ)の楼門(ろうもん)です。仁王門は屋根が入母屋造の檜皮葺です。仁王門は幅約10メートル・奥行き約5メートル・棟高約14メートルです。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
清水寺見どころ(梵鐘・随求堂・中興堂・・・)

【清水寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・清水寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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