伏見稲荷大社見所ランキング|千本鳥居など人気スポット解説

伏見稲荷大社見所ランキング|千本鳥居・狛狐・本殿などの解説
伏見稲荷大社は京都を代表する人気の観光名所です。このページでは観光や修学旅行で伏見稲荷大社を訪れた際に絶対に見るべき千本鳥居・狛狐・本殿などの魅力・歴史・構造・由来などを丁寧にまとめて解説します。見所ランキングは1位が千本鳥居、2位が狛狐、3位が本殿(重要文化財)、番外が稲荷山です。(詳細下記参照)
【千本鳥居の見所紹介|稲荷鳥居】
千本鳥居は江戸時代に奉納が始まり、江戸時代中期または後期に奉納が盛んになったと言われ、歴史的価値があります。伏見稲荷大社の象徴である千本鳥居は2014年(平成26年)に伏見稲荷大社が旅行口コミサイト・トリップアドバイザーの人気ランキングで第1位になって以来、外国人観光客が大勢訪れる有名な観光スポットです。千本鳥居は長さ約70メートル(左右の二股)に1,000基よりも少ない約900基弱(約860基)の鳥居が密集して建立され、七不思議に数えられています。千本鳥居は写真映えし、写真撮影したり、潜ったりするのがおすすめ。伏見稲荷大社には大勢の観光客が訪れる為、良い写真を撮影するなら早朝が狙い目。鳥居の奉納には「願い事が通る」・「願い事が通った御礼」の意味があります。伏見稲荷大社では関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が母・大政所(おおまんどころ)の病気回復を祈願し、そのお礼で楼門を再建しました。また朝廷は古くから雨乞いや止雨ととともに五穀豊穣を祈願したり、国家の安穏を祈願したりしました。なお鳥居の奉納は社務所や稲荷山の茶店などからでき、金額は21万円~160万円です。(要確認)
●千本鳥居などの奉納は江戸時代(1603年~1868年)に始まりました。安土桃山時代(1573年~1603年)の「伏見稲荷大社絵図」には表参道・裏参道に鳥居が各1基ずつ描かれ、1780年(安永9年)の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」には鳥居群が描かれており、江戸時代以降に盛んになったと言われています。
●千本鳥居などの鳥居は島木(しまぎ)と柱の間に台輪(だいわ)のある稲荷鳥居(いなりとりい)で、台輪鳥居(だいわとりい)とも言われています。鳥居の朱塗り(しゅぬり)は稲荷大神(いなりのおおかみ)が楓(かえで)を好んだことに由来するとも、破邪の呪力を示すものとも言われています。
●例年7月の土用入り後の最初の日曜日または祝日に本宮祭(もとみやさい)が行われ、石灯篭や提灯に明かりを点す万灯神事(まんとうしんじ)によって千本鳥居の幻想的な光景を見られます。
●千本鳥居は左右に分かれているが、密教(みっきょう)の金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)に神道を組み入れた両部思想(りょうぶしそう)を表しているとも言われています。なお伏見稲荷大社では江戸時代に愛染寺(あいぜんじ)・浄安寺(じょうあんじ)・西光寺(さいこうじ)が建立され、神仏習合が進みました。
【狛狐の見所紹介|稲荷大神のお使い】
狛狐(こまぎつね)は狛犬の代わりに境内に置かれている人気の観光スポットです。キツネは稲荷大神のお使い(眷族・けんぞく)とされ、狛狐が置かれています。お使いのキツネは野山に生息するキツネではなく、目に見えない透明の白狐(びゃっこ)です。狛狐は稲穂(いなほ)・巻物(まきもの)・玉(宝珠(ほうじゅ))・鍵(かぎ)を口に咥えており、咥えているものを確認するのがおすすめ。ちなみに伏見稲荷大社には白狐霊を祀る白狐社もあり、命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)を祀っています。なお伏見稲荷大社の門前では名物になっているきつね煎餅を販売する商店があり、きつね煎餅を味わうのもおすすめ。
●キツネが稲荷大神のお使いになった理由は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の別名を「御饌津神(みけつのかみ)」と言い、古来「けつ」と言われていたキツネ(狐)の文字が当てられ、「三狐神(御狐神)」と表されたことに由来すると言われています。なお稲荷山にはかつてキツネが多く生息していたと言われています。
●狛狐が口に咥えている稲穂は稲荷大神が農業の神であることに由来します。巻物は知恵を象徴しています。玉と鍵は玉が稲荷大神の霊徳、鍵がその霊徳を身に付ける願望を象徴しています。
●狛犬は古代インドで仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の守護獣として、その両脇にライオンの像を置いたのが起源と言われ、仏教とともに日本に伝わったと言われています。
【本殿(重要文化財)の見所紹介|稲荷大神】
本殿は室町時代後期に再建され、500年以上の歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。本殿は稲荷大神を祀り、五穀豊穰・商売繁盛などのご利益があると言われる人気の観光スポットです。伏見稲荷大社を訪れた際には千本鳥居ではなく、本殿を最初に参拝しましょう。本殿は横から眺めるのがおすすめ。正面側の屋根(前流れ)が前に長く延びた流造(ながれづくり)の特徴が分かります。軒下(のきした)に豪華な彫刻があり、懸魚(げぎょ)の金覆輪(きんぷくりん)・垂木鼻(たるきばな)の飾金具(かざりかなぐ)・蟇股(かえるまた)の意匠などが豪壮・華麗な安土桃山時代の建築様式を表していることも分かります。なお稲荷大神は下社の宇迦之御魂大神、中社の佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、上社の大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、下社摂社の田中大神(たなかのおおかみ)、中社摂社の四大神(しのおおかみ)の総称です。
●本殿は1494年(明応3年)または1499年(明応8年)に再建されたと言われています。本殿は応仁の乱(おうにんのらん)に伴う1468年(応仁2年)の兵火で焼失しました。稲荷山には細川勝元(ほそかわかつもと)を総大将する東軍が陣を敷き、山名宗全(やまなそうぜん)を総大将とする西軍の糧道を絶ったが、西軍が東軍を攻撃したことから本殿などが焼失しました。なお本殿は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)・平安時代編纂」によると859年(貞観元年)に伏見稲荷大社の社殿が修造されたと言われています。その後908年(延喜8年)・990年(正暦元年)・1109年(天仁2年)・1190年(建久元年)・1247年(宝治元年)・1410年(応永17年)・1461年(寛正2年)に修造・遷宮が行われた記録が残されています。また1589年(天正17年)に豊臣秀吉が母の病気回復を祈願して楼門を再建した際、本殿などを修復し、社領を寄進したと言われています。
●本殿は正面に柱が6本ある五間社(ごけんしゃ)流造(ながれづくり)です。
●伏見稲荷大社では本殿再建の為に勧進(かんじん)などを行う本願所(愛染寺)が設けられ、その後愛染寺になったが、明治維新後に浄安寺・西光寺とともに廃絶しました。
【稲荷山の見所紹介|稲荷大神降臨(鎮座)】
稲荷山(伊奈利山)は奈良時代初期に稲荷大神が初めて鎮座し、伏見稲荷大社の神体山とされ、歴史的価値があります。稲荷山には18の峰と20余りの谷があり、鳥居・伏見稲荷大社の末社・お塚などがたくさん点在する人気の観光スポットです。稲荷山では伏見稲荷大社の草創の歴史を感じる為にお山めぐりがおすすめ。お山めぐりのコースは総延長約4キロで、上り道や登り階段がある為、個人差あるが、1時間から2時間ぐらい掛かります。ただ稲荷山には飲食店があり、休憩したり、食事をしたりすることもできます。なお稲荷山は東山三十六峰(ひがしやまさんじゅうろっぽう)の最南端に位置する標高約233メートルの山で、その西麓一帯の面積約26万坪(約87万平方メートル)が伏見稲荷大社の境内になっています。甲子園球場(面積約3万9,600平方メートル)の約22倍になります。
●稲荷山は711年(和銅4年)2月の初午(はつうま)の日に稲荷大神が初めて鎮座したとも、711年(和銅4年)に伊侶巨秦公が勅命により、三つの峯(一ノ峰・ニノ峰・三ノ峰)の平らな場所に稲荷大神を祀ったとも言われています。稲荷山には上之社神蹟(一ノ峰)・中之社神蹟(二ノ峰)・下之社神蹟(三ノ峰)・田中社神蹟(荒神峰)・荷田社神蹟(間ノ峰)・御膳谷遙拝所・長者社神蹟(釼石)などがあり、伏見稲荷大社の起源とも言える場所です。
●稲荷山には杉の木が分布しています。全ての杉の木には稲荷大神が依ってご神木・しるしの杉とされています。826年(天長3年)に東寺で五重塔の建立が開始された際、稲荷山から巨木が伐り出されたが、祟りから淳和天皇(じゅんなてんのう)が病いになったとされ、827年(天長4年)に伏見稲荷大社に神階(しんかい)・従五位下(じゅごいげ)が授けられたと言われています。
●稲荷山は土を田畑に撒くと五穀がよく実ると言われ、七不思議に数えられています。
【伏見稲荷大社見所ランキング完全ガイド 備考】
*参考・・・伏見稲荷大社(見所・アクセス・・・)ホームページ

















