銀閣寺見どころを全解説-修学旅行・観光で見逃し防止

銀閣寺見どころ(銀閣)

銀閣寺見どころ

銀閣寺見どころを全部解説します。修学旅行・観光で見逃し防止。見どころには室町幕府8代将軍・足利義政が建てた銀閣(国宝)・東求堂(国宝)・庭園(特別名勝・特別史跡)・銀沙灘・向月台などがあります。なお銀閣寺見どころを全解説では修学旅行・観光を満喫できるように文化財(国宝・重要文化財・名勝・史跡)を中心に簡単にポイントをまとめて解説しています。(個別解説下記参照)

【銀閣寺のポイント】

銀閣寺のポイントは銀閣寺の前身である東山山荘・東山殿を造営した室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)と応仁の乱(おうにんのらん)です。東山殿は足利義政の弟・義尋(ぎじん)が門跡を務めていた浄土寺(じょうどじ)が建立されていた場所に造営されました。足利義政の時代には守護大名の家督争いや守護大名の対立が頻発していました。そして足利義政と正室・日野富子(ひのとみこ)の間に男子が生まれていなかったことから弟・義尋(足利義視(あしかがよしみ))を還俗させ、次期将軍になることが決定しました。しかし日野富子が足利義政の嗣子・足利義尚(あしかがよしひさ)を生み、後継者争いなどが要因になって応仁の乱が勃発して浄土寺が焼失し、応仁の乱後に浄土寺跡に東山殿が造営されました。1473年(文明5年)に西軍総大将・山名宗全(やまなそうぜん)と東軍総大将・細川勝元(ほそかわかつもと)が相次いで亡くなると将軍職を足利義尚に譲り、1482年(文明14年)から東山殿の造営を開始しました。1485年(文明17年)に出家しまし、風雅な生活に入って東山殿と称されました。
銀閣寺銀閣寺歴史(起源・・・)

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★銀閣寺見どころの個別解説

【銀閣の解説-銀閣寺】★★★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・銀閣(国宝)は観音殿(かんのんでん)と言われ、2階に観音菩薩(かんのんぼさつ)坐像を安置しています。足利義政は1階を心空殿(しんくうでん)、2階を潮音閣(ちょうおんかく)と命名しました。なお銀閣は金閣寺の金閣・西本願寺(にしほんがんじ)の飛雲閣(ひうんかく)とともに京の三閣と言われています。
  • 歴史・・・銀閣は1489年(長享3年)に足利義政が建てました。ただ足利義政は完成を見ることなく亡くなったと言われています。銀閣は1489年(長享3年)3月に立柱上棟が行われたが、同年10月に足利義政が病に倒れ、翌1490年(延徳2年)1月7日に亡くなりました。その後江戸時代に数度改修されました。なお銀閣は金閣の2階・3階や苔寺(こけでら・西芳寺(さいほうじ))舎利殿(しゃりでん・瑠璃殿(るりでん))を参考にして建てられたと言われています。足利義政が1487年(文明19年)に金閣寺を不意に訪れた記録が残されています。
  • 様式・・・銀閣は木造2階建ての楼閣建築で、1階が住宅風様式、2階が禅宗様式(唐様(からよう))です。銀閣は宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。なお銀閣は1階が東西約8.2メートル・北約7.0メートル・南約5.9メートルです。南が北よりも短くなっています。
  • 仏像・・・観音菩薩坐像は像高約54センチで、憂いのある表情で、結跏趺坐(けっかふざ)に定印(じょうい)を結んでいます。観音菩薩坐像は背後に洞窟(岩屋)があることから洞中観音(どうちゅうかんのん)と言われています。また岩屋観音とも言われています。
  • 銀閣の銀箔・・・銀閣は2007年(平成19年)の奈良文化財研究所による科学的調査により、一度も銀箔(ぎんぱく)が張られていなかったことが判明しました。ただ2階の内外壁に黒漆(くろうるし)、軒(のき)まわりの部材に色鮮やかな彩色文様があったことが分かりました。2階は当初から内壁・外壁も黒漆塗ぬりだったと言われています。
  • 名称・・・銀閣が銀閣と言われるようになったのは江戸時代以降です。名称は銀箔を貼る予定だったが、財政難や足利義政の死によってできなかったとも、外壁の黒漆が日光によって銀色に輝いて見えたからとも言われています。江戸時代前期の「洛陽名所集(らくようめいしょしゅう)」には銀箔で彩られた銀閣があることが記され、江戸時代中期の「山州名跡志(さんしゅうめいせきし)」には銀箔がなく、趣から銀閣という旨が記されています。名称の由来は謎と言えるかもしれません。
  • 豆知識・・・銀閣は18世紀後半頃(江戸時代中期から後期)まで屋根に鳳凰(ほうおう)ではなく、宝珠(ほうじゅ)が置かれていました。

銀閣寺銀閣(概略・特徴・・・)

【東求堂の解説-銀閣寺】★★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・東求堂(国宝)は足利義政の持仏堂(じぶつどう)で、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の教主・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像を安置する阿弥陀堂として建てられました。東求堂には足利義政像も安置されています。東求堂は四室に分かれ、書斎・同仁斎や仏間などがあります。同仁斎には机である付書院(つけしょいん)と物を収納する違棚(ちがいだな)があります。同仁斎は元来四畳半の茶室だが、足利義政は書斎として使いました。
  • 歴史・・・東求堂は1486年(文明18年)に足利義政が建てました。東求堂は銀閣よりも先に建てられ、住宅遺構として最も古いと言われています。東求堂は1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)の解体修理の際、東求堂創建時の姿に戻されました。
  • 様式・・・東求堂は入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。同仁斎は日本最古の書院造(しょいんづくり)で、四畳半茶室の起源と言われています。なお東求堂は東西南北6.9メートルの正方形です。
  • 名称・・・東求堂(とうぐどう)・同仁斎(どうじんさい)の名称は相国寺(しょうこくじ)79世・横川景三(おうせんけいさん)が撰し、足利義政が選んだ「東方の人、念仏して西方に生ずるを求む」・「聖人は一視して同仁」に由来しています。横川景三は1489年(長享3年)に足利義政の嗣子で、室町幕府9代将軍・足利義尚が近江の合戦中に24歳で亡くなり、新盆を迎えた際、東求堂から山面を望み、大文字の字形を定めてたと言われ、五山送り火・大文字の起源の一説になっています。
  • 移動・・・東求堂は銀閣の東隣、向月台がある場所に建てられていたと言われています。江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)に方丈(本堂)などが建立され、現在の場所に曳(ひき)家によって移動させられたと言われています。

【庭園の解説-銀閣寺】★★★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・庭園(特別名勝・特別史跡)は錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。錦鏡池には白鶴島(はっかくとう)があり、石橋が架けられたり、大内石などが置かれたりしています。庭園は四方正面の庭とも言われています。
  • 歴史・・・庭園は足利義政が女人禁制(にょにんきんせい)の苔寺(西芳寺)の庭園を母・日野重子(ひのしげこ)に見せる為に模して自ら作庭したと言われています。相国寺の禅僧や河原者(かわらもの)の善阿弥(ぜんあみ)が作庭に関わったと言われています。その後江戸時代に改修され、当初の面影は失われたと言われています。
  • 様式・・・庭園には足利義政の浄土信仰・蓬莱神仙(ほうらいしんせん)思想が表現されているとも言われています。なお庭園はかつて漱蘚亭跡(そうせんていあと)にあった枯山水式(かれさんすいしき)庭園と上下二段の庭園だったと言われています。
  • 名石・・・名石には大内石・北斗石・浮石・坐禅石(夢窓疎石(むそうそせき)坐禅石)があります。大内石は守護大名・大内政弘(おおうちまさひろ)が足利義政に献上したと言われています。なお江戸時代後期の地誌「都名所図会(みやこめいしょずえ)」によると細川石・畠山石・山名石などがあったと言われています。
  • 石橋・・・石橋には濯錦橋(たっきんきょう)・分界橋(ぶんかいきょう)・迎仙橋(げいせんきょう)・龍背橋(りゅうはいきょう)・臥雲橋(がうんきょう)・仙桂橋(せんけいきょう)・仙袖橋(せんしゅうきょう))があります。

【漱蘚亭跡(枯山水式庭園)の解説-銀閣寺】

  • 概要・・・漱蘚亭跡は1931年(昭和6年)に発掘されました。漱蘚亭跡には庭園の崩れかかった石組・泉・水流の跡が残されています。漱蘚亭跡は枯山水式庭園で、錦鏡池を中心とする池泉回遊式庭園と上下二段の庭園だったと言われています。漱蘚亭跡は池泉回遊式庭園と異なった魅力があったようです。
  • 歴史・・・漱蘚亭跡は足利義政が絵師・相阿弥(そうあみ)に苔寺(西芳寺)の庭園・竜淵水(りゅうえんすい)の石組を模して作庭させたとも言われています。

【方丈(本堂)の解説-銀閣寺】

  • 概要・・・方丈は銀閣寺の本堂にあたります。方丈は本尊・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)像を安置しています。また足利義政と妻・日野富子(ひのとみこ)の位牌も安置しています。方丈には西の間・室中の間・東の間・上官の間があります。方丈には額「東山水上行(とうざんすいじょうこう」が掛けられ、俳人・画家である与謝蕪村(よさぶそん)や文人画家・書家である池大雅(いけのたいが)が描いた襖絵(ふすまえ)が飾られています。
  • 歴史・・・方丈は寛永年間(1624年~1644年)に再建されたと言われています。
  • 豆知識・・・方丈からは東山三十六峰(ひがしやまさんじゅうろっぽう)の第十峰にあたる標高約194メートルの月待山(つきまちやま)の絶景が眺められます。足利義政は「わが庵は 月待山の麓にて 傾むく空の 影をしぞ思う」と読み、光景を楽しんでいたようです。

【弄清亭・御香座敷の解説-銀閣寺】

  • 概要・・・弄清亭(ろうせいてい)には御香座敷(おこうざしき・香座敷の本歌(ほんか))があります。弄清亭には日本画家・奥田元宋(おくだげんそう)が描いた襖絵が飾られています。
  • 歴史・・・弄清亭は1996年(平成8年)に再建されました。かつての弄清亭は最古の香室でした。

【銀沙灘・向月台の解説-銀閣寺】★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・銀沙灘・向月台はいずれも月・月見みに関係すると言われています。銀沙灘・向月台は原則1ヶ月に1度庭師が整形しています。荒天などの場合には臨時に整形されています。
  • 銀沙灘・・・銀沙灘(ぎんしゃだん)は砂を波形に盛り上げたものです。銀沙灘は高さ約35~40センチで、月の光を反射させる為に造られたとも言われています。また銀沙灘は中国・杭州(こうしゅう)の世界遺産・西湖(せいこ)をモデルにしているとも言われています。
  • 向月台・・・向月台(こうげつだい)は砂を富士山型(円錐(えんすい)型)に積み上げたものです。向月台は高さ約1.8メートル・底部約3メートル・頂部約1.2メートルで、月の光を反射して銀閣を照らすとも言われています。また向月台に座って上ってくる月を待っていたとも言われています。
  • 歴史・・・銀沙灘・向月台は安土桃山時代以前から造られ、江戸時代の修復の際に拡大したとも言われています。

【相君泉・洗月泉の解説-銀閣寺】

  • 相君泉・・・相君泉(そうくんせん)は足利義政が茶の湯に使用したと言われています。相君泉は現在も茶会で使用されています。相君泉はお茶の井とも言われています。
  • 洗月泉・・・洗月泉(せんげつせん)は湧き水が山から湧き出しています。洗月泉の名称は泉に月が映った時に泉のさざ波が月を洗っているように見えることから名付けられました。湧き水は天候などにもよるが、三筋流れていると言われています。

【銀閣寺垣(竹垣)の解説-銀閣寺】★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・銀閣寺垣(ぎんかくじがき)は総門から中門に続く参道の両脇にある竹垣です。竹垣は椿(つばき)が開花する例年3月中旬頃から4月上旬頃が美しいと言われています。

【展望所の解説-銀閣寺】★修学旅行・観光の見どころ

  • 概要・・・展望所(展望台)は銀閣寺山内の高台にあります。展望所からは山内だけでなく、京都市街地も眺めることができます。銀閣寺は紅葉名所とされ、紅葉シーズンは美しい情景を眺めることができます。なお展望所にはかつて超然亭(ちょうねんてい)があったと言われています。

●上記以外の銀閣寺見どころ(八幡社・手水鉢・紅葉・・・)は下記リンクから確認することができます。
銀閣寺見どころ(八幡社・手水鉢・紅葉・・・)

【銀閣寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・銀閣寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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