修学院離宮の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
修学院離宮の見どころは寿月観・客殿・楽只軒・浴龍池・紅葉などです。
修学院離宮の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには後水尾上皇の御座所になった寿月観(下御茶屋)、東福門院の女院御所から移築された客殿(中御茶屋)、浴龍池(上御茶屋)などがあります。また楽只軒・紅葉等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 後水尾上皇の御座所になった寿月観(下御茶屋)
- 東福門院の女院御所から移築された客殿(中御茶屋)
- 光子内親王の朱宮御所から移築された楽只軒(中御茶屋)
- 巨大な人工池である浴龍池(上御茶屋)
- 京都を代表する紅葉・見ごろ
【修学院離宮の歴史・簡単概要】
修学院離宮は後水尾上皇(第108代・後水尾天皇)の第1皇女・文智女王が草庵・円照寺を営んでいた場所です。1655年(明暦元年)に後水尾上皇が文智女王を訪ね、隣雲亭からの眺めから修学院離宮造営を決意したとも言われています。後水尾上皇の指示により、1656年(明暦2年)から江戸幕府が造営を開始し、1659年(万治2年)に完成したとも言われています。後水尾上皇は女中に変装し、造営中の離宮を訪れて指図をしたとも言われています。なお修学院は離宮が所在する地名で、その地名は近くにあった寺院に由来しています。
【後水尾上皇(第108代・後水尾天皇)の御座所になった寿月観(下御茶屋)】
- 寿月観の概要:寿月観(じゅげつかん)は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。寿月観は後水尾上皇(第108代・後水尾天皇)の御座所になったという由緒を持っています。寿月観は下御茶屋(下離宮)内の池泉観賞式庭園の中にあります。寿月観には一の間・二の間・三の間・茶室などがあります。一の間には後水尾上皇直筆の扁額「寿月観」が掛けられ、唯一の襖絵・虎渓三笑(こけいさんしょう)が飾られています。なお寿月観の前庭には飛び石や袖石灯篭(そでいしとうろう)があります。
- 寿月観の歴史:寿月観は1824年(文政7年)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が第119代・光格天皇(こうかくてんのう)の為に再建しました。ちなみに寿月観は顕子内親王(けんしないしんのう・昭子内親王(あきこないしんのう))の山荘・岩倉殿を移築して造営され、後水尾上皇の御座所だったが、享保年間(1716年~1736年)に失われました。寿月観は歴史的価値があります。
- 寿月観の様式:一の間側は屋根が寄棟造(よせむねづくり)、三の間側は屋根が入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
- 寿月観の豆知識:下御茶屋には寿月観だけでなく、茶屋・蔵六庵(ぞうろくあん)や彎曲閣(わんきょくかく)もありました。
【東福門院の女院御所から移築された客殿(中御茶屋)】
- 客殿の概要:客殿は修学旅行・観光で見逃せません。客殿は中御茶屋(中離宮)内にあり、楽只軒(らくしけん)と階段で結ばれています。客殿には一の間・二の間・三の間・仏間(御内仏の間)などがあります。一の間には5枚の欅(けやき)板を高さを変えて設置し、霞が棚引くように見える霞棚(かすみだな)があります。なお霞棚は桂離宮(かつらりきゅう)新御殿の桂棚と醍醐寺(だいごじ)の塔頭・三宝院(さんぼういん)宸殿の醍醐棚とともに天下三名棚と言われています。
- 客殿の歴史:客殿は1677年(延宝5年)に後水尾天皇の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子)の女院御所の奥対面所として造営されました。1682年(天和2年)に後水尾上皇の第8皇女・光子内親王の為に林丘寺(りんきゅうじ)に移築され、1885年(明治18年)に宮内省に返還されました。
- 客殿の様式:客殿は屋根が入母屋造の木賊葺(とくさぶき)です。
【光子内親王の朱宮御所から移築された楽只軒(中御茶屋)】
- 楽只軒の概要:楽只軒(らくしけん)は中御茶屋(中離宮)内にあり、客殿と階段で結ばれています。楽只軒には一の間・二の間・鞘の間(さやのま)などがあります。一の間・二の間には後水尾上皇直筆の額「楽只軒」が掛けられています。
- 楽只軒の歴史:楽只軒は1668年(寛文8年)に後水尾上皇の第8皇女・光子内親王の為の朱宮御所として造営されました。後水尾上皇の崩御後に林丘寺(りんきゅうじ)に移築され、1885年(明治18年)に宮内省に返還されました。
- 楽只軒の豆知識:楽只軒の名称は後水尾上皇が「詩経」の中の「楽只君子万寿無期」から名付けました。
【霊元法皇(第112代・霊元天皇)が訪れた記録がある隣雲亭(上御茶屋)】
- 隣雲亭の概要:隣雲亭(りんうんてい)は上御茶屋(上離宮)内にあります。隣雲亭には一の間・二の間があり、土庇部分の三和土(たたき)には赤と黒の小石が埋め込まれ、「一二三石(ひふみいし)」と言われています。なお隣雲亭は修学院離宮の最高所に造営されています。
- 隣雲亭の歴史:隣雲亭は1677年(延宝5年)に焼失し、1824年(文政7年)に再建されました。1721年(享保6年)に霊元法皇(第112代・霊元天皇(れいげんてんのう))が訪れた記録が残されています。
- 隣雲亭の様式:隣雲亭は屋根が入母屋造のこけら葺です。
【後水尾上皇直筆の額「窮邃」が掛かる窮邃亭(上御茶屋)】
- 窮邃亭の概要:窮邃亭(きゅうすいてい)は修学院離宮造営時の唯一建物とも言われています。窮邃亭は上御茶屋(上離宮)内の人工池・浴龍池(よくりゅうち)の中島の岩山にあります。窮邃亭には18畳の1室と水屋があります。水屋には後水尾上皇直筆の額「窮邃」が掛けられています。
- 窮邃亭の歴史:窮邃亭は他の建物と違い、修学院離宮造営時の唯一建物とも言われています。
【屋根に鳳凰が置かれている千歳橋(上御茶屋)】
- 千歳橋の概要:千歳橋は上御茶屋(上離宮)にあり、中島と万松塢に架けられています。千歳橋は宝形造(ほうけいづくり)の屋根に鳳凰(ほうおう)が置かれています。
- 千歳橋の歴史:千歳橋は1824年(文政7年)に越後村上藩6代藩主で、京都所司代・内藤信敦(ないとうのぶあつ)が橋台を寄進し、1827年(文政10年)に遠州浜松藩主で、老中・水野忠邦(みずのただくに)が屋形を寄進したと言われています。
- 千歳橋の様式:千歳橋は石の橋台に石の橋板を渡し、宝形造と寄棟造の屋根を設けた屋形橋です。
【巨大な人工池である浴龍池(上御茶屋)】
- 浴龍池の概要:浴龍池(よくりゅうち)は寿月観に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。浴龍池は借景とした山々を含む光景が美しいと言われています。特に紅葉シーズンは絶景とも言われています。浴龍池は総延長約200メートルで、堤防の高さ約13メートルの人工池です。浴龍池には窮邃亭が建つ中島・北側の三保島・南側の万松塢(ばんしょうう)があります。中島には東岸から楓橋と北岸から土橋が架かり、中島と万松塢には千歳橋が架かっています。
【京都を代表する紅葉・見ごろ】
- 紅葉の概要:紅葉は修学旅行・観光で見る価値があります。修学院離宮は京都を代表する紅葉名所で、紅葉シーズンに美しく紅葉に彩られます。紅葉は例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎えます。紅葉は浴龍池の水面に映し出された紅葉が美しいと言われています。
【朱宮御所を起源とする林丘寺(門跡尼寺)】
- 林丘寺の概要:客殿・楽只軒は林丘寺(りんきゅうじ)と深い関係があります。林丘寺はかつて後水尾法皇(第108代・後水尾天皇)の第1皇女・梅宮文智女王(うめみやぶんちじょおう)が開山した円照寺(えんしょうじ)があった場所でした。その後後水尾法皇の第8皇女・朱宮光子内親王(あけのみやてるこないしんのう)が後水尾法皇から別殿・朱宮御所(音羽御所)を賜って楽只軒(らくしけん)と称しました。1680年(延宝8年)に後水尾法皇が崩御すると朱宮光子内親王は出家して別殿を林丘寺に改めて門跡尼寺になりました。
【修学院離宮 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・修学院離宮(見どころ・アクセス・・・)ホームページ