西本願寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
西本願寺の見どころは御影堂・阿弥陀堂・飛雲閣・唐門・太鼓楼などです。
西本願寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには親鸞聖人を祀る御影堂(国宝)、本尊を安置する阿弥陀堂(国宝)、金閣や銀閣とともに京の三閣に数えられる飛雲閣(国宝)などがあります。また唐門・太鼓楼も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 浄土真宗の開祖・親鸞聖人を祀る御影堂(国宝)
- 阿弥陀如来を祀り、本堂である阿弥陀堂(国宝)
- 金閣・銀閣とともに京の三閣に数えられる飛雲閣(国宝)
- 見事さに日が暮れるのを忘れ、日暮らし門と言われる唐門(国宝)
- 新撰組が幕末に屯所とした太鼓楼(重要文化財)
【西本願寺の歴史・簡単概要】
龍谷山・西本願寺は1272年(文永9年)に浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の末娘・覚信尼が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立して親鸞聖人の影像を安置したのが起源です。その後度々移り、1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉から大坂天満の土地を寄進されて移り、更に1591年(天正19年)に豊臣秀吉から京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。
【浄土真宗の開祖・親鸞聖人を祀る御影堂(国宝)】
- 御影堂の概要:御影堂は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。御影堂は山内最大の建物で、内陣に浄土真宗の開祖・親鸞聖人坐像を安置しています。また両脇に歴代宗主(そうしゅ)の影像(えいぞう)、両余間に十字名号(帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい))・九字名号(南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい))を祀っています。なお御影堂は内陣正面に額「見真」が掛けられています。
- 御影堂の歴史:御影堂は1636年(寛永13年)に再建されました。その後宝暦年間(1751年~1764年)・文化年間(1804年~1818年)・安政年間(1854年~1860年)・明治時代(1926年~1989年)に修復が行われ、1999年(平成11年)から2009年(平成21年)に大修復が行われました。ちなみに御影堂は1591年(天正19年)の京都移転後に建立されたが、1596年(慶長元年)に大地震で倒壊し、翌1597年(慶長2年)に再建されたが、1617年(元和3年)に失火で焼失しました。
- 御影堂の様式:御影堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。御影堂は向拝(こうはい)三間です。御影堂は南北約62メートル・東西約48メートル・高さ約29メートルです。江戸時代(1603年~1868年)初期の木造建築物としては日本最大級です。なお御影堂では瓦が約11万5千枚も使われ、屋根の重さだけでも約12,000トンにもなります。高さ約29メートルにある大棟獅子口瓦(おおむねししぐちがわら)は約40枚の瓦を組み合わせて作られ、縦横約1.7メートル・奥行き約1.1メートル・重さ約2.2トンにもなります。御影堂は内陣・外陣に分けられます。内陣は270畳、外陣は畳441畳敷で、1,200人も収容できるそうです。
- 御影堂の豆知識:西本願寺では1438年(永亨10年)に御影堂と阿弥陀堂が別置されと言われ、それ以前は親鸞聖人の影像の横に阿弥陀仏像を安置していました。
- 御影堂の行事:御影堂では例年1月に御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)が行われ、親鸞聖人のご恩を偲び、親鸞聖人が作ったお経・念仏正信偈(ねんぶつしょうしんげ)が唱えられます。また例年12月20日に阿弥陀堂とともに御煤払(おすすはらい)が行われ、1年間に積もった埃(ほこり)を外に出し、1年間の無事を喜びます。
【本尊・阿弥陀如来を祀り、本堂である阿弥陀堂(国宝)】
- 阿弥陀堂の概要:阿弥陀堂は御影堂に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。阿弥陀堂は御影堂に比べると少し小さい建物です。阿弥陀堂は西本願寺の本堂で、内陣に本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像を安置しています。また両脇に龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ)・曇鸞大師(どんらんだいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)・善導大師(ぜんどうだいし)・源信和尚(げんしんかしょう)、両余間に法然聖人(ほうねんしょうにん)と聖徳太子(しょうとくたいし)の影像を祀っています。
- 阿弥陀堂の歴史:阿弥陀堂は1760年(宝暦10年)に再建されました。その後1985年(昭和60年)に修復が行われました。2017年(平成29年)から修復が始まり、2022年(令和4年)3月に完了する予定です。ちなみに阿弥陀堂は1591年(天正19年)の京都移転後に建立されたが、1617年(元和3年)に失火で焼失し、翌1618年(元和4年)に仮御堂として再建されました。
- 阿弥陀堂の様式:阿弥陀堂は屋根が入母屋造の本瓦葺です。阿弥陀堂は向拝三間です。阿弥陀堂は南北約45メートル・東西約42メートル・高さ約25メートルです。なお阿弥陀堂では瓦が約9万5千枚も使われ、屋根の重さだけでも約7,200トンにもなります。阿弥陀堂は内陣・外陣に分けられます。外陣は畳285畳敷で、800人も収容できます。
- 阿弥陀堂の行事:阿弥陀堂では例年菊が見ごろを迎える時期に前庭で献菊展(けんかてん)が行われ、菊に彩られます。
【抜け雀・逆遠近法の障壁画が七不思議に数えられる書院(国宝)】
- 書院の概要:書院は白書院・対面所・控えの間などがあります。白書院は賓客(ひんきゃく)接待や門主対面の儀式に使用されます。対面所は門主と門徒の対面などに使用されます。
- 書院の歴史:書院は対面所が1618年(元和4年)に再建され、白書院は対面所建立以前に建立されたと言われています。その後対面所・白書院が合体したと言われています。
- 書院の様式:書院は豪壮華麗(ごうそうかれい)な書院造(しょいんづくり)です。書院は屋根が入母屋造の本瓦葺です。書院は桁行38.5メートル・梁間29.5メートルです。
- 白書院の概要:白書院には一の間・二の間・三の間があります。一の間は紫明(しめい)の間と言われ、最重要の間です。三の間は孔雀(くじゃく)が描かれ、孔雀の間と言われています。
- 対面所の概要:対面所は203畳敷きの大広間で、上段・下段があります。対面所は欄間(らんま)に雲中飛鴻(ひこううんちゅう)の彫刻があり、鴻(おおとり)の間と言われています。
- 控えの間の概要:控えの間には雀(すずめ)の間・雁(がん)の間・菊(きく)の間があります。控えの間は描かれた襖絵などから雀の間・雁の間・菊の間と言われています。
- 書院の七不思議:書院では抜け雀・逆遠近法の障壁画が七不思議に数えられています。
【梟の灯籠が七不思議に数えられる黒書院(国宝)】
- 黒書院の概要:黒書院は内向きの接客や寺務(じむ)に使用されました。黒書院には一の間・二の間・茶室・鎖(くさり)の間・広敷(ひろしき)などがあります。一の間では門主が寺務を行い、門主室と言われています。
- 黒書院の歴史:黒書院は1657年(明暦3年)に建立されたとも言われています。
- 黒書院の様式:黒書院は屋根が寄棟造(よせむねづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。黒書院は桁行正面六間・背面七間・梁間左側面四間・右側面六間です。
- 黒書院の七不思議:黒書院は梟の灯籠が七不思議に数えられています。
【金閣・銀閣とともに京の三閣に数えられる飛雲閣(国宝)】
- 飛雲閣の概要:飛雲閣は修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。飛雲閣は金閣寺の金閣・銀閣寺の銀閣とともに京の三閣に数えられています。飛雲閣は滴翠園(てきすいえん)の滄浪池(そうろうち)に面して建てられています。飛雲閣は全体的に柱が細く、障子(しょうじ)が多いことから空に浮かぶ雲のようだということから飛雲閣と名付けられたと言われています。飛雲閣は変化に富んだ意匠や外観に魅了されます。
- 飛雲閣の歴史:飛雲閣は1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に建てられたと言われています。2017年(平成29年)7月~2020年(令和2年)4月に修復が行われました。ちなみに飛雲閣は関白・豊臣秀吉が造営した聚楽第(じゅらくてい)の一部とも言われています。
- 飛雲閣の様式:飛雲閣は三階建ての楼閣(ろうかく)建築です。初層(1階)は屋根が入母屋造、二層(2階)・三層(3階)は屋根が寄棟造のこけら葺です。飛雲閣は北面・南面約25.8メートル、東面約11.8メートル、西面約12.5メートルです。飛雲閣は初層に主室の招賢殿(しょうけんでん)・八景の間・舟入の間・茶室の憶昔(いくじゃく)、二層に三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)が描かれた歌仙の間があります。三層は摘星楼(てきせいろう)と言われる庭園と一体となった構造になっています。
【日本最古の能舞台である北能舞台(国宝)】
- 北能舞台の概要:北能舞台は白書院の前にあります。北能舞台には脇座・橋掛が付属しています。北能舞台では音響効果を高める為に7つの甕(かめ)が埋められ、周囲には鴨川石(かもがわいし)が敷き詰められています。
- 北能舞台の歴史:北能舞台は1581年(天正9年)に建てられ、元和年間(1615年~1624年)に現在の場所に移されたとも言われています。北能舞台は日本最古の舞台とも言われています。
- 北能舞台の様式:北能舞台は屋根が正面入母屋造・背面切妻造(きりづまづくり)のこけら葺です。北能舞台は桁行一間(約5.1メートル)・梁間一間(約5.7メートル)です。
【見事さに日が暮れるのを忘れ、日暮らし門と言われる唐門(国宝)】
- 唐門の概要:唐門は修学旅行・観光で見逃せません。唐門は東西南北に雲と麒麟(きりん)・牡丹(ぼたん)と唐獅子(からじし)・竹と虎などの彩色彫刻が施されてます。彫刻は見事さに日が暮れるのを忘れることから日暮らし門(ひぐらしもん・日暮門)と言われ、七不思議に数えられています。
- 唐門の歴史:唐門は1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に伏見城に建ってられ、1618年(元和4年)に伏見城から移されたとも言われています。唐門は西本願寺最古の建物とも言われています。2018年(平成30年)6月から修復が始まり、2022年(令和4年)3月に完了する予定です。
- 唐門の様式:唐門は四脚門(しきゃくもん)です。唐門は前後唐破風造(からはふづくり)・側面入母屋造で、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)です。唐門は高さ約8.67メートル・幅約5.37メートル・奥行約4.4メートルです。
- 唐門の行事:唐門はかつて1年に1回儀式の為に開門されていたが、1984年(昭和59年)以降は開門されなくなりました。2017年(平成29年)5月21日に修復工事を前に34年振りに1日だけ開門されました。
【回転式の転輪蔵がある経蔵(重要文化財)】
- 経蔵の概要:経蔵には回転式の転輪蔵(てんりんぞう)があり、一切経(いっさいきょう・大蔵経(だいぞうきょう))が納められています。また経蔵は傅大士居士(ふだいしこじ)像などを安置しています。
- 経蔵の歴史:経蔵は1678年(延宝6年)に第14代・寂如(じゃくにょ)が建立しました。
- 経蔵の様式:経蔵は一重もこし付きで、屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。経蔵は桁行一間・梁間一間です。
【蒸風呂と鉄釜などがある浴室(重要文化財)】
- 浴室の概要:浴室(蒸風呂・鉄釜)は飛雲閣と廊下で繋がっている黄鶴台(おうかくだい)の別棟にあります。浴室には西南隅に唐破風がある蒸風呂と鉄釜などがあります。蒸風呂は窓や板戸の開閉により、温度を調節するそうです。
- 浴室の歴史:浴室は1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に建てられました。
- 浴室の様式:浴室は屋根が寄棟造のこけら葺です。浴室は桁行十一間・梁間四間です。
【新撰組が幕末に屯所とした太鼓楼(重要文化財)】
- 太鼓楼の概要:太鼓楼は幕末に北集会所とともに新撰組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が一時的に置かれ、刀傷が残っています。太鼓楼は幕末の京都を感じることができ、歴史的価値があります。太鼓楼には金宝寺から寄進された大太鼓などが置かれました。太鼓楼は江戸時代(1603年~1868年)に時刻を告げていました。太鼓楼は七不思議に数えられています。
- 太鼓楼の歴史:太鼓楼は1789年(寛政元年)に建立されました。
- 太鼓楼の様式:太鼓楼は重層(二重)の楼閣です。太鼓楼は屋根が入母屋造の本瓦葺です。太鼓楼は桁行四間・梁間四間です。
【日本一大きい能舞台と言われる南能舞台(重要文化財)】
- 南能舞台の概要:南能舞台は対面所の前にあります。南能舞台は日本一大きい能舞台と言われています。南能舞台では例年5月21日に宗祖降誕会(こうたんえ)の祝賀能(しゅくがのう)が行われています。
- 南能舞台の歴史:南能舞台は江戸時代(1603年~1868年)前期に建てられました。
- 南能舞台の様式:南能舞台は屋根が切妻造の檜皮葺です。南能舞台は桁行一間・梁間一間です。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
西本願寺見どころ(伝道院・虎渓の庭など)
【西本願寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・西本願寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ