祇園の見どころ-修学旅行・観光のポイント・豆知識

祇園

祇園の見どころは八坂神社・建仁寺・辰巳大明神・祇園白川・花街などです。

祇園の見どころには京都三大祭りである祇園祭を行う八坂神社、臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺、祇園のお稲荷さんと言われる辰巳大明神、舞妓・芸妓が活躍する花街(祇園甲部・祇園東)があります。また花街等も見逃せません。

【八坂神社の門前町(鳥居町)である祇園】

  • 祇園の概要:祇園(ぎおん)はかつて祇園社(ぎおんしゃ)と言われた八坂神社(やさかじんじゃ)の門前町(鳥居町)です。祇園は東側が八坂神社(東大路通(ひがしおおじどおり))、西側が鴨川(かもがわ)、北側が新橋通(しんばしどおり)、南側が建仁寺(けんにんじ)に囲まれたエリアです。ちなみに四条通以南の一部は元々、建仁寺(けんにんじ)の寺地だったが、1871年(明治4年)の上知令(あげちれい)によって花見小路通(はなみこうじどおり)が開かれたそうです。祇園には花街(祇園甲部・祇園東)やお茶屋・料亭、そしてバーなどの飲食店などがたくさんあります。なお祇園では北側で新橋通から白川までのエリアは国の重要伝統的建造物群保存地区、南側で花見小路通を中心としたエリアは京都市の歴史的景観保全修景地区に指定されています。
  • 祇園の歴史:祇園は鎌倉時代(1185年~1333年)から八坂神社の門前町として開け、江戸時代(1603年~1868年)に花街として発展しました。江戸時代末期にお茶屋が500軒あり、芸舞妓などが1,000人以上いたとも言われています。ちなみにお茶屋・一力亭(万亭)は300年以上の歴史があり、元禄年間(1688年~1704年)に忠臣蔵(ちゅうしんぐら)・赤穂浪士(あこうろうし)の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)も利用したと言われています。
  • 祇園の豆知識:祇園を南北に走る花見小路通(はなみこうじどおり)は1949年(昭和24年)に拡幅され、2001年(平成13年)に電線などが地中化され、石畳が整備されました。
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【京都三大祭りである祇園祭を行う八坂神社】

  • 八坂神社の概要:八坂神社は祇園のシンボル・ランドマークです。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗(高句麗)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)が堂(観慶寺)を建立して薬師千手等の像を奉安し、その後天神(祇園神)が東山の麓・祇園林に垂跡(すいじゃく)したのが起源とも言われています。
  • 八坂神社の豆知識:祇園社の名称は八坂神社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)がお釈迦様が説法を行った祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神だったことに由来しています。

【臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺】

  • 建仁寺の概要:建仁寺(けんにんじ)は1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家が寺域を寄進し、栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋・百丈山を模して創建しました。建仁寺の名称は第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の勅許により、禅寺初の年号寺院・建仁寺になりました。
  • 建仁寺の豆知識:建仁寺周辺には正伝永源院(しょうでんえいげんいん)・六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)・禅居庵(ぜんきょあん)など14の塔頭(たっちゅう)寺院や鎮守だった恵美須神社(京都ゑびす神社)があります。

【祇園のお稲荷さんと言われる辰巳大明神】

  • 辰巳大明神の概要:辰巳大明神は四条通の北側に祀られています。辰巳大明神は南東の守護の為に京都御所の南東(辰巳)に祀られて、辰巳神社と言われたのが起源とも、巽橋に棲んで芸舞妓などを誑(たぶら)かす悪戯(いたずら)を働いていた狸が悪戯をしないことを約束したことから狸を祀ったのが起源とも言われています。
  • 辰巳大明神の豆知識:辰巳大明神は花街(祇園甲部・祇園東)の芸舞妓が技芸上達に信仰し、祇園のお稲荷さんとも言われています。

【巽橋が架けられている一級河川・祇園白川】

  • 祇園白川の概要:祇園白川は四条通の北側を流れています。祇園白川は南北に走る大和大路通(やまとおおじどおり)の四条以北である縄手通(なわてどおり)の東側、東西に走る新橋通(しんばしどおり)と白川に面する辺りを言います。祇園白川の祇園は祇園社と言われた八坂神社、白川は門前町を流れる淀川水系鴨川支流の一級河川である白川に由来しています。なお白川は川に白砂に敷き詰められているように見えることから名付けられたそうです。
  • 祇園白川の豆知識:祇園白川では白川沿いに染井吉野・枝垂桜・山桜・里桜が植えられ、かにかくに碑が建立されています。

【舞妓・芸妓が活躍する花街】

  • 花街の概要:花街(祇園甲部・祇園東)は江戸時代(1603年~1868年)初期に祇園社と言われた八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社の門前の茶屋町を祇園町と言うようになりました。
  • 花街の豆知識:祇園東は1881年(明治14年)に祇園甲部から分離・独立しました。

【祇園甲部(祇園甲部歌舞会)が行う都をどり】

  • 都をどりの概要:都をどり(みやこをどり)は例年4月に祇園甲部(祇園甲部歌舞会)が行っています。都をどりでは祇園甲部の芸舞妓が踊りを披露します。
  • 都をどりの歴史:都をどりは1872年(明治5年)に京都で初めて開催された博覧会の余興として、鴨川をどり(先斗町)と共に上演されたのが始まりです。

【祇園東(祇園東歌舞会)が行う祇園をどり】

  • 祇園をどりの概要:祇園をどり(ぎおんをどり)は例年11月に祇園東(祇園東歌舞会)が行っています。祇園をどりでは祇園東の芸舞妓が踊りを披露します。
  • 祇園をどりの歴史:祇園をどりは1952年(昭和27年)に祇園乙部から祇園東新地(後に祇園東)に名称を変更した芸舞妓が上演したのが起源と言われています。

【歌人・吉井勇を偲ぶかにかくに祭】

  • かにかくに祭の概要:かにかくに祭(かにかくにさい)は例年11月8日に行われています。かにかくに祭では祇園をこよなく愛し、かつて都をどりの作詞に携わった歌人・吉井勇(よしいいさむ)を偲びます。かにかくに祭では祇園甲部の芸舞妓が参列し、かにかくに碑に献花します。
  • かにかくに祭の歴史:11月8日はかにかくに碑が建てられた1955年(昭和30年)11月8日に由来します。

【歌舞伎発祥の地とも言われる花街・宮川町】

  • 宮川町の概要:宮川町(みやがわちょう)は祇園の南側にあり、祇園甲部・祇園東とともに花街です。宮川町は江戸時代(1603年~1868年)に人気になった出雲・阿国(おくに)の歌舞伎踊りの頃から始まり、歌舞伎発祥の地とも言われています。宮川町は1999年(平成11年)に宮川筋3丁目から6丁目の一部が京都市の祇園町南歴史的景観保全修景地区に指定されました。
  • 宮川町の豆知識:宮川町の地名は八坂神社の祭礼・祇園祭の際に神輿洗いが行われる鴨川(四条大橋の下流)を宮川と言ったことに由来するとも言われています。

【祇園 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・祇園(見どころ・アクセス・・・)

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