醍醐寺見どころの解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

醍醐寺見どころの解説
醍醐寺見どころを簡単にまとめてポイント解説します。見どころには平安時代に建立された最大のハイライトである美しい五重塔(国宝)や豊臣秀吉が移築した貴重な金堂(国宝)・薬師堂(国宝)・開山堂(重文)などがあります。なお醍醐寺見どころの解説では修学旅行・観光を満喫できるように文化財(国宝・重要文化財・名勝・史跡)を中心に解説しています。(個別解説下記参照)
【金堂の徹底解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で見逃せない、見るべき存在が金堂です。金堂は平安時代後期に建立され、豊臣秀吉が和歌山(紀州)から移築された醍醐寺のハイライトです。貴重な金堂は醍醐寺の本堂にあたり、最初にお参りしましょう。
- 見どころ概要・・・金堂(国宝)は本尊・薬師如来(やくしにょらい)坐像(重要文化財)を安置しています。金堂は西国薬師四十九霊場の第39番札所になっています。また金堂は日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)・四天王(してんのう)像も安置しています。なお金堂は内陣・外陣(礼堂)に分かれているが、その境に結界などがなく、一体の空間になっています。
- 歴史・・・金堂は平安時代後期に後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の御願寺(ごがんじ)だった紀州・満願寺の本堂として建立され、鎌倉時代に改修されたが、桃山時代に関白・豊臣秀吉の命によって醍醐寺に移築されることになりました。金堂は1598年(慶長3年)から移築が開始され、豊臣秀吉没後の1600年(慶長5年)に落慶しました。ちなみに金堂は926年(延長4年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の御願によって建立され、釈迦堂(しゃかどう)と言われていたが、永仁年間(1293年~1299年)・文明年間(1469年~1487年)に2度焼失しました。
- 様式・・・金堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。金堂は正面・奥行が桁行(けたゆき)七間・梁間(はりま)五間です。正面約21メートル・奥行約17メートルです。
【五重塔の徹底解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で絶対に見逃せない、必ず見るべき存在が五重塔です。五重塔は平安時代中期に建立された醍醐寺のシンボルで、世界遺産・醍醐寺の最大のハイライト・目玉です。美しい五重塔は歴史が古いことから初層から五層までの屋根の大きさの逓減率が大きくなっています。五重塔はインスタ映えします。
- 見どころ概要・・・五重塔(国宝)は高さ約38メートルです。ただ上空に突き出した相輪(そうりん)が約12.8メートルもあり、総高の3分の1に相当します。五重塔は初層に両界曼荼羅(りょうかいまんだら)・真言八祖(しんごんはっそ)などが描かれ、五重塔とは別に壁画(板絵著色)18面が国宝に指定されています。壁画は日本における密教絵画の源流とも言われています。また真言八祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)像は日本最古の空海像とも言われています。
- 歴史・・・五重塔は第60代・醍醐天皇の冥福(めいふく)を祈る為、936年(承平6年)に第61代・朱雀天皇が着工し、第62代・村上天皇の時代の951年(天暦5年)に完成したました。その後1585年(天正13年)に慶長伏見地震で損傷し、1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉の援助によって修理されました。1950年(昭和25年)にジェーン台風で損傷し、1960年(昭和35年)に修理が終了しました。
- 様式・・・五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。
【薬師堂の徹底解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で見逃せないのが薬師堂です。薬師堂は上醍醐で唯一平安時代に建立された上醍醐のハイライトです。貴重な薬師堂を参拝する為、上醍醐を訪れた際にはお参りしましょう。
- 見どころ概要・・・薬師堂(国宝)は2012年(平成24年)4月に造仏された本尊・薬師三尊(やくしさんぞん) を安置しています。薬師三尊はかつて安置されていた薬師三尊(国宝)とほぼ同じ大きさです。薬師三尊(国宝)は閻魔天(えんまてん)像(重要文化財)・帝釈天(たいしゃくてん)像(重要文化財)・千手観音(せんじゅかんのん)像(重要文化財)とともに霊宝館に移されています。なお薬師堂は内陣・外陣に分かれています。
- 歴史・・・薬師堂は1121年(保安2年)に再建されました。ちなみに薬師堂は913年(延喜13年)に第60代・醍醐天皇の御願堂として創建されました。
- 様式・・・薬師堂は屋根が入母屋造の檜皮葺(ひわだぶき)です。薬師堂は正面・奥行が桁行五間・梁間四間です。薬師堂の蟇股は京都宇治市の宇治上神神社(うじがみじんじゃ)の本殿・岩手平泉町の中尊寺(ちゅうそんじ)の金色堂とともに日本三蟇股と言われています。
【上醍醐・清滝宮拝殿の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・上醍醐・清滝宮拝殿(国宝)は清滝宮本殿を参拝する為の社殿です。清滝宮本殿は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師・空海が唐(中国)の長安・青龍寺(せいりゅうじ)から勧請した密教の守護神・清滝権現(せいりゅうごんげん・清瀧権現)を祀っています。弘法大師・空海は青龍寺で、真言八祖の第七祖・恵果(えか)から密教の奥義を伝授されました。
- 歴史・・・清滝宮拝殿は1434年(永享6年)に再建されました。清滝宮本殿は1957年(昭和32年)に再建されました。ちなみに清滝宮本殿は1088年(寛治2年)に建立され、1939年(昭和14年)に焼失しました。
- 様式・・・清滝宮拝殿は懸造(かけづくり)で、屋根が入母屋造の檜皮葺です。清滝宮拝殿は正面・奥行が桁行七間・梁間三間です。
【下醍醐・清滝宮本殿の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・下醍醐・清滝宮本殿(重要文化財)は総鎮守・清瀧権現を祀る醍醐寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)です。清滝宮本殿は上醍醐の清滝宮本殿から清滝権現の分身を遷して祀っています。清滝宮本殿では例年4月1日から21日に清瀧権現桜会(さくらえ)が行われています。
- 歴史・・・清滝宮本殿は1517年(永正14年)に再建されました。ちなみに清滝宮本殿は1097年(永長2年)に建立され、文明年間(1469年~1487年)に兵火で失しました。清滝宮拝殿は1599年(慶長4年)に醍醐寺第80代座主・義演僧正が建立しました。
- 様式・・・清滝宮本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)で、屋根が檜皮葺です。
【開山堂の徹底解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で見逃せないのが開山堂です。開山堂は醍醐寺開山・理源大師や弘法大師など醍醐寺の重要人物を祀っています。貴重な開山堂は上醍醐の一番奥に建立され、見逃さないようにしましょう。
- 見どころ概要・・・開山堂(重要文化財)は中央に理源大師像、左側に真言宗の宗祖・弘法大師像、右側に醍醐寺第1世座主・観賢僧正(かんげんそうじょう)像を安置しています。開山堂にはかつて観賢僧正が刻んだ理源大師像が安置されていたが、開山堂とともに焼失しました。
- 歴史・・・開山堂は1606年(慶長11年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が再建しました。ちなみに開山堂は911年(延喜11年)に理源大師・聖宝の弟子で、醍醐寺第1世座主・観賢僧正が建立し、御影堂(みえどう)とも言われていたが、その後焼失し、鎌倉時代に再建されたが、その後荒廃しました。
- 様式・・・開山堂は屋根が入母屋造で、前部が檜皮葺、後部がこけら葺(こけらぶき)です。開山堂は正面・奥行が桁行八間・梁間五間です。
【如意輪観音を祀る如意輪堂の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・如意輪堂(重要文化財)は本尊・如意輪観音(にょいりんかんのん)、脇の間に毘沙門天(びしゃもんてん)・吉祥天(きっしょうてん)を安置しています。如意輪堂では堂下の岩に如意輪観世音菩薩が飛来して立ったという伝承が残されています。
- 歴史・・・如意輪堂は1606年(慶長11年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が開山堂とともに再建しました。ちなみに如意輪堂は「縁起」によると876年(貞観18年)に醍醐寺開山である理源大師・聖宝が准胝堂(じゅんていどう)とともに最初に創建しました。
- 様式・・・如意輪堂は懸造で、屋根が入母屋造のこけら葺です。如意輪堂は正面・奥行が桁行五間・梁間三間です。
【弘法大師・空海を祀る祖師堂の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・祖師堂は真言宗の宗祖である弘法大師・空海と醍醐寺開山である理源大師・聖宝を祀っています。祖師堂では例年6月15日に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の降誕会(ごうたんえ)を行っています。
- 歴史・・・祖師堂は1605年(慶長10年)に醍醐寺第80代座主・義演僧正が建立しました。
【成身院(女人堂)の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・成身院(じょうしんいん)は上醍醐への登山口に建立されています。成身院は准胝堂(じゅんていどう)に祀られていた准胝観音の分身像を安置しています。成身院はかつて女性が登れる限界で、女性が上醍醐の諸仏を拝んだことから女人堂とも言われています。
- 歴史・・・成身院は江戸時代初期に再建されたと言われています。
【不動明王を祀る報恩院の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・報恩院は本尊・不動明王(ふどうみょうおう)を安置しています。報恩院では毎日、堂内で護摩が焚かれ、家内安全・商売繁盛・厄除招福などを祈願し、堂前で自動車交通安全を祈願しています。
- 歴史・・・報恩院は鎌倉時代に醍醐寺第35世座主・憲深僧正(けんじんそうじょう)が上醍醐にあった極楽坊を活動拠点として報恩院と名付けたのが起源です。その後鎌倉時代中期に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)の命によって下醍醐に移され、明治時代に現在の場所に移されました。
【観音堂(西国三十三所の札所)の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・観音堂は本尊・丈六の阿弥陀如来(あみだにょらいざぞう)坐像を安置しています。観音堂はかつて大講堂だったが、准胝堂が焼失したことから西国三十三所の第11番札所が移されました。観音堂は林泉などとともに大伝法院(だいでんぽういん)と言われています。
- 歴史・・・観音堂は1930年(昭和5年)に醍醐天皇一千年御忌を記念し、実業家・山口玄洞(やまぐちげんどう)の寄進によって建立されました。観音堂はかつて大講堂でした。
- 様式・・・観音堂は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。
【西大門の簡単解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で見逃せないのが西大門です。西大門は醍醐寺の出入口になっています。
- 見どころ概要・・・西大門は仁王門とも言われています。西大門にはかつて南大門に安置されていた仁王(におう)像(重要文化財)を安置しています。仁王像は1134年(長承3年)に仏師・勢増と仁増が造仏したと言われています
- 歴史・・・西大門は1605年(慶長10年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が再建しました。
- 様式・・・西大門は屋根が入母屋造の本瓦葺です。
【林泉の簡単解説-醍醐寺】★修学旅行・観光
醍醐寺で見逃せないのが林泉です。林泉は醍醐寺で最も艶やかな紅葉名所とされ、紅葉シーズンに美しい光景が見られます。紅葉ライトアップでは昼間と違った幻想的・神秘的な絶景を眺めることができます。林泉はインスタ映えします。
- 見どころ概要・・・林泉(りんせん)・林泉苑は観音堂・朱塗りの美しい弁天堂が建つ池の周り一帯です。弁天堂は音楽などの学芸や知識の女神である七福神のひとつ弁才天を祀っています。紅葉ライトアップが行われることがあります。
- 歴史・・・弁天堂は1930年(昭和5年)に建立されました。
【准胝堂跡の簡単解説-醍醐寺】
- 見どころ概要・・・准胝堂跡は上醍醐にあります。准胝堂は准胝観世音菩薩を安置していました。准胝堂は西国三十三所の第11番札所だったが、現在は下醍醐の観音堂が札所になっています。
- 歴史・・・准胝堂は「縁起」によると876年(貞観18年)に醍醐寺開山である理源大師・聖宝が如意輪堂とともに最初に創建したと言われています。1939年(昭和14年)8月に山火事によって清滝宮本殿・経蔵などとともに焼失し、1968年(昭和43年)5月に再建されたが、2008年(平成20年)8月に落雷によって再び焼失しました。
- 伝承・・・准胝観世音菩薩には第60代・醍醐天皇の母方の祖父母が祈願すると母・胤子が醍醐天皇を身籠ったと言われています。また子供に恵まれなかった醍醐天皇が祈願すると皇后・穏子の間に第61代・朱雀天皇と第62代・村上天皇が生まれたと言われています。
●上記以外の見どころは下記リンクから確認することができます。
醍醐寺見どころ(五大堂・真如三昧耶堂など)
【醍醐寺見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・醍醐寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ