永観堂の見どころ-修学旅行・観光の簡単解説

永観堂(Eikan-do)

永観堂の見どころは紅葉・阿弥陀堂・方丈・御影堂・多宝塔などです。

永観堂の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには岩垣もみじなどの紅葉、「みかえり阿弥陀」を安置する阿弥陀堂(府指定文化財)、山内で最も高い位置に建立されている多宝塔などがあります。また方丈・御影堂・画仙堂なども見逃せません。

【岩垣もみじなどの紅葉・紅葉ライトアップ-見どころ】

紅葉は絶対に見る価値があります。永観堂は古くから「秋はもみじの永観堂」と言われ、京都屈指の紅葉名所です。夜間にライトアップが行われ、昼間と違った幻想的・神秘的な絶景を眺めることができます。永観堂は山内に約3,000本のモミジ(カエデ)が分布し、急傾斜の岩壁に岩垣もみじ(カエデ科のタカオカエデ)も分布しています。なお紅葉は例年11月中旬頃から下旬頃に見ごろを迎えます。

  • 歴史:岩垣もみじは藤原関雄が詠んだ「古今和歌集(こきんわかしゅう)」の和歌「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」に由来しています。
  • 七不思議:岩垣もみじは抜け雀(ぬけすずめ)・悲田梅(ひでんばい)・悲田梅(ひでんばい)・臥龍廊(がりゅうろう)・三鈷の松(さんこのまつ)・木魚蛙(もくぎょかえる)・火除けの阿弥陀(ひよけのあみだ)とともに七不思議に数えられています。
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【「みかえり阿弥陀」を祀る阿弥陀堂(府指定文化財)-見どころ】

阿弥陀堂は紅葉に次ぎ、見る価値がある文化財です。阿弥陀堂は永観堂の本堂で、平安時代(794年~1185年)後期から鎌倉時代(1185年~1333年)に造仏され、「みかえり阿弥陀」と言われる本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像(重要文化財)を安置しています。阿弥陀堂は天井に極彩色で描かれた「百花図(ひゃっかず)」などがあります。

  • 歴史:阿弥陀堂は1597年(慶長2年)に大坂・四天王寺(してんのうじ)の曼荼羅堂(まんだらどう)として建立され、1607年(慶長12年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が移築したと言われています。阿弥陀堂は歴史的価値があります。その後江戸時代(1603年~1868年)に改修されたと言われています。
  • 様式:阿弥陀堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。阿弥陀堂は向拝(こうはい)三間です。阿弥陀堂は桁行七間・梁間六間です。
  • 「みかえり阿弥陀」:阿弥陀如来立像は顔を左に曲げた特異な姿で、「みかえり阿弥陀(見返り阿弥陀・顧阿弥陀如来)」と言われています。1082年(永保2年)に第7世法主・永観律師が念仏を唱えながら阿弥陀如来の周りを行道(ぎょうどう)していた際、阿弥陀如来が須弥壇(しゅみだん)から下りて一緒に行道を始め、驚いた永観律師が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って、「永観遅し」と言い、それ以来阿弥陀如来像の首は元に戻らなくなったと言われています。

【釈迦三尊を祀り、釈迦堂と言われる方丈(府指定文化財)-見どころ】

方丈は美しい襖絵に飾られ、北庭・南庭が作庭されています。方丈には中の間・虎の間・松の間・仙人の間などがあります。方丈は釈迦三尊(しゃかさんぞん)像を安置し、釈迦堂と言われています。方丈は仙人(せんにん)の間に「高士乗舟図」・「鷺花卉図」・「松鳥図」・「群仙図」、松の間に「松水禽図(まつすいきんず)」などの襖絵があります。

  • 歴史:方丈は1627年(寛永4年)に建立されたと言われています。また方丈は寺伝によると永正年間(1504年~1521年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)が建立したと言われています。
  • 様式:方丈は禅宗寺院の方丈と同形式の六間取りです。方丈は入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。方丈は桁行約19.3メートル・梁行約14.5メートルです。

【勅使門とも言われる唐門(府指定文化財)-見どころ】

唐門は勅使門(ちょくしもん)と言われています。唐門は木鼻(きばな)に獏(ばく)の意匠があり、雲龍(うんりゅう)・唐草(からくさ)の彫刻が施されています。唐門は現在、住職が亡くなった時だけに使用されているそうです。

  • 歴史:唐門は1830年(天保元年)に再建されました。また唐門は寺伝によると1811年(文化8年)に再建されたと言われています。
  • 様式:唐門は向唐門(むかいからもん)です。唐門は檜皮葺(ひわだぶき)です。

【宗祖・法然上人を祀り、祖師堂と言われる御影堂-見どころ】

御影堂は内陣の須弥壇に浄土宗の宗祖・法然上人を祀り、祖師堂と言われています。また御影堂は本堂である阿弥陀堂よりも大きい山内最大の建物で、大殿とも言われています。御影堂は「仏説無量寿経(むりょうじゅきょう)」に説かれている阿弥陀四十八本願(しじゅうはちがん)に因んで、48本の丸柱が使われています。

  • 歴史:御影堂は1912年(大正元年)に建立されました。
  • 様式:御影堂は総欅造(そうけやきづくち)です。御影堂は間口十二間・奥行十二間で、面積約1,432.64平方メートルです。

【「火除けの阿弥陀」を祀る瑞紫殿-見どころ】

瑞紫殿(ずいしでん)は「火除けの阿弥陀」とも言われる本尊・阿弥陀如来坐像を安置しています。なお瑞紫殿はかつて伝法堂(でんぽうどう)と言われていました。

  • 歴史:瑞紫殿は1895年(明治28年)に再建されました。
  • 豆知識:瑞紫殿はかつて5体の仏像を安置していたが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって4体の仏像とともに焼失し、阿弥陀如来坐像は焼失を免れたことから「火除けの阿弥陀」と言われるようになりました。

【納骨堂である御廟(府指定文化財)-見どころ】

御廟は納骨堂です。

  • 歴史:御廟は1766年(明和3年)に建立されました。
  • 様式:御廟は宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。御廟は正面一間・背面三間・側面二間です。

【大田垣蓮月の寄進で建立された弁天社-見どころ】

弁天社は放生池(ほうじょうち)の弁天島に建立されています。弁天社には尼僧で、歌人・大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)が書いた額が掛けられています。

  • 歴史:弁天社は1866年(慶応2年)に大田垣蓮月の寄進によって建立されました。
  • 様式:弁天社は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)で、桟瓦葺です。

【1743年に鋳造された梵鐘を釣る鐘楼(府指定文化財)-見どころ】

  • 概要:鐘楼は1743年(寛保3年)に鋳造された梵鐘(ぼんしょう)を釣っています。
  • 歴史:鐘楼は1707年(宝永4年)に建立されました。
  • 様式:鐘楼は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。鐘楼は吹放ちで、正面・奥行が桁行一間・梁行一間です。

【山内で最も高い位置に建立されているシンボルの多宝塔-見どころ】

多宝塔は見る価値があります。多宝塔は釈迦堂裏手で、御影堂近くから続いている140段の石段の上の若王子山に建立されています。多宝塔は山内で最も高い位置に建立され、シンボルです。多宝塔からは山内だけでなく、京都市街地も見られます。多宝塔は屋根に九輪と水煙が付けられています。

  • 歴史:多宝塔は1928年(昭和3年)に篤志家・六鹿清治の寄進によって建立されました。
  • 様式:多宝塔は上部が円形、下部が方形の二重塔です。多宝塔は銅板葺(どうばんぶき)です。

【鈴木松僊筆の「天龍図」がある画仙堂-見どころ】

画仙堂(がせんどう)には日本画家・鈴木松僊(すずきしょうせん)が描いた「天龍図」があります。

  • 歴史:画仙堂は1914年(大正3年)に鈴木松僊の発願によって建立されました。
  • 様式:画仙堂は重層で、寄棟造(よせむねづくり)です。

【急勾配の階段状の廊下である臥龍廊-見どころ】

臥龍廊は御影堂・阿弥陀堂・開山堂を繋いでいる湾曲し、急勾配の階段状の廊下です。臥龍廊は龍が体をうねらせているように見えることから名付けられました。臥龍廊は七不思議に数えられています。

  • 歴史:臥龍廊は永正年間(1504年~1521年)に建立されたと言われています。その後昭和に改修されました。

【中門(府指定文化財)・遊心門と言われる南門-見どころ】

中門は薬医門(やくいもん)、南門(遊心門)は高麗門(こうらいもん)です。南門は鹿ケ谷通(ししがたにどおり)に面しています。

  • 歴史:中門は1713年(正徳3年)に再建され、南門は1840年(天保11年)に再建されました。
  • 様式:中門は切妻造の本瓦葺です。

【放生池を中心にした池泉回遊式の庭園-見どころ】

池泉回遊式庭園は見逃せません。庭園は東山を借景に放生池(ほうじょうち)を中心にした池泉回遊式庭園です。庭園は四季折々に美しい光景が見られます。紅葉シーズンには紅葉に彩られた絶景が見られます。放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行う為の池です。放生池には弁天島があり、周囲にカエデが植えられています。放生池は弁天池とも言われています。

【七不思議に数えられる悲田梅・三鈷の松-見どころ】

悲田梅は方丈前の庭園に植えられています。三鈷の松は御影堂の横に植えられています。悲田梅・三鈷の松は七不思議に数えられています。

  • 悲田梅は永観律師が山内に薬王寺(悲田院)という施療院(せりょういん)を置き、梅を育てて実を病人や貧しい者に分け与えたことに由来しています。山内には梅林があったと言われています。
  • 三鈷の松は松葉が三本あり、先が三つ叉になった法具の一種である三鈷杵(さんこしょ)に例えられています。三鈷の松は真心・智慧・慈悲の3つの福を授かるとも、財布に入れておくとお金が貯まるとも言われています。

【歌人・与謝野晶子の歌碑-見どころ】

与謝野晶子の歌碑「秋を三人 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」は池の畔に建てられています。

  • 歴史:与謝野晶子(鳳晶子)は1900年(明治33年)11月5日に与謝野鉄幹・山川登美子とともに訪れ、翌1901年(明治34年)の春にも与謝野晶子・与謝野鉄幹が訪れたそうです。与謝野晶子・山川登美子はともに与謝野鉄幹を慕っていたそうです。なお1901年(明治34年)に与謝野晶子と与謝野鉄幹が結婚し、山川登美子も別の男性と結婚しました。

【無病息災などのご利益がある六阿弥陀めぐり-見どころ】

六阿弥陀めぐりでは月ごとに違う功徳日に真如堂(1番)・永観堂(2番)・清水寺阿弥陀堂(3番)・安祥院(4番)・安養寺(5番)・誓願寺(6番)を参り、3年3月(合計39回)続けると無病息災・家運隆盛・祈願成就のご利益があるとも言われています。

  • 歴史:六阿弥陀めぐりは1717年(享保2年)に安祥院(あんしょういん)を再興した真言宗の僧・木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん)の発願によって始まったと言われています。

【守護神だった若王子神社-見どころ】

若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)は永観堂の守護神だった言われています。若王子神社は天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀り、社名は天照大神の別称・若一王子(にゃくいちおうじ)に由来しています。

  • 歴史:若王子神社は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))が紀州・熊野三所権現を勧請し、守護神として創建したとも言われています。

【永観堂 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・京都・永観堂(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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