広隆寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

広隆寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
広隆寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには朱塗りで赤堂と言われる講堂(重要文化財)、宝冠弥勒・泣き弥勒を収蔵展示する霊宝殿、聖徳太子立像を安置し、広隆寺の本堂である上宮王院太子殿などがあります。また桂宮院本堂・上宮王院太子殿・薬師堂なども見逃せません。
【奥の院とされる桂宮院本堂(国宝)の見どころ解説】
★桂宮院本堂は通常非公開です。桂宮院本堂は奥の院とされ、境内西側で塀に囲まれた一画にあり、前に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建立されています。桂宮院本堂は鎌倉時代(1185年~1333年)に造仏されたと言われる本尊・聖徳太子半跏(はんか)像を安置していたが、現在は霊宝殿に移されています。また阿弥陀如来(あみだにょらい)立像・如意輪観音(にょいりんかんのん)半跏像も安置していました。
★桂宮院本堂の歴史は1251年(建長3年)以前に中観上人澄禅(ちゅうかんしょうにんちょうぜん)が建立したと言われています。
★桂宮院本堂の建築様式は純和様(わよう)の八角円堂で、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)です。桂宮院本堂は奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)の八角円堂(はっかくえんどう)・夢殿(ゆめどの・国宝)を模していると言われています。
★桂宮院本堂には聖徳太子が楓野別宮(かえでのべつぐう)を造営して住んだという伝承が残されているそうです。
【朱塗りで赤堂と言われる講堂(重要文化財)の見どころ解説】
★講堂は修学旅行・観光で弥勒菩薩像(霊宝殿)に次ぎ、見る価値があります。講堂は入堂できないが、堂外から拝観できます。講堂は内陣中心に阿弥陀如来坐像(国宝)、左右に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像(重要文化財)・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 坐像(重要文化財)を安置しています。また外陣(げじん)左右に千手観音(せんじゅかんのん)立像(国宝)・不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)立像(国宝)も安置しています。なお講堂は朱塗り(しゅぬり)であることから赤堂と言われています。かつて金堂とも言われていました。
★講堂の歴史は1165年(永万元年)に再建され、京都市内に残る平安建築のひとつで、京洛最古の建物とも言われています。1565年(永禄8年)以降に度々補修され、外観などには古い部分がほとんど残っていないとも言われています。
★講堂の建築様式は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。講堂は敷瓦を敷いた土間で、正面柱間は中央三間が吹き放し、左右端の間に花頭窓(かとうまど)があります。
★阿弥陀如来坐像は天長年間(824年~834年)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の女御・永原御息所(ながはらのみやすどころ)の御願によって造仏されたと言われています。阿弥陀如来坐像は像高261.5センチで、両手を胸前に上げて説法印を結んでいます。
【秦末時が発願して寄進した鉄鐘(重要文化財)の見どころ解説】
★鉄鐘には1217年(建保5年)の銘があります。かつての梵鐘は1165年(永万元年)に鐘楼とともに西本願寺(にしほんがんじ)に移されたと言われています。
★鉄鐘の歴史は1217年(建保5年)に秦末時が発願して寄進し、本尊に奉納されたとも言われています。
【広隆寺の本堂である上宮王院太子殿の見どころ解説】
★上宮王院太子殿(じょうくうおういんたいしでん)は見逃せません。上宮王院太子殿は広隆寺の本堂で、厨子(ずし)に本尊・聖徳太子立像を安置しています。 聖徳太子立像は秘仏で、例年11月22日のみに開扉されます。
★上宮王院太子殿の歴史は1730年(享保15年)に建立されました。
★上宮王院太子殿の建築様式は宮殿風建築で、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺です。
★聖徳太子立像は像高148センチです。聖徳太子立像は1120年(元永3年)に仏師・頼範が造立したと言われています。聖徳太子立像は33歳時の姿で、下着姿の上に実物の着物が着せられています。なお広隆寺では平安時代(794年~1185年)以降に天皇から賜った袍を聖徳太子立像に着せる習わしが続いています。
【吉祥薬師を祀る薬師堂の見どころ解説】
★薬師堂は楼門をくぐった左側にあります。薬師堂は平安時代(794年~1185年)前期に造仏されたと言われる像高約101.3センチの薬師如来(やくしにょらい)立像を安置しています。薬師如来立像は女神の吉祥天(きっしょうてん)のように造仏され、吉祥薬師像と言われています。
【腹帯地蔵を祀る地蔵堂の見どころ解説】
★地蔵堂は平安時代(794年~1185年)後期に造仏され、腹帯地蔵(はらおびじぞう)とも言われる像高約275.8センチの地蔵菩薩坐像を安置しています。地蔵菩薩坐像は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)作とも言われています。地蔵菩薩坐像(腹帯地蔵)には妊婦のお産の苦しみを引き受け、安産のご利益があると言われています。
★地蔵堂の建築様式は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の瓦葺です。
【仁王像(金剛力士像)を安置する楼門の見どころ解説】
★楼門(南大門・仁王門)は広隆寺の出入口になっています。楼門は南側にある三条通に面して建立されています。楼門には室町時代(1336年~1573年)に造仏された仁王(におう・金剛力士(こんごうりきし)像を安置しています。
★楼門の歴史は1702年(元禄15年)に建立されたと言われています。
★楼門の建築様式は三間一戸(さんげんいっこ)の楼門で、屋根が入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
【宝冠弥勒・泣き弥勒を収蔵展示する霊宝殿の見どころ解説】
★宝冠弥勒(国宝)・泣き弥勒(国宝)は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。霊宝殿は弥勒菩薩像2体(国宝)・仏像などの文化財を収蔵・展示しています。
★霊宝殿の歴史は1982年(昭和57年)に建設されました。なお1922年(大正11年)の聖徳太子1,300年忌に建設された旧霊宝殿は現在は公開されていません。
★宝冠弥勒は弥勒菩薩半跏像です。宝冠弥勒は国内で造仏されたか、国外で造仏されたかは明確ではありません。宝冠弥勒は603年(推古天皇11年)に朝鮮半島から伝来し、聖徳太子が秦河勝に与えたとも言われています。(諸説あり)宝冠弥勒は朝鮮系のアカマツ材の一木造です。像高約123センチ・坐高約84センチです。宝冠弥勒はドイツ人哲学者であるカール・ヤスパースから「人間実存の最高の姿」と表されました。宝冠弥勒は右手を頬に軽く当て、思索のポーズをとっています。
★泣き弥勒は弥勒菩薩半跏像です。泣き弥勒は7世紀後半から8世紀初頭の白鳳時代に造仏されたと言われています。泣き弥勒はクスノキ材の一木造です。像高約90センチ・坐高約66センチです。泣き弥勒は目が大きく、瞳が潤んだ沈うつな表情で、右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから泣き弥勒と言われるようになりました。泣き弥勒は宝髻弥勒(ほうけいみろく)とも言われています。
【京の三大奇祭に数えられる牛祭の見どころ解説】
★牛祭(うしまつり)は不定期に行われています。かつて牛祭は広隆寺の境内社・大酒神社(おおさけじんじゃ)の祭りとして行われていたが、その後広隆寺の祭りとして行われていました。ただ現在は牛の調達の問題から不定期になっています。牛祭は鞍馬の火祭(由岐神社)・やすらい祭(今宮神社)とともに京の三大奇祭に数えられています。
【鎮守社だった大酒神社の見どころ解説】
★大酒神社はかつて境内社だったと言われています。大酒神社は伝承によると古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)に秦の始皇帝の子孫・功満王(こうまんおう)が始皇帝の神霊を勧請したのが起源とも言われています。その後603年(推古天皇11年)に秦河勝が創建すると桂宮院に鎮守社として祀られたとも言われています。
【広隆寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・広隆寺(見どころ・アクセス・・・)
















