三十三間堂七不思議+α・見どころ(棟木の柳・・・)

三十三間堂

三十三間堂七不思議

三十三間堂七不思議+αには次のようなものがあります。三十三間堂七不思議+αは三十三間堂とその周辺にある法住寺(ほうじゅうじ)・養源院(ようげんいん)・妙法院(みょうほういん)の不思議を集めたものです。三十三間堂七不思議+αは三十三間堂周辺七不思議などとも言われています。ちなみに三十三間堂周辺にはかつて後白河法皇が営んだ離宮・法住寺殿や関白・豊臣秀吉が創建した方広寺がありました。なお方広寺は現在も三十三間堂の北側にあります。

【三十三間堂七不思議 基本情報】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)・蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は平安時代の988年(永延2年)太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。三十三間堂は1165年(長寛2年)後白河上皇(第77代・後白河天皇)が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建したのが起源です。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。

【三十三間堂七不思議 棟木の柳】
棟木の柳(むなぎのやなぎ)は頭痛持ちの後白河法皇に由来しています。後白河法皇には前世が熊野の修行僧・蓮華坊で、その髑髏が熊野・岩田川に沈み、髑髏を貫いて柳が生え、風に揺られて柳が髑髏に当たることが頭痛の原因になっているという夢告がありました。そこで髑髏を観音像の頭に納めて祀ると頭痛が平癒し、柳は棟木に使われたとされています。頭痛平癒や棟木の柳は浄瑠璃・三十三間堂棟木由来などで世間に広まったが、実際には柳は棟木には使われていないそうです。なお三十三間堂は後白河法皇の由来から頭痛山平癒寺とも言われています。
(三十三間堂七不思議 棟木の柳・ポイント)
●三十三間堂では後白河法皇の頭痛平癒にあやかる楊枝のお加持(やなぎのおかじ)が毎年1月中旬に行われています。
三十三間堂七不思議・楊枝のお加持

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【三十三間堂七不思議 夜泣せん】
夜泣せん(夜泣泉)は1165年(長寛2年)に僧が夢告によって発見しました。夜泣せんは水の湧き出す音が人のすすり泣きに似ていたことから名付けられました。その後夜泣せん近くには地蔵尊が祀られ、子どもの夜泣き封じにご利益があると言われるようになりました。なお夜泣せんはいくら飲んでもお腹を痛めないとも言われています。
(三十三間堂七不思議 夜泣せん・ポイント)
●地蔵尊によだれかけを奉納して祈願し、一週間後によだれかけを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが治るとも言われています。

【三十三間堂七不思議 法然塔】
法然塔は夜泣せん近くにあります。三十三間堂では1204年(元久元年)に土御門天皇が後白河法皇の13回忌を行い、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が六時礼讃(ろくじらいさん)を勤め、「南無阿弥陀仏」と書写して人々に分け与えました。「南無阿弥陀仏」という6字の名号が石に刻まれ、法然塔とも、名号石とも言われるようになりました。
(三十三間堂七不思議 法然塔・ポイント)
●「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏 どうか私を救って下さい」という意味だそうです。

【三十三間堂七不思議 通し矢】
通し矢(とおしや)は鎌倉時代に正月に行っていた射礼(じゃらい)が起源とも、室町時代末期に始まったとも言われています。江戸時代には各藩の弓術家が一昼夜に何本射通したかを競った大矢数(おおやかず)が行われたそうです。なお通し矢の名称は三十三間堂の軒下を通すことに由来しています。
(三十三間堂七不思議 法然塔・ポイント)
●現在通し矢では例年成人を迎えた約2千名の男女の弓道有段者や称号者が約60メートル先の大的を射って腕を競います。
●通し矢の大的は新成人の男女は1メートル、称号者は79センチです。決勝では新成人の的の大きさは変わらないが、称号者は的の大きさが50センチと小さくなります。
三十三間堂七不思議・通し矢

【三十三間堂七不思議 太閤塀・南大門】
太閤塀(重要文化財)は関白・豊臣秀吉が方広寺(ほうこうじ)の大仏殿を建立した際に築造しました。南大門(重要文化財)も太閤塀と同じように秀吉が建立したと言われていたが、虹梁の刻銘から1600年(慶長5年)秀吉の子・豊臣秀頼が再建したと言われています。太閤塀・南大門はともに方広寺の遺構とも言われています。
(三十三間堂七不思議 太閤塀・南大門・ポイント)
●太閤塀は長さ約92メートル・高さ約5.3メートルです。
●南大門以外に西大門もあったが、1895年(明治28年)に東寺の南大門として移されました。

【三十三間堂七不思議+α 親鸞蕎麦喰木像】
親鸞蕎麦喰木像は三十三間堂の北側にある法住寺にあります。親鸞蕎麦喰木像は1201(建仁元年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)が延暦寺で範宴の修業中、毎夜六角堂まで100日間参籠をした際、親鸞の身代わりに留守居を勤め、天台座主・慈鎮が振舞った蕎麦を他の僧と同じように食べたと言われています。
(三十三間堂七不思議+α 親鸞蕎麦喰木像・ポイント)
●親鸞蕎麦喰木像は親鸞が自ら刻んだとも言われています。
三十三間堂七不思議+α・法住寺

【三十三間堂七不思議+α 四十七士木像】
四十七士木像は三十三間堂の北側にある法住寺にあります。赤穂事件以降、山科に隠棲した大石内蔵助は島原(嶋原)などの花街の行き帰りに法住寺に立ち寄り、本尊・身代わり不動明王(身代不動)に仇討ちを祈願したとも言われています。その為法住寺には赤穂浪士の木像が安置されています。また内蔵助の菩提寺から寄進された陶器像も置かれています。なお身代わり不動明王は1183年(寿永2年)木曽義仲が後白河上皇の離宮・法住寺殿を焼き討ちした際、義仲の放った矢が天台座主に当たり、後白河上皇が難を逃れたことに由来しています。
(三十三間堂七不思議+α 四十七士木像)
●四十七士が討ち入りを行った12月14日には法住寺で義士会法要が行われます。

【三十三間堂七不思議+α 血天井】
血天井は三十三間堂の北側にある養源院にあります。本堂は1619年(元和5年)に破却された伏見城の建物が移され、正面の廊下や左右の廊下の天井は血天井と言われています。血天井は関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いの際、石田三成率いる4万の軍勢に攻められ、8月1日に徳川家の家臣・鳥居元忠(とりいもとただ)ら380余名が切腹し、その遺体が9月中旬まで放置されていたことに由来するそうです。
(三十三間堂七不思議+α 血天井)
●血天井は源光庵(げんこうあん)・宝泉院(ほうせんいん)・正伝寺(しょうでんじ)などにもあります。
三十三間堂七不思議+α・養源院

【三十三間堂七不思議+α 楊梅】
楊梅(やまもも)は三十三間堂の北側にある養源院にあります。楊梅は本堂の左にあります。楊梅は関白・豊臣秀吉が伏見城に手植えしたものが、その後養源院に移されたと言われています。
(三十三間堂七不思議+α 楊梅)
●楊梅は東山の名木のひとつとされ、京都市指定保存樹です。

【三十三間堂七不思議+α 三方正面八方にらみの獅子】
三方正面八方にらみの獅子は三十三間堂の北側にある養源院にあります。三方正面八方にらみの獅子は絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)が杉戸絵(重要文化財)の表に描きました。獅子はどこから見ても正面を向いているように見えることから三方正面八方にらみの獅子と言われています。
(三十三間堂七不思議+α 三方正面八方にらみの獅子)
●杉戸絵は伏見城で切腹した鳥居元忠らを供養する為に描かれたと言われています。

【三十三間堂七不思議+α 大庫裏】
大庫裏(おおくり)は三十三間堂を管理する妙法院にあります。大庫裏(国宝)は1595年(文禄4年)豊臣秀吉が先祖の菩提を弔う為に千僧供養を行った際、千僧供養饗厨房として建立したと言われています。なお大庫裏は桁行約21.8メートル・梁間約23.7メートル・高さ約18メートルです。大庫裏は庫裏としては最大級とも言われています。
(三十三間堂七不思議+α 大庫裏)
●大庫裏は本来台所で、屋根には煙出があります。
三十三間堂七不思議+α・妙法院

【三十三間堂七不思議 備考】
三十三間堂基本情報三十三間堂歴史三十三間堂見どころ三十三間堂見所ランキング

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