斎王代(歴代一覧・衣装・禊の儀・・)葵祭ヒロイン

斎王代

斎王代・葵祭ヒロイン

斎王代・葵祭ヒロイン情報を紹介しています。斎王代とは平安時代以降に賀茂社に仕え、葵祭に奉仕した斎王に倣い、1956年(昭和31年)に創設された斎王の代理です。斎王代とは十二単などの煌びやかな衣装を身に付けることから葵祭のヒロインとも言われています。(斎王代の費用・選考基準・家柄などは掲載しておりません。)

★葵祭2025の最新情報

【斎王代(葵祭ヒロイン)発表】

斎王代(葵祭ヒロイン)発表は例年4月上旬頃から中旬頃に発表される予定です。
葵祭斎王代発表

【葵祭日程(要確認)】

葵祭・路頭の儀は例年5月15日に行われます。ただ悪天候の場合、翌16日に順延されます。
葵祭2025日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●葵祭路頭の儀では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などの時代行列が巡行します。
葵祭路頭の儀

【葵祭の基礎知識】

葵祭(あおいまつり)は正式には賀茂祭(かもまつり)と言います。葵祭は古墳時代後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。
葵祭歴史

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【斎王代の概要】

斎王代(さいおうだい)とは平安時代以降に賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に仕え、葵祭(賀茂祭)に奉仕した斎王に倣い、1956年(昭和31年)に創設された斎王の代理です。
●斎王代は京都市内の未婚の一般女性などから選ばれ、例年4月に一般に発表されます。葵祭行列保存会が茶道関係者の推薦により、着物を着慣れた京都ゆかりの女性から選ぶそうです。

【歴代斎王代一覧(敬称略)】

初代斎王代は荒田文子(易学あや)さんです。下記は令和年・平成の一覧です。
●令和6年-松浦璋子、
●令和5年-松井陽菜、令和4年-選ばれず、令和3年-選ばれず、令和2年-選ばれず、元年-負野李花
●平成30年-坂下志保、29年-富田紗代、28年-西村和香、27年-白井優佐、26年-太田梨紗子
●平成25年-長瀬摩衣子、24年-亀井敦子、23年-金井志帆、22年-川崎麻矢、21年-千万紀子
●平成20年-村田紫帆、19年-森川香絵、18年-藤田菜奈子、17年-齋藤彩子、16年-加納麻里
●平成15年-山田利奈、14年-倉斗絢子、13年-加島慶子、12年-佐竹亜紀、11年-吉田加緒理
●平成10年-土井優子、9年-山田奈々、8年-大島朱美子、7年-大島朱美子、6年-池坊美佳
●平成5年-山本和嘉子、4年-井沢満美、3年-大島有美子、2年-西村和納、元年-山田陽子

【斎王代の衣装】

斎王代は十二単(じゅうにひとえ)を身に着け、垂髪(おすべらかし)の髪に金属製の飾りである心葉(こころば)を頂きに付け、額の両側には飾り紐である日蔭糸(ひかげのいと)を下げ、白塗りにお歯黒を施し、手に桧扇(ひおうぎ)を持ち、紅色の帖紙(たとう)を懐に入れています。ちなみに葵祭・路頭の儀の際には供奉者が担ぐ腰輿(およよ)に乗っています。
●十二単は五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)・唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)とも言われ、約20キロもあるそうです。十二単は「単」で表す袿(うちき・うちぎ(袿衣))の枚数が12枚であることに由来しています。
●化粧・着付けは舞妓さんも通うミナミ美容室の3代目女主人で、有職美容師・南登美子さんが59年間担当しています。十二単を着付けるまで1時間半も掛かるそうです。ちなみに化粧は当初白塗りは真っ白に近かったが、最近は赤みを増し、鼻筋を立て、眉は太め、口紅はおちょぼ口から少し大きめで、伝統を守りながら時代にも合わせているそうです。なお南登美子さんは平成28年度の「京都府の現代の名工」に選ばれました。
●2008年(平成20年)に十二単の内、亀甲の文様の表着・表着の上に羽織る桃色地に葵の文様をあしらった唐衣・袴の上に纏って後ろ姿を飾る白を基調に松を描いた裳が新調され、費用は550万円でした。表着・唐衣・裳はいずれも生地が正絹で、有職織師・喜多川俵二(人間国宝)が制作しました。
葵祭見どころ

【斎王代の禊の儀】

斎王代は葵祭に先立って、禊の儀(みそぎのぎ)によって身を清め、罪・穢れを祓います。上賀茂神社ではならの小川、下鴨神社では御手洗池(御手洗川)に両手をひたします。なお禊の儀は上賀茂神社と下鴨神社の1年交代制です。
●斎王はかつて鴨川で御禊神事を行っていました。場所は占いで決め、毎回違った場所で行われていました。ちなみに「源氏物語」の中では御禊神事(斎院御禊(さいいんぎょけい))の際、光源氏の正室・葵の上と光源氏の恋人の一人・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)による車争いが記されています。なお鴨川は古代上流が賀茂氏の本拠地で、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)はその氏神を祀っていました。
上賀茂神社斎王代以下女人列御禊神事下鴨神社斎王代以下女人列御禊神事

【斎王代の起源】

斎王代の起源である斎王(さいおう)はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)または女王(じょうおう)から選ばれました。斎王は宮中初斎院で2年間潔斎(けっさい)した後、不浄・仏事を避けて清浄な生活を送りながら奉仕し、多くの斎王が生涯独身で過ごしたそうです。第62代・村上天皇の皇女・選子内親王(せんしないしんのう)は975年(天延3年)から1031年(長元4年)まで50年以上斎院に勤め、大斎院と言われたそうです。
●初代斎王は810年(大同5年)に賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に賀茂斎院が設置された際の第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)です。嵯峨天皇は兄・平城上皇(第51代・平城天皇)と対立し、賀茂社の祭神・賀茂大神に皇女を賀茂社の神迎えの儀式に奉仕する阿礼少女(あれおとめ)に捧げると祈願し、810年(大同5年)の薬子の変(くすこのへん)で勝利したことから有智子内親王が初代斎王になったそうです。●斎王は伊勢神宮に使えた斎宮(斎王)に倣って選ばれたそうです。ただその後賀茂社と伊勢神宮の距離の関係から近い賀茂社の斎王の方が重んじられたとも言われているそうです。
斎王

【斎王ゆかりの賀茂斎院】

斎王代の起源である斎王が勤めた賀茂斎院は平安時代前期の810年(大同5年)から始まり、平安時代末期に起こった源平の争乱以降はしばしば途絶え、鎌倉時代に徐々に衰退し、鎌倉時代前期の1212年(建暦2年)に第82代・後鳥羽天皇の皇女で、35代・礼子内親王(いやこないしんのう)が退下してからは1221年(承久3年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)などにより、約400年間続いた賀茂斎院(斎院制度)は廃絶しました。
●賀茂斎院跡は櫟谷七野神社(京都市上京区上御霊前通智恵光院東入)内に残され、碑が建立されています。
賀茂斎院跡

【斎王代奉仕の行事】

斎王代は葵祭だけでなく、上賀茂神社の賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)などでも奉仕し、賀茂曲水宴ではお題を発表します。賀茂曲水宴は川に盃を流し、盃が目の前を通り過ぎる前に和歌を詠む平安時代の雅な曲水宴を再現したものです。
●賀茂曲水宴は平安時代末期の1182年(寿永元年)に神主・賀茂重保(かものしげやす)が15~16名の歌人を招いて行った曲水宴が起源と言われています。
上賀茂神社賀茂曲水宴

【斎王代 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭2025日程(路頭の儀・前儀・後儀・・・)

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