東福寺の七不思議解説-修学旅行・観光の豆知識・雑学
東福寺の七不思議は猫入り涅槃図・東司・魔王石・日蓮柱・竜頭のない鐘などです。
東福寺の七不思議を簡単にまとめてポイント解説します。七不思議には吉山明兆が描いた猫入り涅槃図、百人便所と言われる東司、魔王石、本堂(仏殿兼法堂)にある日蓮柱、竜頭のない鐘、伝衣塚、十万不動尊などがあります。(詳細下記参照)
【吉山明兆が描いた猫入り涅槃図(ねはんず)】
- 涅槃図の概要‐猫入り涅槃図は臨済宗(りんざいしゅう)の画僧・吉山明兆(きつさんみんちょう)が不思議なことに通常魔物とされて描かれない猫を描いた涅槃図のことを言います。涅槃図はお釈迦様(おしゃかさま)が娑羅双樹(さらそうじゅ)の下で横たわり、弟子などが嘆き悲しむ様子を描いたものです。涅槃図はお釈迦様の遺徳追慕と報恩の為に行われる涅槃会(ねはんえ)で掲げられます。なお東福寺では例年3月14日から16日まで涅槃会(ねはんえ)を行われています。
- 涅槃図の豆知識‐涅槃図は縦12メートル・横6メートルで、京都三大涅槃図のひとつに数えられています。
- 吉山明兆‐吉山明兆は南北朝時代の1352年(正平7年・文和元年)に淡路国(兵庫洲本)で生まれました。その後西来寺で出家し、東福寺永明門派・大道一以(だいどういちい)に画法を学び、大道一以とともに京都に上って東福寺に入りました。吉山明兆は終生、東福寺の殿司(でんす)に留まったことから兆殿司とも言われ、仏画などを描きました。吉山明兆は1431年(永享3年)に亡くなりました。
【百人便所と言われる東司(重要文化財)】
- 東司の概要‐東司(重要文化財)はトイレです。東司は一度に100人の修行僧が使うことができ、百雪隠(ひゃくせっちん)・百人便所とも言われました。東司は私語を謹む三黙堂のひとつで、禅宗では用を足すのも行とされ、手順も事細かく定められていたそうです。東司は室町時代前期に建立され、日本最古の東司と言われています。
- 東司の豆知識‐東司は桁行7間・梁間4間で、長さ約35メートル・幅約14メートルです。
【鞍馬山の魔王が降臨した魔王石(まおうせき)】
- 魔王石の概要‐魔王石は東福寺の鎮守社である五社成就宮(五社明神社)の境内に造営されている小祠に祀られています。魔王石には仏像が浮き彫りされているとも言われています。また魔王石には不思議なことに鞍馬山の魔王が降臨したとも言われています。
- 魔王石の豆知識‐五社成就宮は石清水八幡宮・賀茂社・稲荷社・春日社・日吉社の五社を祀り、家内安全・無病息災・商売繁盛などのご利益があると言われています。
【本堂(仏殿兼法堂)にある日蓮柱(にちれんばしら)】
- 日蓮柱の概要‐日蓮柱は本堂(仏殿兼法堂)の南東(巽)にある柱のことを言います。日蓮宗(にちれんしゅう)の宗祖・日蓮聖人が迫害を受けた際、東福寺開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が庇護し、そのお礼として法堂の柱を寄進しました。ただ法堂は1881年(明治14年)に焼失し、1934年(昭和9年)の本堂再建時に日蓮宗の信者が柱を寄進しました。
- 日蓮柱の豆知識‐本堂の前には石碑・日蓮柱之碑が建立されています。
【竜頭(りゅうず)のない鐘(梵鐘)】
- 鐘(梵鐘)の概要‐竜頭のない鐘(梵鐘)はかつて殿鐘楼に釣られていた梵鐘です。竜頭のない鐘は現在収蔵庫に保管されているそうです。竜頭のない鐘には東福寺の隣に摩訶阿弥陀仏(まかあみだぶつ)が創建した天竜寺(てんりゅうじ)があり、摩訶阿弥陀仏が鐘を無断で持ち帰ろうとした際、東福寺の韋駄天尊(いだてんそん)が駆け付けて引っ張り合いになり、鐘は摩訶阿弥陀仏の竜頭と韋駄天尊の鐘身とに分かれたという伝承が残されています。
- 鐘(梵鐘)の豆知識‐鐘楼(重要文化財)に釣られている梵鐘は奈良時代に鋳造され、重要文化財になっています。
【五輪石塔である伝衣塚(でんころもづか)】
- 伝衣塚の概要‐伝衣塚は愛染堂近くに建立された無銘の五輪石塔です。伝衣塚は東福寺開山である聖一国師・円爾の先師で、南宋(中国)時代の臨済僧・無準師範禅師(ぶじゅんしはんぜんじ)の衣を埋めたとも言われています。なお東福寺では例年4月18日に仏鑑禅師とも言われる無準師範(ぶじゅんしばん)禅師の毎歳忌・仏鑑忌を行っています。
- 伝衣塚の豆知識‐伝衣塚は高さ約2メートルです。
【同聚院に安置される十万不動尊(じゅうまんふどうそん)】
- 十万不動尊の概要‐十万不動尊は東福寺の塔頭・同聚院(どうじゅいん)に安置されている本尊・不動明王(ふどうみょうおう)坐像(重要文化財)のことです。十万不動尊は火災除けなど除災のご利益があるとされ、災除けの像とも言われています。なお例年2月2日の御符授与では屋守護(やさご)の符が配布されます。
- 十万不動尊の豆知識‐同聚院は関白・藤原忠平(ふじわらのただひら)が建立した法性寺・五大堂があった場所です。同聚院は室町時代中期の1444年(文安元年)に文渓元作(ぶんけいげんさく)が師である東福寺第129世・琴江令薫(きんこうれいこん)の菩提を弔う為に創建しました。
【霊雲院にある細川遺愛石(ほそかわいあいせき)】
- 細川遺愛石の概要‐細川遺愛石は東福寺の塔頭・霊雲院(れいうんいん)の庭園・九山八海(くせんはっかい)の庭に置かれています。細川遺愛石は肥後熊本藩初代藩主・細川忠利(ほそかわただとし)が第7世住持・湘雪(しょうせつ)に須弥台・石船とともに寄進しました。
- 細川遺愛石の豆知識‐九山八海の庭は江戸時代中期に作庭されたが、その後荒廃し、1970年(昭和45年)に造園家・重森三玲(しげもりみれい)が復元しました。
【東福寺 備考】
*参考・・・東福寺(七不思議・見どころ・・・)ホームページ