- Home
- その他
カテゴリー:その他
-

第72代・白河天皇(しらかわてんのう)と葵祭
白河天皇には令子内親王・禛子内親王・官子内親王がおり、それぞれが斎王に卜定されたこともあり、白河天皇は葵祭を見物した記録が多く残されています。白河天皇は斎王が鴨川で身を清める御禊などを見物しました。 -

「栄花物語(えいがものがたり)」・藤原道長と葵祭
「栄花物語」には平安時代中期に摂関政治の全盛期を築いた藤原道長・藤原頼通親子が描かれています。摂関政治では自身の娘を天皇に入内させ、その娘に皇子が誕生すると外戚(外祖父)として権勢を振るいました。 -

「賀茂注進雑記(かもちゅうしんざっき)」と葵祭
「賀茂注進雑記」は江戸時代前期に江戸幕府4代将軍・徳川家綱の命により、上賀茂神社の神職が由来などを調査してまとめ、幕府に納めたものです。「賀茂注進雑記」には葵祭や葵祭の前儀・賀茂競馬なども記されています。 -

浄禅寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
浄禅寺の歴史を簡単にまとめています。浄禅寺は寺伝によると1144年(天養元年)または1182年(寿永元年)に真言宗の僧・文覚上人が袈裟御前の菩提を弔う為に創建したと言われています。当初、知法庵と称したとも言われています。 -

藤原道隆(ふじわらのみちたか)・「大鏡(おおかがみ)」と葵祭
関白・藤原道隆は無類の酒好きで、歴史物語「大鏡・平安時代末期成立」の中に葵祭の斎王の還御・摂関賀茂詣の話題が記されています。無類の酒好きが影響したのだろうか、藤原道隆は飲水病が原因で亡くなったとも言われています。 -

「延喜式(えんぎしき)」の「斎院司式」と葵祭
「延喜式」の「斎院司式」には葵祭や賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に奉仕した斎王(斎院)の選定方法や潔斎などが記されています。「延喜式」には斎王制が倣った三重・伊勢神宮に仕えた斎宮の潔斎なども記されています。 -

和泉式部(いずみしきぶ)・敦道親王(あつみちしんのう)と葵祭
中古三十六歌仙・和泉式部と冷泉天皇の第4皇子・敦道親王は恋愛関係にあり、「大鏡」・「栄花物語」に記されています。「和泉式部日記」には敦道親王が和泉式部に贈った贈答歌が記されています。 -

藤原道長(ふじわらのみちなが)・「御堂関白記」と葵祭
摂関政治の全盛期を子・藤原頼通とともに築いたは藤原道長は1013年(長和2年)に葵祭の摂関賀茂詣を行い、葵祭の路頭の儀・還立の儀を見物したことが日記「御堂関白記」に記されています。 -

光源氏(ひかるげんじ)・路頭の儀(ろとうのぎ)と葵祭
紫式部作の「源氏物語」葵巻では葵祭(賀茂祭)の斎王御禊・路頭の儀を題材に物語が描かれています。主人公である光源氏は斎王御禊に勅命で供奉したが、路頭の儀に供奉せずに正室である葵の上とともに見物しています。 -

紫式部(むらさきしきぶ)の「紫式部日記」と葵祭
女流歌人・紫式部は葵祭(賀茂祭)を題材に「源氏物語」を執筆するだけでなく、「紫式部日記」にも葵祭を題材に日記を記しています。「紫式部日記」には葵祭に奉仕する斎王(斎院)や斎王が住する賀茂斎院などが記されています。 -

清少納言の父・清原元輔(きよはらのもとすけ)と葵祭
「枕草子」の作者である清少納言の父・清原元輔は葵祭(賀茂祭)の際に勅使らとともに奉幣使を務めたが、一条大路で落馬したことが「今昔物語集」・「宇治拾遺物語」に残されています。 -

藤原頼通(ふじわらのよりみち)・斎院御禊と葵祭
摂関政治の全盛期を父・藤原道長とともに築いた藤原頼通は葵祭の諸行事の一つである斎王御禊に供奉しました。藤原頼通の時代には葵祭の前日の申の日に摂関賀茂詣を行うことが摂関家の行事として確立されました。













