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カテゴリー:その他
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葵橋(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
かつての葵橋は古くから出町と下鴨村を結び、鞍馬街道の入口になっていました。鞍馬街道は出雲路口から深泥池・檜峠・幡枝・市原を経由する東街道、清蔵口から千本大宮・上賀茂・朝露・柊野・原峠・市原を至る西街道がありました。 -

流鏑馬(やぶさめ)・騎射(きしゃ)と葵祭
現在の葵祭では時代行列である路頭の儀が大変人気だが、下鴨神社の流鏑馬も人気です。流鏑馬がいつ始まったかは明確ではないが、「続日本紀」698年(文武天皇2年)3月の条に記され、流鏑馬が飛鳥時代後期には既に行われていました。 -

摂関賀茂詣(せっかんかももうで)・藤原氏と葵祭
葵祭では路頭の儀が最大の見所で、見物に国内外の観光客が大勢訪れます。平安時代中期の葵祭では葵祭の前日に行われた関白または摂政が賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に参詣した摂関賀茂詣も人気のイベントでした。 -

賀茂悪馬流・賀茂競馬(かもくらべうま)と葵祭
上賀茂神社では1093年(寛治7年)から賀茂競馬を行っています。馬は上賀茂神社が有していた全国20か所の荘園から献上されました。馬は野生馬で、賀茂競馬の前に乗尻が「賀茂悪馬流」とも言われる独特の馬術・調教法で調教しました。 -

斎王の還御・「今昔物語(こんじゃくものがたり)」と葵祭
現在の葵祭では時代行列である路頭の儀がハイライトで、見物に国内外の観光客が大勢訪れます。平安時代中期の葵祭では葵祭の翌日に行われた斎王の還御が人気のイベントでした。斎王の還御は「今昔物語」に記されています。 -

大善寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
大善寺の歴史を簡単にまとめています。大善寺は705年(慶雲2年)に藤原鎌足の長男・定慧が創建し、法雲寺と称したのが起源と言われています。平安時代前期に小野篁が1本の桜から6体の地蔵尊を自ら刻んだと言われています。 -

鴨川(かもがわ・賀茂川)・禊(みそぎ)と葵祭
鴨川(賀茂川)ではかつて葵祭に奉仕していた斎王(斎院)が禊(御禊)を行っていました。現在、鴨川の源流にひとつで、上賀茂神社・下鴨神社の境内を流れる小川で斎王代が禊を行っています。 -

徳川家康(とくがわいえやす)・二葉葵と葵祭
上賀茂神社の神紋は二葉葵、徳川将軍家の家紋は三つ葉葵だったこともあり、上賀茂神社・下鴨神社や葵祭は徳川将軍家とゆかりがあります。徳川家康は1600年(慶長5年)に賀茂社に参拝し、1610年(慶長15年)に二葉葵を献上させました。 -

唐庇網代杏葉車・唐庇八葉車と葵祭
唐庇網代杏葉車・唐庇八葉車はいずれも牛車で、葵祭・路頭の儀で巡行します。唐庇網代杏葉車は勅使が乗る御所車、唐庇八葉車は斎王代が乗る女房車だが、実際には勅使・斎王代が乗ることはなく、行列の行粧です。 -

上善寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
上善寺の歴史を簡単にまとめています。上善寺は寺伝によると863年(貞観5年)に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が天台密教の道場として上京区・千本今出川に創建したと言われています。創建以来、度々火災で焼失したと言われています。 -

源光庵の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
源光庵の歴史を簡単にまとめています。源光庵は1346年(興国7年・貞和2年)に大徳寺2世・徹翁義亨の隠居所として創建され、復古堂と言われたのが起源です。徹翁義亨は大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺に隠居していました。 -

海住山寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ
海住山寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには海住山寺のシンボルである五重塔(国宝)、文殊菩薩を祀る文殊堂(重要文化財)、「厄除け観音」を祀る本堂(府暫定登録有形文化財)などがあります。
























