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カテゴリー:その他
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鯉山のタペストリー(飾毛綴)と祇園祭
鯉山のタペストリーはベルギー・ブリュッセルで製造され、桃山時代から江戸時代前期に対外貿易によって日本に伝えられたと言われています。また江戸時代前期に支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったという伝承も残されています。 -
中川喜雲(なかがわきうん)の「案内者」と祇園祭
俳人・仮名草子作者である中川喜雲は1662年(寛文2年)に京都の観光ガイドブック「案内者」を刊行し、祇園祭・五山送り火などが記されています。祇園祭神幸が行われる6月7日の夜に四条から三条にある茶屋が床を設置していたことが分かります。 -
万里小路時房(までのこうじときふさ)の「建内記」と祇園祭
内大臣・万里小路時房は室町時代(1336年~1573年)中期に第100代・後小松天皇の側近として活躍するだけでなく、武家伝奏・南都伝奏も務めたこともあり、「建内記」には室町幕府や公武の動向などが記されています。 -
広橋経光の「民経記(みんけいき)」と祇園祭
権中納言民部卿・広橋経光は一条家・二条家・九条家・鷹司家とともに五摂家に数えられた近衛家の執事を務めたこともあり、鎌倉時代中期の公家社会の動向・行事などが記されています。「民経記」には祇園祭なども記されています。 -
源師時(みなもとのもろとき)の「長秋記」と祇園祭
権中納言・源師時は平安時代(794年~1185年)後期の公卿・歌人で、父・源俊房とともに有職故実に通じ、日記「長秋記」は院政期の朝儀典礼などを知る資料になっています。また「長秋記」には祇園祭なども記されています。 -
広橋綱光(ひろはしつなみつ)の「綱光公記」と祇園祭
公卿・広橋綱光は室町時代(1336年~1573年)中期に家職であった武家伝奏を務めたこともあり、「綱光公記」には朝廷だけでなく、室町幕府など武家の出来事などが記されています。また室町時代に人気だった祇園祭も記されています。 -
「賢俊の「賢俊僧正日記(けんしゅんそうじょうにっき)」と祇園祭
醍醐寺65代座主・賢俊は室町幕府初代将軍・足利尊氏や北朝第2代・光明天皇、北朝第3代・崇光天皇、北朝第4代・後光厳天皇の護持僧だったことから「賢俊僧正日記」に足利尊氏や室町幕府などが記されています。 -
「祇園本縁雑実記(ぎおんほんえんざつじっき)」と祇園祭
「祇園本縁雑実記」は江戸時代(1603年~1868年)中期の1670年(寛文10年)以降に成立し、八坂神社に残されている書物です。「祇園本縁雑実記」には八坂神社や祇園祭などが記され、祇園祭の創始についても記されています。 -
九条尚経の「後慈眼院殿御記(ごじげんいんどのぎょき)」と祇園祭
左大臣・九条尚経は室町時代(1336年~1573年)中期に活動し、「後慈眼院殿御記」が残されていることから室町時代の政治などが記されています。また応仁の乱で中絶し、33年振りに再興された祇園祭なども記されています。 -
「蔭凉軒日録(おんりょうけんにちろく)」と祇園祭
「蔭凉軒日録」は室町幕府4代将軍・足利義持が相国寺山内に創設したとも言われる蔭凉軒の歴代軒主による公用日記で、禅宗の寺院・僧侶、室町幕府の政治・経済・財政などが記されています。また祇園祭なども記されています。 -
中原師郷(なかはらもろさと)の「師郷記」と祇園祭
中原師郷は大外記を歴任し、日記「師郷記」には職務である公事や朝儀などが豊富に記されるだけでなく、世上の事件なども記されています。「師郷記」には南北朝時代から室町時代に人気だった祇園祭も記されています。 -
東坊城秀長(ひがしぼうじょうひでなが)の「迎陽記」と祇園祭
東坊城秀長は室町幕府3代将軍・足利義満から信任され、その子である室町幕府4代将軍・足利義持などに学問を教授したこともあり、足利義満に関する記録が日記「迎陽記」多く残されています。祇園祭を見物した記録も残されています。