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カテゴリー:その他
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吉田兼見(よしだかねみ)の「兼見卿記」と祇園祭
吉田神社の神主(祠官)・吉田兼見は従兄弟で、織田信長の家臣・細川藤孝(細川幽斎)や室町幕府15代将軍・足利義昭、織田信長、明智光秀、関白・豊臣秀吉などと親交があり、織豊政権期の政治情勢などを知ることができます。 -

瀧樹神社(たぎじんじゃ)のケンケト踊りと祇園祭
四条傘鉾の棒振り踊りは瀧樹神社のケンケト踊りを参考に復元されました。四条傘鉾は1871年(明治4年)を最後に中絶し、1985年(昭和60年)に傘鉾が再興され、1988年(昭和63年)に棒振り囃子と囃子が復元されました。 -

社家条々記録(しゃけじょうじょうきろく)」と祇園祭
「社家条々記録」は1323年(元亨3年)に祗園社執行・晴顕が記した記録です。執行は八坂神社の運営の中心で、人事権を持ち、恒例・臨時の法会や神事の準備を公人に命じました。執行は神官でもり、仏僧でもあり、外見は僧形でした。 -

「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」と祇園祭
「祇園社本縁録」は江戸時代(1603年~1868年)に成立し、八坂神社・祇園祭・大政所御旅所の起源などが記されていました。ただ「祇園社本縁録」は現在、失われており、見ることはできません。 -

田楽(でんがく)・永長の大田楽と祇園祭
祇園祭にはかつて田楽や馬長・童・巫女などが様々な人々が参加していました。1096年(永長元年)は京都で田楽が爆発的に流行して人々が熱狂し、「永長の大田楽」とも言われ、祇園祭でも田楽が参加した記録が残されています。 -

京の夏の旅2025年7月11日~9月30日(文化財特別公開)
京の夏の旅・非公開文化財特別公開は1976年(昭和51年)に始まり、夏の京都の魅力を発信しています。夏の京都は2025年(令和7年)に50回目を迎え、「昭和100年」という節目の年に因んで、近代京都の名建築と夏に訪ねたい水景をテーマに行われます。 -

1678年(延宝6年)の「京雀跡追(きようすずめあとおい)」と祇園祭
「京雀跡追」は1678年(延宝6年)に刊行されました。「京雀跡追」は著者が不詳で、当初上下二冊で構成されていたと言われています。「京雀跡追」は1664年(寛文4年)に刊行された「京雀」の記述を取り入れながら増補が加えられました。 -

壬生晴富の「晴富宿禰記(はるとみすくねき)」と祇園祭
壬生晴富は応仁の乱の最中である1468年(応仁2年)に左大史に任ぜられ、日記「晴富宿禰記」では応仁の乱後の室町幕府の政治や室町幕府10代将軍・足利義稙と室町幕府11代将軍・足利義澄の関係などを知ることができます。 -

室町幕府11代将軍・足利義澄(あしかがよしずみ)と祇園祭
室町幕府11代将軍・足利義澄は1495年1月23日(明応3年12月27日)に将軍に就任し、1508年5月15日(永正5年4月16日)まで勤めました。足利義澄は将軍在職中の1500年(明応9年)に祇園祭を見物したと言われています。 -

俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と祇園祭
松尾芭蕉は1690年(元禄3年)4月6日から7月23日までは近江の弟子で、膳所藩士・菅沼曲翠の勧めにより、滋賀郡国分の幻住庵に滞在して静養しました。ただ静養中も6月上旬頃に京都に行き、「猿蓑」を企画し、6月18日まで京都に滞在しました。 -

三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の「実隆公記」と祇園祭
三条西実隆は後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇の3代に仕え、足利義政、足利義澄らと親交があり、肖柏・飯尾宗祇らの文化人と交流し、「実隆公記」には朝廷・公家・幕府・戦国大名の動向など様々な事項が記されています。 -

祇園祭八坂礼拝講2026年7月21日(比叡山延暦寺)
祇園祭八坂礼拝講(日程・時間・・・)を紹介。八坂礼拝講では疫病退散・国家安寧・世界平和を祈願します。八坂礼拝講では八坂神社の宮司が祝詞を奏上し、次に天台座主が祭文を読み上げ、その後延暦寺の僧侶が独特の節回しで「法華経」の問答を行います。














