「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」と祇園祭
「祇園社本縁録」と祇園祭
「祇園社本縁録」は江戸時代(1603年~1868年)に成立し、八坂神社・祇園祭・大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)の起源などが記されていました。ただ「祇園社本縁録」は現在、失われており、見ることはできません。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」】
「祇園社本縁録」は江戸時代(1603年~1868年)に成立し、八坂神社・祇園祭・大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)の起源などが記されていました。ただ「祇園社本縁録」は現在、失われており、見ることはできません。
江戸時代に成立した「祇園社本縁録」に「貞観十一年、天下大疫の時、宝祚隆水、人民安全、疫病消除鎮護の為に、卜部日良麻呂、勅を奉じ、六月七日、六十六本の矛を建てる。長さ二丈許。同十四日、洛中男児及び郊外の百姓を率いて神輿を神泉苑に送り、以って祭る。是を祇園御霊会(祇園祭)と号す。爾来毎歳六月七日、十四日、恒例と成す。」と記され、869年(貞観11年)に祇園祭が始まったことが分かります。疾病が大流行し、人民安全・疫病消除・鎮護国家の為、卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)が勅により、6月7日に長さ二丈の66本の矛(ほこ)を建てて疫神を依り憑かせ、6月14日に洛中の男児や郊外の百姓を率いて牛頭天王(ごずてんのう)を奉じた神輿を神泉苑(しんせんえん)に送って祀り、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と号しました。疫病の大流行により、庶民などに死人・病人が多数出たことから悪疫を封じ込める為に祇園祭が始まりました。その後毎年祇園祭が6月7日・6月14日に行われることが恒例になりました。毎年祇園祭が行われるようになったのは第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の時代(969年~984年)の970年(天禄元年)と言われ、970年(天禄元年)に祇園祭が始まりとも言われています。室町時代中期の神道家・よしだかねとも)が編纂したと言われる「二十二社註式(にじゅうにしゃちゅうしき )」に「祭礼。同円融天禄元年(970年)六月十四日、始御霊会(祇園祭)、自今年行之」と記されています。なお祇園祭ではかつて6月7日よりも6月14日の方が大変賑わって、馬長(うまおさ)が主役でした。
「祇園社本縁録」に「圓融院御宇天延二年五月晦日霊夢ノ告アリ當社ノ神高辻東洞院秦助正居宅二廿ケ日ノ後神幸アルベシトノ神託アリ 今六月祭禮二長六尺幅七寸ノ板二文字百二十一字書テ錦ヲ以テ包タルハ此神託ノ由来ヲ書タル札ナリ常ハ御旅所二納置ケリ當時祭禮二持トコロノ札ノ外二又一枚御旅所ノ内陣二札アリ六月祭禮二七日ヨリ御旅所へ神輿ヲ渡御セシムルハ此年ヨリ起レリ御旅所棚守助正ガ子孫十代計アリテ其後絶タリ六月祭禮御旅所與利出御玉文板二書以レ錦包之名目二謂於多麻也」と記され、第64代・円融天皇の時代(969年~984年)の974年(天延2年)5月末日、20日後に高辻東洞院にある秦助正(はたのすけまさ)の屋敷に神幸すべきという八坂神社の祭神から神託があったことが分かります。6月の祭礼に長さ6尺7寸の板(木札)に121文字の神託を書いて錦の布に包んで、普段は御旅所に安置しました。974年(天延2年)から6月7日に八坂神社から御旅所に神輿が渡御するようになりました。神輿渡御に板(木札)も随伴したと言われています。御旅所棚守は秦助正の子孫が10代勤めたが、その後途絶えました。その後旧暦6月7日の神幸(しんこう・神輿迎え(みこしむかえ))に神輿が八坂神社から御旅所(大政所御旅所・少将井御旅所)に渡御し、旧暦6月14日の還幸(かんこう・祇園会(ぎおんえ))に神輿が御旅所(大政所御旅所・少将井御旅所)から八坂神社に戻りました。大政所御旅所ではかつて旧暦6月11日に湯立を行って祭場を祓いました。
●大政所御旅所は1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命により、四条寺町に移転する前の御旅所で、感神院政所(かんしんいんまんどころ)とも称されました。大政所御旅所は五条坊門通・高辻小路通・東洞院大路通・烏丸小路通に囲まれた方一町の敷地を有していました。現在の下京区烏丸通仏光寺下ル大政所町東頬・上柳町南頬・高橋町西頬・匂天神町北頬にあたります。「祇園社記」によると秦助正・秦助次・秦友次・秦友正・秦友延・秦友吉・秦友助・秦助氏・秦助重・秦助直・秦助貞・秦亀寿丸・秦顕友が御旅所神主を相伝しました。
【「祇園社本縁録」と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)
















