祇園祭歴史・祇園祭とは牛頭天王の祟りが由来・起源

祇園祭歴史
祇園祭の歴史とは869年(貞観11年)に京都をはじめ全国に疫病が流行し、牛頭天王の祟りであるとしたのが由来・起源です。祇園祭の歴史は平安時代前期に始まり、千年以上の歴史があります。ただその長い歴史の中で、応仁の乱で33年間も途絶えました。
★祇園祭最新情報。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【前史・御霊会】
●863年(貞観5年)に疫病(しっぺい)が流行し、疫神(えきじん)や死者の怨霊(おんりょう・祟り(たたり))を鎮める為、禁苑(宮中の庭)であった神泉苑(しんせいえん)で最初の御霊会(ごりょうえ)が行われました。ただその後も疫病が続いたことから度々御霊会が行われ、八坂神社(やさかじんじゃ)の主祭神でもあった牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、無病息災を祈願しました。牛頭天王は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の神で、お釈迦さま(おしゃかさま)が説法を行った祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされていました。また牛頭天王は東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)の教主・薬師如来(やくしにょらい)の垂迹(すいじゃく)で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の本地(ほんじ)とされました。
【創始(起源・由来)・祇園御霊会】
●869年(貞観11年)に京都をはじめ全国に再び疫病が流行し、牛頭天王の祟りであるとし、神祇官(じんぎかん)・卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に全国の国の数と同じ66本の鉾(ほこ)を立て、悪霊を遷して穢れ(けがれ)を祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、八坂神社から神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願する祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が行われました。「祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)」に「貞観十一年、天下大疫の時、宝祚隆水、人民安全、疫病消除鎮護の為に、卜部日良麻呂、勅を奉じ、六月七日、六十六本の矛を建てる。長さ二丈許。同十四日、洛中男児及び郊外の百姓を率いて神輿を神泉苑に送り、以って祭る。是を祇園御霊会と号す。」と記されています。なお祇園祭がいつ始まったかと言えば、869年(貞観11年)の祇園御霊会が起源と言われています。かつての祇園祭がどんな祭りだったかと言うと読経(どきょう)が行われるなど仏教色が強かったと言われています。
【平安時代中期の歴史・出来事】
●970年(天禄元年)から毎年旧暦の6月に行われるようになりました。6月7日に神輿を迎えて神事が行われ、6月14日に神輿を送りました。朝廷や院(上皇)から馬長(うまおさ)・田楽(でんがく)・獅子(しし)などが奉納されました。970年(天禄元年)に祇園祭が創始された説もあります。
●974年(天延2年)に東洞院高辻に住む秦助正(はたのすけまさ)が八坂大神(やさかのおおかみ)からの神託を受け、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)になり、神殿が建立されたとも言われています。大政所御旅所には大政所神輿(おおまんどころみこし)・八王子神輿(はちおうじみこし)が渡御して奉安されました。また円融天皇は神輿が鴨川を渡って、平安京を渡御するように勅命しました。祇園祭が官祭になったとも言われています。
●999年(長保元年)に雑芸者・無骨(むこつ)が天皇の即位の礼の直後に行う大嘗祭(だいじょうさい)の標山(しめやま)に似た作山を造りました。「本朝世紀(ほんちょうせいき)」999年(長保元年)6月14の条に「但今日祇園天神会也。而自去年。京有雑芸者。是則法師形也。世号謂無骨。(略)造村凝渡彼社頭。而如云々者。件村作法。宛如引大嘗会之標。」と記されています。この999年(長保元年)の作山が山鉾・山鉾巡行の起源・由来とも言われています。
●清少納言(せいしょうなごん)が記した「枕草子(まくらのそうし)・(能因本)」には「心ちよげなるもの卯杖のほうし。神楽の人長。池の蓮の村雨にあひたる。御霊会の馬長。また、御霊会のふりはた取り持たる者。」と記し、祇園祭の馬長などに注目していました。
【平安時代後期の歴史・出来事】
●1069年(延久元年)に田楽(でんがく)50組が参加し、田楽・猿楽(さるがく)なども行われるようになったと言われています。
●1136年(保延2年)に少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)が建立されたと言われています。少将井御旅所には少将井神輿(しょうしょういみこし)が渡御して奉安されました。
●1172年(承安2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))が神輿3基を寄進したと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●平安時代末期から祇園祭が一段と賑やかになったが、鎌倉時代に鉾・長刀(なぎなた)に装飾を付けたものが行列に参加するようになりました。「花園天皇宸記(はなぞのてんのうしんき)」1321年(元亨元年)7月24日の条によると鉾を取り巻く鉾衆の回りで、鼓打らが風流の舞曲を演じたと記されています。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
●1376年(天授2年・永和2年)に「後愚昧記(ごぐまいき)」によると祇園祭で神事が行われず、例年通りに鉾の巡行が行われたことが記されています。また高大鉾が転倒して死者が出たことも記され、南北朝時代頃には山鉾は一人で担ぐ剣鉾のような小型のものではなく、大型化していたと言われています。この頃から現在のような大型の山鉾が現れたと言われています。
●1378年(天授4年・永和4年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が猿楽師(さるがくし)・世阿弥(ぜあみ)とともに山鉾を見物したと言われています。ちなみに室町時代に足利将軍家は久世舞(曲舞)を車の上で演じる久世舞車(くせまいくるま)を奉納したりしていました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●1441年(嘉吉元年)またはそれ以前に長刀鉾(なぎなたほこ)が創建され、長刀鉾は現在の山鉾の中で最古の山鉾と言われています。
●室町時代の一時期に延暦寺(えんりゃくじ)の影響力により、八坂神社は延暦寺の守護神・日吉大社(ひえたいしゃ・ひよしたいしゃ)の末社にされ、日吉神社の祭礼・日吉祭(山王祭(さんのうさい))が行われない場合、祇園祭が中止させられたり、延期させられたりしました。また祇園祭が行われなかった場合、粟田神社(あわたじんじゃ)の粟田祭(あわたまつり)が代わりに行われたとも言われています。なお山鉾は粟田祭の剣鉾が原型とも言われています。
●1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、祇園祭が33年間にわたって一時途絶えました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
●1500年(明応9年)に町衆の手によって祇園祭が再興されました。「祇園社記」によると6月7日に26基の山鉾、6月14日に10基の山鉾が巡行しました。「後法興院記(ごほうこういんき)」1500年(明応9年)6月7日に「山廿五、鉾一」、6月14日に「山十外無鉾」と記されています。ちなみに再興の際に室町幕府の奉行衆・松田豊前守頼亮(まつだぶぜんのかみよりすけ)が古老から聞き取って記した「祇園会山鉾事」によると応仁の乱前には60基の山鉾(6月7日の32基・6月14日の28基)があった言われています。松田豊前守頼亮の私邸で初めてのくじ取り式が行われました。
●1504年(永正元年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)が祇園祭を観覧しました。
●1533年(天文2年)に日吉大社の祭礼延期によって祇園祭が延期されたが、「神事ナクトモ山鉾渡シタシ」と訴え、神事は中止されたが、山鉾巡行が行われました。この頃から祇園祭では神事よりも山鉾巡行に関心が集まるようになったとも言われています。
●1582年(天正10年)6月2日に織田信長(おだのぶなが)が自刃する本能寺の変(ほんのうじのへん)が起こり、祇園祭が11月に延期されました。ちなみに織田信長は1578年(天正6年)6月14日に祇園祭を見物しました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
●1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、大政所御旅所と少将井御旅所が四条通寺町にある現在の四条御旅所(八坂神社御旅所)に移転・統合されました。
●安土桃山時代以降に祇園祭が一層盛大に行われるようになり、狩野永徳(かのうえいとく)筆の「洛中洛外図屏風(国宝)」にその様子が描かれています。「洛中洛外図屏風」は狩野永徳が描き、織田信長が上杉謙信(うえすぎけんしん)に贈ったものです。現在の山鉾の中では船鉾(ふねほこ)・岩戸山(いわとやま)・鶏鉾(にわとりほこ)・白楽天山(はくらくてんやま)・函谷鉾(かんこほこ)・蟷螂山(とうろうやま)・四条傘鉾(しじょうかさほこ)が描かれています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●江戸時代に祇園の芸妓による風流行列なども行われるようになりました。
●1708年(宝永5年)の宝永の大火・1788年(天明8年)の天明の大火・1864年(元治元年)の禁門の変(元治の大火)が起こり、多くの山鉾が焼失しました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治維新後の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)により、祇園祭の名称が祇園御霊会から改称され、八坂神社の社名も祇園社から八坂神社に改称されました。
●1967年(昭和41年)に7月17日の山鉾巡行(前祭)と7月24日の山鉾巡行(後祭)が統合され、7月17日の合同巡行になりました。
●2009年(平成21年)に祇園祭の山鉾行事がユネスコの無形文化遺産(世界遺産)に登録されました。2016年(平成28年)にも「山・鉾・屋台行事」として、無形文化遺産に一括登録されました。
●2014年(平成26年)に山鉾巡行(後祭)が復活し、7月17日に山鉾巡行(前祭)、7月24日に山鉾巡行(後祭)が行われるようになりました。
●2019年(令和元年)に祇園祭創始1,150年を迎えました。
●2020年(令和2年)・2021年(令和3年)に新型コロナウイルスの影響により、山鉾巡行など祇園祭の主要行事が中止になりました。
【祇園祭歴史 備考】
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)
















