カテゴリー:祇園祭(京都)

  • 祇園祭とムクゲ(祇園守(ぎおんまもり))

    祇園祭では祭花としてヒオウギ(檜扇)が知られているが、八坂神社では献花でムクゲを飾る習わしがあり、祇園祭期間中には神前にムクゲを御饌花として供えまていす。ムクゲ(槿)は八坂神社の本殿(国宝)裏に植えられています。
  • 祇園祭と官祭(かんさい)・二十二社

    祇園祭は「二十二社註式」によると970年(天禄元年)に官祭になりました。官祭では神祇官または諸国の国司が班幣を捧げていたが、平安時代中期以後に衰退し、八坂神社などの二十二社などを除いて行われなくなりました。
  • 祇園祭と保元の乱(ほうげんのらん)・馬上役

    祇園祭は平安時代前期に始まって1,100年以上の歴史があり、兵火(戦乱)によって影響を受けたことがありました。1156年(保元元年)7月に勃発した保元の乱では基本的に朝廷が負担していた祇園祭の執行費用に影響を与えました。
  • 祇園祭と天文法華の乱(てんもんほっけのらん)

    祇園祭は平安時代前期に始まって1,100年以上の歴史があり、兵火・対立・圧力などに巻き込まれることもありました。戦国時代の1536年 (天文5年) 7月に起こった天文法華の乱では長刀鉾の2代目・長刀も鉾町から略奪されました。
  • 祇園祭と法華一揆(ほっけいっき)

    祇園祭は千百年以上の歴史があり、兵火・対立・圧力などによって延期されたり、中止されたりしました。法華一揆最中の天文年間は延暦寺・法華衆・室町幕府・細川晴元・六角定頼などが複雑に絡み合う政情の影響を受けました。
  • 祇園祭と宝寿院(ほうじゅいん)

    祇園祭はかつて宝寿院が執行として執り行いました。宝寿院は八坂造氏と紀氏が起源と言われています。紀百継が八坂造氏の婿養子になり、八坂造氏と紀氏が統合されました。紀氏は平安時代後期に祇園感神院を世襲支配するようになりました。
  • 祇園祭と京都の三大大火

    祇園祭は平安時代前期に創始されて1,100年以上の歴史があり、その歴史の中で兵火・火災などによって影響を受けました。江戸時代に発生し、京都の三大大火に数えられた宝永の大火・天明の大火・どんどん焼けでは山鉾などが焼失しました。
  • 祇園祭と室町幕府4代将軍・足利義持

    祇園祭は平安時代前期に創始されて1,100年以上の歴史があり、その歴史の中で著名人などが見物した記録が残されています。室町幕府4代将軍・足利義持は1419年(応永26年)6月14日と1425年(応永32年)6月14日に桟敷で祇園祭を見物しています。
  • 祇園祭と本能寺の変・明智光秀

    祇園祭は平安時代前期に始まって千百年以上の歴史があり、その歴史の中で中止になったり、延期になったりしたこともありました。1582年(天正10年)6月2日に明智光秀が織田信長を襲撃して自刃させた本能寺の変では11月に延期されました。
  • 祇園祭と室町幕府3代将軍・足利義満

    祇園祭は平安時代前期に始まって千百年以上の歴史があり、その歴史の中で著名人などが見物した記録が残されています。南北朝時代から戦国時代の間では室町幕府3代将軍・足利義満が祇園祭を見物した記録が多く残されています。
  • 祇園祭と室町幕府8代将軍・足利義政

    祇園祭は千百年以上の歴史があり、その歴史の中で天皇・将軍などが見物した記録が残されています。「綱光公記」には室町幕府8代将軍・足利義政が烏丸殿の西面、女房達が東面に桟敷を設けて祇園祭を見物したことが記されています。
  • 祇園祭と室町幕府6代将軍・足利義教

    祇園祭は1,100年以上の歴史があり、その歴史の中で天皇・将軍などが見物した記録が残されています。「看聞日記」には室町幕府6代将軍・足利義教が父・足利義満と同じように京極持高の宿所を訪れて桟敷で見物したことが記されています。

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