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カテゴリー:祇園祭(京都)
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祇園祭と「洛中洛外図屏風(上杉本)」
祇園祭は絵師・狩野永徳が23歳頃に描き、1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈った「洛中洛外図屏風(上杉本)」に描かれています。右隻には長刀鉾・蟷螂山・鶏鉾・岩戸山など山鉾や清水寺などの東山の名所が描かれています。 -
祇園祭と菊水鉾・菊水の井
祇園祭の山鉾巡行(前祭)で巡行する菊水鉾の名称は京都市中京区菊水鉾町にあった菊水の井に由来しています。菊水の井は室町時代に夷を祀っていた神社の社殿の隅にありました。菊水鉾町はかつて夷三郎町とも言われていたそうです。 -
祇園祭と崇徳天皇・祇園臨時祭
祇園祭では祇園祭の翌日・6月15日に祇園臨時祭が行われていました。祇園臨時祭は975年(天延3年)に第64代・円融天皇が始めました。1124年(天治元年)から崇徳天皇の御願により、永代の祭礼として行われるようになりました。 -
祇園祭と大嘗会(だいじょうえ)の標山(しめやま)
祇園祭の山鉾・山鉾巡行は雑芸者・無骨が八坂神社の社頭で、大嘗会の標山に似た作山を制作し、引き廻したことが起源と言われています。標山は大嘗祭の際、大嘗宮の前の悠紀殿・主基殿の前に両国の役人が並ぶ位置を示す目印です。 -
祇園祭とイエズス会の宣教師
祇園祭は戦国時代(室町時代後期)から安土桃山時代に日本を訪れていたイエズス会の宣教師も見物し、その記録が残されています。ガスパル・ヴィレラの書簡には高価な絹織物に覆われた山鉾や神輿渡御の様子などが記されています。 -
祇園祭と平清盛・祇園臨時祭
祇園祭はかつて6月14日に行われ、翌日6月15日に祇園臨時祭が行われていました。1147年(久安3年)6月15日に平清盛が宿願の成就を祈願する為に田楽を奉納しようとした際、武装した平氏の郎党が八坂神社の下級神職・神人に咎められ、闘乱になりました。 -
祇園祭と元祇園梛神社の御供石(ごくいし)
祇園祭の際に使われていた御供石が元祇園梛神社に移されています。御供石は山鉾巡行の際に石の上に神饌を供え、神に献じた石とも言われています。また御供石は江戸時代まで祇園祭の際に御旅所に神饌を献ずる為の台石だったとも言われています。 -
祇園祭と織田信長(おだのぶなが)
祇園祭では天皇(上皇・法皇)・貴族・将軍・武将などが見物した記録が残されています。そして織田信長は「信長公記」に「寅 六月十四日 祇園会、信長御見物。」と記され、1582年(天正6年)6月14日に祇園祭を見物しました。 -
祇園祭と長刀鉾(なぎなたほこ)の長刀
祇園祭の山鉾巡行(前祭)で先頭を巡行する長刀鉾は1225年(嘉禄元年)に八坂神社に奉納された長刀を鉾頭に掲げて創建されたとも言われています。長刀は三条小鍛冶宗近が作刀し、娘の病気平癒の祈願の為に八坂神社に奉納したと言われています。 -
祇園祭と今宮神人(いまみやじにん)
祇園祭では3基の神輿が八坂神社と御旅所の間を渡御しています。かつては大宮神輿(中御座神輿)を今宮神人、少将井神輿(東御座神輿)を轅町・四条船頭町若中、八王子神輿(西御座神輿)を轅町・三条台若中が奉仕していました。 -
祇園祭と神泉苑(しんせんえん)・禁苑
祇園祭の起源とされる祇園御霊会は平安時代前期の869年(貞観11年)に神泉苑で行われました。神泉苑は794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が平安京遷都を行った際に天皇が占有する禁苑として造営されました。 -
祇園祭と堀川材木神人(ほりかわざいもくじにん)・浮橋
祇園祭では第64代・円融天皇の勅命により、神輿が鴨川を渡って平安京を渡御するようになりました。「洛中洛外図屏風」には神輿が四条の仮橋(浮橋)を渡る様子が描かれ、その浮橋は祇園祭の度に堀川材木神人が鴨川に架けていました。