宝積寺大厄除追儺式2019/4/20(日程・時間・・・)

宝積寺大厄除追儺式

宝積寺大厄除追儺式(日程・時間・・・)を紹介しています。大厄除追儺式は毎年4月18日頃に行われています。大厄除追儺式では呉竹に挟んだ75個の鏡餅が鴨居に掛けられた本堂の扉が閉められ、密閉された堂内で桧葉が焚かれ、邪気を払う煙で鬼を燻して改心させ、蓬の矢と桃の弓で鬼を仁王門の外に追い払います。なお福餅まきも行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【宝積寺大厄除追儺式2019 日程時間(要確認)】
宝積寺大厄除追儺式2019は2019年4月20日(土曜日)14:00から行われます。

【宝積寺大厄除追儺式 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府乙訓郡大山崎町銭原1
最寄り駅・バス停・・・山崎駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR京都線

*阪急京都線の場合、最寄り駅は大山崎駅(徒歩約15分)

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【宝積寺大厄除追儺式 歴史・簡単概要】
宝積寺大厄除追儺式(だいやくよけついなしき)・鬼くすべ(おにくすべ・鬼燻)は僧・行基が宝積寺を創建した724年(神亀元年)から行われているとも言われています。行基は706年(慶雲3年)に疫病が流行した際に第42代・文武天皇に疫病退散の修法を命じられたとも言われています。なお大厄除追儺式では鬼が鏡餅に写る自分の顔の醜さに驚き、恐れて退散することにより、厄除けや開運を祈願します。
大厄除追儺式では先ず山伏・鬼・七福神・福男・稚児などの行列が仁王門から本堂に向かいます。その後呉竹に挟んだ75個の鏡餅が鴨居に掛けられた本堂の扉が閉められ、密閉された堂内で桧葉(ひば)が焚かれ、邪気を払う煙で鬼を燻して改心させ、蓬(よもぎ)の矢と桃の弓で鬼を仁王門の外に追い払います。大厄除追儺式では健康・智恵・金運の三福が授かる福餅まきも七福神などによって行われます。(要確認)
追儺は平安時代初期から大晦日に宮中で行われている鬼払いの儀式です。追儺は鬼やらい・鬼遣らい・儺(な)やらい・鬼儺・大儺(たいだ)・駆儺(くだ)などとも言われています。追儺では黄金四つ目の面を付け、右手に矛、左手に楯を持った方相氏(ほうそうし)などが大内裏の中を「鬼やらう」と大声を掛けながら鬼を追い払って回りました。ただその後方相氏は追い払う側から追い払われる側に変わったそうです。なお追儺は文武天皇(697年~707年) の時代に中国から伝わったとも言われています。

【宝積寺 歴史・簡単概要】
宝積寺(ほうしゃくじ)・宝寺(たからでら)は寺伝によると724年(神亀元年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第45代・聖武天皇の勅願によって創建したとも言われています。行基は725年(神亀2年)に淀川に山崎橋を架け、731年(天平3年)には山崎院を創建したとも言われ、宝積寺は山崎院と関係があるとも言われています。ちなみに山崎院跡からは日本で最古級とも言われる壁画の断片などが出土しています。その後長徳年間(995年~999年)に天台宗の僧である円通大師・寂昭(じゃくしょう(大江定基・おおえのさだもと))が中興し、平安時代末期頃に「続本朝往生伝(ぞくほんちょうおうじょうでん)」によるとは宝寺と言われていたそうです。1232年(貞永元年)の火災によって焼失しました。1582年(天正10年)の山崎の戦いの際に関白・豊臣秀吉が本陣が置き、その後天王山に築城された山崎城(やまざきじょう)に取り込まれ、山崎城は宝寺城とも言われました。ちなみに秀吉は大坂城を築城するまで山崎城を本拠地とし、秀吉は三重搭を一夜で建立したとも言われ、三重搭は一夜の塔とも言われています。1864年(元治元年)の禁門の変の際には尊皇攘夷派・真木保臣(まき やすおみ)など十七烈士らの陣地を置きました。
宝積寺は真言宗の寺院です。
*参考・・・宝積寺(アクセス・歴史・・・)宝積寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【宝積寺大厄除追儺式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
宝積寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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