宝積寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
宝積寺
宝積寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。宝積寺は大黒天が祀られている小槌宮に第45代・聖武天皇の夢に現れた竜神から授けられたともいう打出(うちで)と小槌(こづち)を祀っていることから宝寺(たからでら)とも、大黒天宝寺とも言われています。宝積寺は参詣者に福徳を授け、商売繁盛のお寺として知られています。
【宝積寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府乙訓郡大山崎町銭原1
最寄り駅・バス停・・・山崎駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR京都線
*阪急京都線の場合、最寄り駅は大山崎駅(徒歩約15分)
【宝積寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~16:00
【宝積寺 拝観料金・料金(要確認)】
閻魔堂
400円
【宝積寺 歴史・簡単概要】
宝積寺(ほうしゃくじ)・宝寺(たからでら)は寺伝によると奈良時代(710年~794年)前期の724年(神亀元年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願によって創建したと言われています。聖武天皇が龍神から授けられたと言われる打出(うちで)と小槌(こづち)が小槌宮に祀られています。その後奈良時代に本尊・大黒天神を天竺(てんじく・インド)から招いて祀ったと言われています。725年(神亀2年)に行基は淀川(よどがわ)に山崎橋を架け、山崎橋を管理する橋寺として山崎院を創建したと言われています。784年(延暦3年)に洪水で橋が流出した際、1人の翁(おきな)が現れて水上を歩くと見事に橋が復元されました。一条の光明とともに宝積寺の厨子(ずし)の中に入り、本尊・十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)が翁に化身して橋を架けたと評判になり、橋架観音と言われるようになりました。長徳年間(995年~999年)に天台宗(てんだいしゅう)の僧・寂昭(じゃくしょう)が中興したと言われています。鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1232年(貞永元年)に火災で諸堂が焼失したと言われています。南北朝時代(1337年~1392年)の1388年(元中5年・嘉慶2年)に北朝第6代で、第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)の勅願所(ちょくがんしょ)になりました。南北朝時代に塔頭(たっちゅう)が64坊ありました。安土桃山時代(1573年~1603年)の1582年(天正10年)の山崎の戦いの際、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が本陣を置き、その後天王山に築城された山崎城(やまざきじょう)に取り込まれ、山崎城は宝寺城とも言われました。江戸時代(1603年~1868年)初期の1604年(慶長9年)に三重塔(重要文化財)が建立されました。三重搭は豊臣秀吉が一夜で建立したとも言われ、三重搭は一夜の塔とも言われています。1605年(慶長11年)に豊臣家が本堂を改築しました。なお宝積寺は十一面観音(重要文化財)を本尊として安置しています。
宝積寺は真言宗の寺院です。
*参考・・・宝積寺(アクセス・歴史・・・)
【宝積寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
宝積寺の見どころは安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が一日で建立したとも言われる三重塔(一夜の塔)です。三重塔は三間三重塔婆で、本瓦葺です。ちなみに本堂の脇には秀吉が腰掛けたと言われる出世石もあります。出世石は許可があれば実際に腰掛けることもできるそうです。(要確認)なおいずれも京都府登録文化財である本堂・山門も見どころです。
重要文化財・・・三重塔、十一面観音菩薩立像、金剛力士像、閻魔王像、眷族像
【宝積寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0771-24-0809
【宝積寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【宝積寺 おすすめ散策ルート】
宝積寺からのおすすめ散策ルートは南東側の山崎院跡に向かうルートです。10分ほど散策すれば、山崎院跡に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお宝積寺は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。