曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ2024(4月下旬~5月上旬頃)

曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ(見頃)

曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。曼殊院には大書院周辺に霧島ツツジが植えられ、やや小ぶりの深紅の花を咲かせます。見ごろには赤いじゅうたんのように花をつけた霧島つつじは枯山水庭園と調和して美しいと言われています。霧島ツツジに続いて平戸ツツジ・サツキが見ごろを迎えます。(詳細下記参照)

【曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ(例年時期)】
曼殊院のツツジ・サツキ見ごろは霧島ツツジが例年4月下旬頃、平戸ツツジ・サツキが例年5月上旬頃です。ただツツジ・サツキ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ

【曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック

*叡山電鉄の場合、最寄り駅は修学院駅(徒歩約20分)

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【曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
曼殊院はツツジ(躑躅)・サツキ(皐月)の名所です。曼殊院のツツジ・サツキ見ごろは霧島ツツジが例年4月下旬頃、平戸ツツジ・サツキが例年5月上旬頃です。
曼殊院には大書院(重要文化財)周辺に霧島ツツジが植えられ、やや小ぶりの深紅の花を咲かせます。見ごろには赤い絨毯のように花をつけた霧島ツツジは枯山水庭園(国の名勝)と調和して美しいと言われています。ちなみに霧島ツツジはその優雅な姿が美女に例えられているそうです。なお曼殊院では霧島ツツジに続いて平戸ツツジ・サツキが見ごろを迎えます。
大書院は江戸時代前期の1656年(明暦2年)に建立されました。大書院には仏間・滝の間・十雪の間・控えの間などがあり、仏間に本尊・阿弥陀如来立像などが安置されています。なお大書院は寄棟造のこけら葺きです。
枯山水庭園は小堀遠州好みと言われています。枯山水庭園は水の流れを表した砂の中に鶴島・亀島が配置され、鶴島の中には鶴を樹齢約400年の五葉松で表現しています。枯山水庭園や伽藍などは「小さな桂離宮」とも称されています。
霧島ツツジ(霧島躑躅)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。霧島ツツジはキリシマ (霧島)とも言われています。霧島ツツジは鹿児島に野生するサタツツジ(佐田躑躅)とヤマツツジ(山躑躅)を主とし、ミヤマキリシマ(深山霧島)が加わった交配種とも言われています。江戸時代前期に薩摩(鹿児島)から大坂、そして京都・江戸(東京)に広まり、江戸時代末期から欧米に輸出されました。霧島ツツジは樹高が60センチ~90センチで、葉は広い楕円形です。霧島ツツジは春に小枝の先に紅色の漏斗状の花を数個つけます。
平戸ツツジ(平戸躑躅)はツツジ科の常緑低木です。平戸(長崎県北部)は古くから遣隋使・遣唐使などの寄港地として利用され、交通・交易の中心地であったことからケラマツツジ(沖縄諸島原産)を主な親とし、キシツツジ(西部日本原産)・リュウキュウツツジ(沖縄諸島原産)・モチツツジ(中部日本原産)・タイワンヤマツツジ(台湾原産)などと自然交雑し、大輪の平戸ツツジが生まれたと言われています。平戸ツツジは樹高1~2メートルで、花冠が大きく、白・桃・紅・赤・朱・紫色など多彩な花を咲かせます。
サツキ(皐月・杜鵑)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。サツキはサツキツツジ(皐月躑躅)・映山紅(エイサンコウ)などとも言われています。サツキの名称は旧暦の5月 (皐月) 頃に一斉に咲くことに由来し、花期は他のツツジに比べると1ヶ月程度遅く、5月~6月頃になります。サツキは関東以西と九州南部に分布し、川岸の岩上などに自生しています。サツキは古くから園芸化され、盆栽や庭木などとして栽培されています。サツキは樹高が1メートル前後で、枝は細く密生して横に広がり、葉は披針形または狭倒披針形で先が尖っています。サツキは花色が深紅から白色で、咲き分け・絞り・八重咲などがあります。

【曼殊院 歴史・簡単概要】
曼殊院(まんしゅいん)・曼殊院門跡は奈良時代末期から平安時代初期の延暦年間(782年~806年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)に鎮護国家の道場として創建した坊(小寺院)が起源と言われています。平安時代中期の天暦年間(947年~957年)に曼殊院初代・是算国師(ぜざんこくし)が比叡山西塔北渓に移し、東尾坊(とうびぼう)と号しました。その後平安時代後期の天仁年間(1108年~1110年)に曼殊院8代・忠尋大僧正(ちゅうじんだいそうじょう)が名称を曼殊院と改め、北山に別院を創建しました。しかし北山の別院は室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)による北山殿(金閣寺)造営により、南北朝時代の康暦年間(1379年~1381年)に洛中に移りました。室町時代後期の1495年(明応4年)に伏見宮貞常親王(ふしみのみやさだつねしんのう)の子・慈運法親王(じうんほっしんのう)が入寺して以後門跡寺院になり、江戸時代前期の1656年(明暦2年)に曼殊院29代・良尚親王(りょうしょうしんのう)が入寺し、現在の場所に移って堂宇を建立しました。
曼殊院は天台宗の寺院です。
*参考・・・曼殊院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
曼殊院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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