京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ(長岡天満宮・・・)
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ(見頃)
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ情報を紹介しています。京都には三千院・三千院・曼殊院・詩仙堂・安楽寺・平安神宮・青蓮院・清水寺・智積院・龍安寺・等持院・退蔵院・大覚寺・梅宮大社・善峯寺・毘沙門堂・隨心院・城南宮などのツツジ・サツキの名所があります。長岡天満宮は京都を代表する霧島つつじとして知られています。
【ツツジ・サツキ(躑躅・皐月) 基礎知識】
霧島ツツジ(霧島躑躅)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。霧島ツツジは鹿児島に野生するサタツツジ(佐田躑躅)とヤマツツジ(山躑躅)を主とし、ミヤマキリシマ(深山霧島)が加わった交配種とも言われています。
平戸ツツジ(平戸躑躅)はツツジ科の常緑低木です。平戸ツツジはケラマツツジを主な親とし、キシツツジ・リュウキュウツツジ・モチツツジ・タイワンヤマツツジなどと自然交雑し、大輪の平戸ツツジが生まれたと言われています。
サツキ(皐月・杜鵑)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。サツキはサツキツツジ(皐月躑躅)・映山紅(エイサンコウ)などとも言われています。サツキの名称は旧暦の5月 (皐月) 頃に一斉に咲くことに由来し、花期は他のツツジに比べると1ヶ月程度遅く、5月~6月頃になります。
【三千院 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
三千院は788年(延暦7年)天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が比叡山に延暦寺を創建した際、東塔南谷に自作の薬師如来像を本尊とする円融房を建立したのが起源です。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、さつき例年5月中旬頃
三千院ツツジ・サツキ見ごろ
【圓通寺 ツツジ(躑躅)】
圓通寺(圓通寺)は第108代・後水尾天皇の山荘・幡枝御殿だった場所です。その後1678年(延宝6年)に第112代・霊元天皇の乳母・円光院殿瑞雲文英尼大師が妙心寺10世・景川宗隆禅師を勧請開山として、山荘を寺院に改めました。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃~5月上旬頃
圓通寺霧島ツツジ見ごろ
【曼殊院 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
曼殊院は延暦年間に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊が起源と言われています。天暦年間に曼殊院初代・是算国師が比叡山西塔北渓に移し、東尾坊と号しました。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、平戸つつじ・さつき例年5月上旬頃
曼殊院ツツジ・サツキ見ごろ
【詩仙堂 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
詩仙堂は1641年(寛永18年)に徳川家の家臣・石川丈山が隠居の為に造営した山荘が起源です。石川丈山は大坂夏の陣で抜駆けをし、軍律違反で浪人となり、妙心寺に隠棲したそうです。詩仙堂の名称は「詩仙の間」に由来しています。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、さつき例年5月下旬頃
詩仙堂ツツジ・サツキ見ごろ
【安楽寺 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
安楽寺は浄土宗の開祖・法然上人の弟子で、建永の法難によって死罪になった安楽・住蓮が結んだ鹿ヶ谷草庵が起源と言われています。その後流罪地から戻った法然上人が安楽・住蓮の菩堤を弔う為に草庵を復興しました。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、平戸つつじ例年5月上旬頃、さつき例年5月下旬頃
安楽寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【平安神宮 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
平安神宮は1895年(明治28年)3月15日に平安京遷都1,100年を記念して行われた内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の宮城である大内裏の一部を復元して創建されました。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ・さつき例年5月上旬頃
平安神宮ツツジ・サツキ見ごろ
【青蓮院 ツツジ(躑躅)】
青蓮院は天台宗の開祖である伝教大師・最澄が比叡山に延暦寺を創建した際、比叡山に建てた僧侶の住坊のひとつである青蓮坊が起源と言われています。その後青蓮院は最澄から延暦寺の法燈を継いだ円仁・安恵・相応などの住坊になりました。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年5月上旬頃
青蓮院霧島ツツジ見ごろ
【清水寺 サツキ(皐月)】
清水寺は778年(宝亀9年)大和・興福寺の僧で、子島寺で修行していた延鎮上人・賢心が「南の地を去れ」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。
見ごろ・・・さつき例年5月中旬頃
清水寺サツキ見ごろ
【智積院 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
智積院は僧・真憲坊長盛が根来山内に建てた学問所で、興教大師・覚鑁が創建した大伝法院の塔頭として創建されたのが起源です。その後1601年(慶長6年)に玄宥が徳川家康から東山・豊国神社の付属寺院の土地・建物を寄進されて再興しました。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年5月中旬頃、さつき例年5月下旬頃
智積院ツツジ・サツキ見ごろ
【龍安寺 ツツジ(躑躅)】
龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領・細川勝元が権大納言・徳大寺公有から山荘を譲り受け、妙心寺5世・義天玄詔を開山、玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜を勧請開山として創建しました。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年5月上旬頃
龍安寺ツツジ見ごろ
【等持院 サツキ(皐月)】
等持院は1341年(興国2年・暦応4年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が中京区柳馬場御池付近に等持寺を創建し、1343年(康永2年)に夢窓国師・夢窓疎石を開山として、別院・北等持寺を北区等持院北町に創建したのが起源です。
見ごろ・・・さつき例年5月中旬頃
等持院サツキ見ごろ
【退蔵院 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
退蔵院は1404年(応永11年)に越前の豪族・波多野出雲守重通が妙心寺第3世・無因宗因を開山として千本通松原に創建したのが起源です。その後妙心寺4世・日峰宗舜が妙心寺内の霊雲院の東に移しましたと言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年4月下旬頃、さつき例年5月下旬頃
退蔵院ツツジ・サツキ見ごろ
【大覚寺 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
大覚寺は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改めました。
見ごろ・・・平戸つつじ例年4月下旬頃、さつき例年5月中旬頃
大覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【梅宮大社 ツツジ(躑躅)】
梅宮大社は奈良時代前期に第30代・敏達天皇の後裔・橘諸兄の母・県犬養三千代が橘氏の氏神として山城国相楽郡井出庄に祀ったのが起源と言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年4月下旬頃
梅宮大社ツツジ見ごろ
【善峯寺 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
善峯寺は寺伝によると1029年(長元2年)に恵心僧都・源信の弟子・源算上人が自作の千手観音を小堂に安置し、阿智坂の法華院と号したのが起源と言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年5月上旬頃、さつき例年6月上旬頃
善峯寺ツツジ・サツキ見ごろ
【毘沙門堂 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
毘沙門堂は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ・さつき例年5月中旬頃
毘沙門堂ツツジ・サツキ見ごろ
【隨心院 ツツジ(躑躅)】
隨心院は小野小町邸があった場所とも、991年(正暦2年)に仁海僧正が一条天皇から土地を賜って創建した牛皮山曼荼羅寺があった場所とも言われています。隨心院は鎌倉時代に曼荼羅寺第5世住持・増俊が曼荼羅寺の塔頭として創建しました。
見ごろ・・・霧島つつじ・平戸つつじ例年5月上旬頃
隨心院ツツジ見ごろ
【城南宮 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
城南宮は第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后による三韓征伐の際に船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(八千戈神)を祀った真幡寸神社が起源と言われています。
見ごろ・・・平戸つつじ例年4月下旬頃、霧島つつじ・さつき例年5月上旬頃
城南宮ツツジ・サツキ見ごろ
【平等院 ツツジ(躑躅)】
平等院は1052年(永承7年)に関白・藤原頼通が別荘・宇治殿の寝殿を本堂に改め、藤原氏の氏寺として創建しました。その後1053年(天喜元年)に西方極楽浄土を出現させたような鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立されました。
見ごろ・・・つつじ例年4月下旬~5月中旬頃
平等院ツツジ見ごろ
【三室戸寺 ツツジ(躑躅)】
三室戸寺は寺伝によると770年(宝亀元年)に南都大安寺の僧・行表が第49代・光仁天皇の勅願により、岩淵から出現した千手観音菩薩を本尊として創建したと言われています。
見ごろ・・・平戸つつじ例年4月下旬頃~5月上旬頃
三室戸寺平戸ツツジ見ごろ
【長岡天満宮 ツツジ(躑躅)】
長岡天満宮は菅原道真の所領でした。長岡天満宮は道真が大宰府に左遷された際、高槻まで道真に付き従った中小路宗則が道真自作の木像と念持仏を託され、道真の死後に木像を祀る祠を建てたのが起源と言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、平戸つつじ例年5月上旬頃
長岡天満宮キリシマツツジ見ごろ
【岩船寺 ツツジ・サツキ(躑躅・皐月)】
岩船寺は僧・行基が第45代・聖武天皇の発願により、阿弥陀堂を鳴川に建立したが起源と言われています。その後弘法大師・空海が鳴川に善根寺(鳴河寺)を創建し、空海の甥である智泉が善根寺の東禅院灌頂堂に報恩院を建立したと言われています。
見ごろ・・・霧島つつじ例年4月下旬頃、平戸つつじ例年5月上旬頃、さつき例年6月上旬頃
岩船寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)