三尾の名刹(高山寺・神護寺・西明寺)
三尾の名刹(高山寺・神護寺・西明寺)
栂尾山高山寺(栂ノ尾)・高雄山神護寺(高雄・高尾)・槇尾山西明寺(槇ノ尾)はいずれも紅葉の名所で、三尾(さんび)の名刹と言われています。ちなみに高山寺・西明寺はかつていずれも神護寺の別院だった時期があり、地理的だけでなく、歴史的にもゆかりがあります。
【三尾の名刹 マップ・地図】
【神護寺 歴史・簡単概要】
神護寺(じんごじ)は824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、名称を神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改めたのが起源です。ちなみに神願寺は781年(天応元年)に和気清麻呂が河内に創建したとも言われているが、その場所は明確ではありません。高雄山寺も同じ頃に創建され、白雲寺・月輪寺・日輪寺・伝法寺とともに愛宕五寺(愛宕五坊)とも言われました。高雄山寺は天台宗の開祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄や真言宗の開祖である弘法大師・空海を相次いで招き、その後一切を空海に付嘱し、真言宗の寺院になりました。その後994年(正暦5年)と1149年(久安5年)に火災に見舞われ、鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅状態になったとも言われています。
神護寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・神護寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【高山寺 歴史・簡単概要】
高山寺(こうざんじ・こうさんじ)は起源が明確ではありません。高山寺は奈良時代に創建された度賀尾寺とも、都賀尾坊とも称される寺院があった場所とも、774年(宝亀5年)に第49代・光仁天皇の勅願によって創建されたとも言われています。その後平安時代に神護寺(じんごじ)の別院となり、神護寺十無尽院(じんごじじゅうむじんいん)と称されたとも言われています。1206年(建永元年)に華厳宗の僧・明恵上人(みょうえしょうにん)が後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)から寺域を賜り、華厳宗の根本道場として再興し、名称を高山寺に改めました。名称は後鳥羽上皇から賜った勅額「日出先照高山之寺」に由来しています。なお高山寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
高山寺は真言宗系の単立の寺院です。
*参考・・・高山寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【西明寺 歴史・簡単概要】
西明寺(さいみょうじ)・平等心王院(びょうどうしんのういん)は天長年間(824年~834年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海の甥で、十大弟子の一人である智泉大徳(ちせんだいとく)が神護寺(じんごじ)の別院として創建したのが起源と言われています。ちなみに神護寺は824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)に名称を改めたのが起源です。その後荒廃したが、建治年間(1275年~1278年)に我宝自性上人(がほうじしょうしょうにん)が再興し、伽藍が再建されました。1290年(正応3年)に神護寺から独立したが、永禄年間(1558年~1570年)の兵火によって焼失し、神護寺に合寺されました。その後1602年(慶長7年)に明忍律師(みょうにんりっし)が再興し、1700年(元禄13年)には江戸幕府5代将軍・徳川綱吉や生母・桂昌院(けいしょういん)の寄進により、現在の本堂が再建されました。
西明寺は真言宗大覚寺派の寺院です。
*参考・・・西明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【三尾の名刹 備考】
高山寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報・高山寺見どころ
神護寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
西明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報