京都・京の三大門(仁和寺・南禅寺・知恩院)
東大寺見所(修学旅行・観光)
京の三大門(京都の三大門)は知恩院の三門(山門)・南禅寺の三門・仁和寺の二王門のことです。なお三門(三解脱門・山門)は元来中央の大きな門と左右の小さな二つの門が連なった形式の門です。ただその後門の形式に関わらず、仏殿前の門は三門と言われるようになりました。
【知恩院の三門(国宝) 歴史・簡単概要】
三門(山門)は1621年(元和7年)江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の寄進によって建立されました。三門は二重門(二階建て)で、畳二畳以上の大きさがある額「華頂山」が掛かっています。三門(山門)の中で日本最大と言われています。なお三門の天井には飛龍が描かれ、上層には釈迦如来及両脇侍(善財童子・月蓋長者)像(重要文化財)・十六羅漢像(重要文化財)を安置しています。
知恩院(ちおんいん)は平安時代末期に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が勢至堂(せいしどう)付近の東山・吉水(よしみず)に草庵を結んだのが起源です。草庵は専修念仏の道場になり、当初吉水御坊・大谷禅坊などと称されていました。その後1212年(建暦2年)法然上人が亡くなり、法然上人の弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が廟を造り、法然上人の弟子・信空(しんくう)が守りました。
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【南禅寺の三門(重要文化財) 歴史・簡単概要】
三門は1615年(元和元年)大坂夏の陣で戦死した一門の武士の冥福を祈る為、1628年(寛永5年)武将・藤堂高虎(とうどうたかとら)が寄進しました。三門は二階二重門(二階建て)で、両側に山廊があります。三門は「天下竜門」とも言われました。なお三門の天井には絵師・狩野探幽が鳳凰・天人図を描き、釈迦如来・十六羅漢像・藤堂家歴代の位牌や大坂の陣の戦死者の位牌などを安置しています。
南禅寺(なんぜんじ)は僧・道智が創建した園城寺(三井寺)の別院・最勝光院があった場所でした。1264年(文永元年)後嵯峨天皇が母の大宮院御所として、離宮を造営したと言われています。その後1289年(正応2年)亀山上皇が了遍僧正の戒師により、落飾(出家)して法皇になり、1291年(正応4年)亀山法皇が大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として、離宮・禅林寺殿を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けました。
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【仁和寺の二王門(重要文化財) 歴史・簡単概要】
二王門は1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)に建立されました。二王門は和様の二重門(二階建て)です。二王門には阿吽の二王像を安置しています。
仁和寺(にんなじ)は平安時代の886年(仁和2年)光孝天皇が西山御願寺を創建することを発願したのが起源です。しかし翌887年(仁和3年)光孝天皇が亡くなり、888年(仁和4年)宇多天皇が父・光孝天皇の遺志を引き継いで開基しました。その後897年(寛平9年)宇多天皇は醍醐天皇に譲位し、東寺一長者・益信(やくしん)を戒師として落髪し、法皇になって仁和寺1世になりました。904年(延喜4年)宇多法皇は僧房・御室(御座所)を建てて住み、御室御所(おむろごしょ)と言われました。
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