京都の五花街|祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町

京都の五花街|舞妓・芸妓
京都には現在、5つの花街(祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町)があり、京都五花街とも言われています。五花街は寺院や神社と同じく、人気の観光スポットになっており、五花街で行われる春・秋の踊りが人気の観光イベントになっています。花街を散策していると舞妓・芸妓と出会うこともあります。
【京都の五花街 マップ・地図】
【祇園甲部(ぎおんこうぶ) 都をどり】
祇園甲部は江戸時代(1603年~1868年)初期に八坂神社(祇園社)の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。祇園甲部(祇園甲部歌舞会)では例年4月1日から4月30日頃に都をどりを開催し、舞妓などが踊りを披露します。また10月に温習会も開催しています。なお1月の初寄りなどがニュースに取り上げられます。
祇園甲部・祇園東・上七軒・宮川町は八坂神社の祇園祭(花傘巡行)や節分祭に奉仕しています。祇園甲部・宮川町は京都ゑびす神社の十日ゑびす大祭にも奉仕しています。
祇園甲部・都をどり
【祇園東(ぎおんひがし) 祇園をどり】
祇園東は祇園甲部と同様に江戸時代初期に八坂神社(祇園社)の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗から茶点て女を置くことが許可され、八坂神社門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。その後明治時代(1868年~1912年)に祇園東は祇園甲部から分離独立し、祇園乙部と言われていたが、戦後に祇園東新地、そして祇園東に名称を変更しました。祇園東(祇園東歌舞会)は例年11月1日から10日頃に祇園をどりを開催し、舞妓などが踊りを披露します。
祇園東・祇園をどり
【先斗町(ぽんとちょう) 鴨川をどり】
先斗町は江戸時代(1603年~1868年)初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれたのが起源と言われています。先斗町の地名はポルトガル語のponto(先)が語源と言われたり、先斗町が鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれている為、2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けたとも言われています。先斗町(先斗町歌舞会)は例年5月1日から24日頃に鴨川をどりを開催し、舞妓などが踊りを披露します。また10月に水明会も開催しています。
先斗町・鴨川をどり
【宮川町(みやがわちょう) 京おどり】
宮川町は江戸時代(1603年~1868年)に人気になった出雲の阿国(おくに)の歌舞伎踊りの頃から始まりました。当初は遊女などが接待していたが、江戸時代の三大改革によって打撃を受けました。宮川町(宮川町歌舞会)は例年4月初旬から下旬頃に京おどりを開催しています。また11月にみずゑ会も開催し、舞妓などが踊りを披露します。
宮川町・京おどり
【上七軒(かみしちけん) 北野をどり】
上七軒は室町時代(1336年~1573年)に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って7軒の茶店が建てられたのが起源とされ、「上七軒」と言われるようになりました。桃山時代(1583年~1603年)に関白・豊臣秀吉が北野天満宮で茶会(北野大茶湯)を開いた際、茶店が団子を献上しました。その後江戸時代(1603年~1868年)に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展しました。上七軒(上七軒歌舞会)は例年3月25日から4月7頃に北野をどりを開催し、舞妓などが踊りを披露します。また夏にビアガーデン、11月に寿会も開催しています。
上七軒は北野天満宮の節分祭追儺式や梅花祭野点大茶湯に奉仕しています。
上七軒・北野をどり
【京都の五花街 備考】
京都にはかつて五花街以外に花街・島原(しまばら)があり、五花街と合わせて六花街と言われていました。島原はかつて六条三筋町にあったが、1640年(寛永17年)に京都所司代・板倉重宗が現在の場所に移しました。島原は正式には西新屋敷と言い、上之町・中之町・下之町・太夫町・中堂寺町・揚屋町から構成されていたそうです。島原には現在もかつての風情を感じさせる輪違屋(わちがいや)・島原大門が残っています。なお輪違屋は現在も宴席場として営業しているそうです。

















