京都三大火祭(五山送り火・お松明式・鞍馬の火祭)

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京都三大火祭(五山送り火・お松明式・鞍馬の火祭)

京都三大火祭は五山送り火・清凉寺(嵯峨釈迦堂)のお松明式・由岐神社の鞍馬の火祭です。五山送り火は例年8月16日、お松明式は例年3月15日、鞍馬の火祭は例年10月22日に行われます。(要確認)ちなみに10月22日には時代祭も行われます。

【五山送り火 歴史・簡単概要】

五山送り火(ござんのおくりび)はお精霊さん(死者の霊)をあの世(冥府)へ送り届ける仏教的行事です。なお五山送り火は起源が明確ではありません。ただ五山送り火には下記のようにそれぞれの歴史・由緒が伝えられています。
●大文字・・・平安時代(794年~1185年)初期に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が始めたという説、室町時代(1336年~1573年)中期に室町幕府8代将軍・足利義政が始めたとする説、江戸時代(1603年~1868年)初期に近衛信尹が始めたという説があります。
●妙法・・・「妙」は鎌倉時代(1185年~1333年)末期に日蓮聖人の法孫・日像上人が始め、「法」は江戸時代(1603年~1868年)に日良上人が始めたと涌泉寺の寺伝に記されているそうです。
●船形・・・平安時代(794年~1185年)初期に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が始めたという説、910年(延喜10年)に疫病が蔓延し、死者の初盆の供養に行われたという説、各地の風習となっていた「燈籠流し」の舟が起源とする説があります。
●左大文字・・・江戸時代(1603年~1868年)中期以降に始まったと考えられています。「洛陽名所集(1658年・万治元年)」には左大文字は記載されていないが、「扶桑京華志(1665年・寛文5年)」には左大文字が記載されています。
●鳥居形・・・平安時代(794年~1185年)初期に弘法大師・空海が始めたという説、伏見稲荷大社のお灯明として焚かれたという説、鳥居本が愛宕神社の参道であり、愛宕神社と関係がある説があります。
五山送り火2026(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)

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【お松明式 歴史・簡単概要】

お松明式(おたいまつしき)・嵯峨お松明式は清凉寺(嵯峨釈迦堂)の祭礼です。お松明式は仏教の開祖・お釈迦様が荼毘に付される様子を再現した行事で、京都最古の行事のひとつとも言われています。お松明式では高さ7メートルの3本の松明を早稲・中稲・晩稲に見立てて、その火勢の強弱により、その年の農作物の豊凶を占います。また本堂前に13基の高張り提灯を立てて、その高低によって米相場も占います。(最近では株価相場も占います。)なおお松明式当日(3月15日)はお釈迦様が80歳で入滅した旧暦の2月15日に当たり、涅槃会(ねはんえ)も行われます。
清凉寺お松明式
清凉寺(嵯峨釈迦堂)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルとも言われている左大臣・源融の山荘・棲霞観があった場所です。清凉寺は源融の一周忌である896年(寛平8年)に子息が阿弥陀三尊像を造仏して阿弥陀堂に安置し、棲霞寺と号したのが起源とも、945年(天慶8年)に重明親王妃が新堂を建立し、等身大の釈迦像を安置したのが起源とも言われています。その後987年(永延元年)に奝然上人が愛宕山を中国の五台山に模し、「三国伝来の釈迦像」を安置する大清凉寺を建立しようとしたが、途中で亡くなり、弟子・盛算が遺志を受け継ぎ、棲霞寺内に釈迦堂を建立しました。1279年(弘安2年)に円覚(十万)上人の大念仏(融通念仏)が伝わったとも言われています。
清凉寺・嵯峨釈迦堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【鞍馬の火祭 歴史・簡単概要】

鞍馬の火祭(くらまのひまつり)は由岐神社の祭礼です。鞍馬の火祭は地震や天慶の乱を鎮める為、940年(天慶3年)朱雀天皇の勅により、宮中に祀られていた祭神を北方鎮護として鞍馬に移し、それを村人がかがり火を持って迎えたことが起源と言われています。かがり火には鴨川に生えていた葦が使われ、1キロにも及んだとも言われています。なお鞍馬の火祭は「神事にまいらっしゃれ」の合図で、家々に積み重ねられた篝(エジ)に点火され、小松明の少年が練り歩き、大松明を担いだ青年が加わり、「サイレイ、サイリョウ」と囃し立てながら始まります。その後2基の神輿が由岐神社から御旅所に移され、お神楽が奉納され、神楽松明が境内を回って神幸祭が終了します。翌日早朝2基の神輿が御旅所から由岐神社に戻り、還幸祭が終了します。
由岐神社鞍馬の火祭
由岐神社は938年(天慶元年)に大地震、939年(天慶2年)に平将門の乱が起こり、940年(天慶3年)に第61代・朱雀天皇の勅により、天下泰平・万民幸福の祈念の為に宮中に祀られてた由岐大明神(大己貴命・少彦名命)を北方鎮護・鞍馬一帯の産土神として遷したのが起源です。その後鞍馬寺の鎮守社になったが、鎌倉時代に衰微したと言われています。1607年(慶長12年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が本殿・拝殿を再建しました。1814年(文化11年)に鞍馬寺が火災で焼失し、鞍馬山頂に祀られていた八所神社が相殿に合祀されました。
由岐神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

【京都三大火祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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