京都三大火祭(五山送り火・鞍馬の火祭・・・)
京都三大火祭は五山送り火(大文字焼き)・清凉寺(嵯峨釈迦堂)のお松明式・由岐神社の鞍馬の火祭です。なお由岐神社の鞍馬の火祭は広隆寺(大酒神社)の牛祭・今宮神社のやすらい祭と合わせて、京都三大奇祭にも数えられています。
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお精霊さん(死者の霊)をあの世(冥府)へ送り届ける仏教的行事で、毎年お盆の翌日の8月16日に行われます。なお五山送り火は起源が明確ではありません。ただ五山送り火には下記のようにそれぞれの歴史が伝えられています。
●大文字・・・平安時代初期に真言宗の開祖である弘法大師・空海が始めたという説、室町時代中期に室町幕府8代将軍・足利義政が始めたとする説、江戸時代初期に近衛信尹が始めたという説があります。
●妙法・・・「妙」は鎌倉末期に日蓮聖人の法孫・日像上人が始め、「法」は江戸時代に日良上人が始めたと涌泉寺の寺伝に記されているそうです。(諸説あり)
●船形・・・平安時代初期に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が始めたという説、910年(延喜10年)に疫病が蔓延し、死者の初盆の供養に行われたという説、各地の風習となっていた「燈籠流し」の舟が起源とする説があります。
●左大文字・・・江戸時代中期以降に始まったと考えられています。「洛陽名所集(1658年・万治元年)」には左大文字は記載されていないが、「扶桑京華志(1665年・寛文5年)」には左大文字のことが記載されています。
●鳥居形・・・平安時代初期に弘法大師・空海が始めたという説、伏見稲荷大社のお灯明として焚かれたという説、鳥居本が愛宕神社の参道であり、愛宕神社と関係がある説があります。
五山送り火
【お松明式 歴史・簡単概要】
お松明式(おたいまつしき)・嵯峨お松明式は清凉寺(嵯峨釈迦堂)の祭礼で、例年3月15日に行われます。お松明式はお釈迦様が荼毘に付される様子を再現した行事で、京都の最古の行事のひとつとも言われています。お松明式では高さ7メートルの3本の松明を早稲・中稲・晩稲に見立てて、その火勢の強弱により、その年の農作物の豊凶を占います。また本堂前に13基の高張り提灯を立てて、その高低によって米相場も占います。(最近では株価相場も占います。)
なおお松明式当日(3月15日)はにお釈迦様が80歳で入滅した陰暦の2月15日に当たり、涅槃会(ねはんえ)も行われます。
清凉寺・お松明式
【鞍馬の火祭 歴史・簡単概要】
鞍馬の火祭(くらまのひまつり)は由岐神社の祭礼で、例年10月22日に行われます。鞍馬の火祭は地震や天慶の乱を鎮める為、940年(天慶3年)朱雀天皇の勅により、宮中に祀られていた祭神を北方鎮護として鞍馬に移し、それを村人がかがり火を持って迎えたことが起源と言われています。かがり火には鴨川に生えていた葦が使われ、1キロにも及んだとも言われています。なお鞍馬の火祭は「神事にまいらっしゃれ」の合図で、家々に積み重ねられた篝(エジ)に点火され、小松明の少年が練り歩き、大松明を担いだ青年が加わり、「サイレイ、サイリョウ」と囃し立てながら始まります。その後2基の神輿が由岐神社から御旅所に移され、お神楽が奉納され、神楽松明が境内を回って神幸祭が終了します。翌日早朝2基の神輿が御旅所から由岐神社に戻り、還幸祭が終了します。
由岐神社・鞍馬の火祭