金閣寺(鹿苑寺)・銀閣寺(東山慈照寺)
金閣寺・銀閣寺
金閣がある金閣寺(鹿苑寺)と銀閣がある銀閣寺(東山慈照寺)はともに1994年(平成6年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)に登録されました。ちなみに金閣寺も銀閣寺も臨済宗相国寺派大本山・相国寺(しょうこくじ)の境外塔頭です。
【金閣寺・銀閣寺 マップ・地図】
【金閣寺・銀閣寺 比較】
金閣寺は室町幕府3代将軍・足利義満(1358年9月25日~1408年5月31日)が京都北山に営んだ山荘・北山殿(きたやまどの・北山第)を中心に花開いた北山文化(きたやまぶんか)を代表する寺院です。銀閣寺は室町幕府8代将軍・足利義政(1436年1月20日~1490年1月27日)が京都東山に営んだ東山山荘を中心に花開いた東山文化(ひがしやまぶんか)を代表する寺院です。北山文化は伝統的な公家文化と新興の武家文化の融合、そして日明貿易による中国文化の影響を受けています。東山文化は公家文化・武家文化に禅宗文化の影響を受けています。ちなみに北山文化では足利義満の庇護により、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子が能を大成し、東山文化では足利義政の庇護により、村田珠光(むらたじゅこう)が茶の湯・わび茶の祖となりました。なお北山文化・東山文化は一緒に室町文化と言われるそうです。
【金閣寺 歴史・簡単概要】
金閣寺・鹿苑寺(ろくおんじ)は1224年(元仁元年)公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘を造営し、氏寺・西園寺を創建したと言われている場所です。その後1397年(応永4年)室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換によって山荘・北山殿を譲り受け、義満と義満の妻(継室)・日野康子(ひのやすこ)の没後の1420年(応永27年)舎利殿は義満を開基、夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、北山鹿苑寺に改められました。なお鹿苑寺の名称は足利義満の法号・鹿苑院(戒名・鹿苑院天山道義)に由来しています。
金閣(舎利殿)は1398年(応永5年)に建立されたが、1950年(昭和25年)7月2日未明の放火によって焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。金閣は木造三階建(二重三階)の楼閣建築で、一階は金箔が張られずに素木仕上げ、二階は外面が金箔張り、三階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。なお一階は寝殿造りで、法水院(ほうすいいん)と言われ、二階は武家造りで、潮音洞(ちょうおんどう)と言われ、三階は禅宗仏殿造りで、究竟頂(くっきょうちょう)と言われています。
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【銀閣寺 歴史・簡単概要】
銀閣寺・東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)は平安時代中期に天台宗の僧・円珍(えんちん)が創建し、寛仁年間(1017年~1020年)に天台宗の僧・明救(みょうぐ)が堂宇を再建したが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失した浄土寺があった場所です。1473年(文明5年)室町幕府8代将軍・足利義政は将軍職を譲り、浄土寺跡に東山山荘の造営を始めました。その後1490年(延徳2年)に義政が亡くなり、遺命によって禅寺に改められました。なお東山慈照寺の名称は足利義政の法号・慈照院(戒名・慈照院喜山道慶)に由来しています。
銀閣(観音殿)は1489年(長享3年)に建立され、江戸時代に数度改修されました。銀閣は木造二階建ての楼閣建築で、二階は当初外面・内面も黒漆塗だったそうです。なお銀閣は一階は住宅風様式で、心空殿(しんくうでん)と言われ、二階は禅宗様式(唐様)で、潮音閣(ちょうおんかく)と言われています。
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